称讃寺の和尚さんの独り言。お坊さんって こんなんでいいのかなぁ~と思いながらの毎日です。ナマクラ坊主のブログです。

浄土真宗本願寺派(西本願寺派)称讃寺の住職の瑞田信弘です。毎日忙しくしておりますが、ふと気づいた事を書いてみます。

2010-11-17 23:44:00

2010年11月17日 23時44分00秒 | インポート

投稿されたコメント
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名前:みゆき
IP:180.144.118.105

コメントの内容
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私は、親親戚 兄弟 配偶者がいないものです。ただいるのは、未成年の子どもが二人。ですから私が死んでも葬式は要らない。火葬場で焼いてくれればそれでいい。生身では置いておけませんからね。と常々子どもたちには申しております。死んだ私に無駄なお金を使う必要もありませんし。そんなお金もありませんし。生命保険にも加入していません。
子どもの学資保険はかけておりますけど。

みゆきさん コメント有難う御座います。

みゆきさんの様に思って人が沢山いらっしゃると思います。私もお坊さんですが、もし 私が死んだら大きなお葬式は要らない、と思いますし、宗教学者の山折哲雄さんは(僧籍も持っているのですが)自分のお葬式やお墓は要らない、と主張なさっています。その感情 よく理解できます。

只 お葬式は喪主さんをはじめ 生きている人が執り行います。あなたが亡くなったら 葬式をするか、しないか、するのでしたら どんな葬式をするのかを決めて実行するのは お二人の子供さんでしよう。お母さんの生前の意向をも最大限考慮しながら どうするかを考える事でしょう。それで 結果的にあなたのお葬式が実施されても あなたは あの世から お二人の子供さんを叱るために この世に戻ってきてはいけませんョ。こんな お母さんの為に お葬式をしてくれて・・・・、と涙を流して喜んでください。だって 子供さんたちにとっては 大好きなかけがえの無いお母さんへの 最後の最後のプレゼント なのですから・・・・。大きなお金を掛けなくても 厳粛な心に残る儀式で故人さまを極楽浄土へ送る事は可能です。知り合いのお坊さんに相談しましょう。

お子様達にとって、親の葬式もしてやれなかった、と 後で後悔させないためにも お子様達にお任せするのがいいと 私は思います。


新人司会者さま、コメント有難う御座います。

2010年11月17日 23時17分20秒 | インポート

コメント 有難う御座いました。そうですか・・・、どこかでお会いした事があるのですか?全然イメージが違っていましたか?どんなイメージでしたか?あなたに恐怖心を与えてしまったとすれば、誠に申し訳ない事です。スミマセンでした。

お坊さんも 葬儀社さんも 司会者さんも ボランティアではないのですからプロなのです。プロである以上自分の仕事についてはプライドを持って欲しいですし たゆまぬ勉強はするべきだと思っております。少しづつではありますが 進歩し続けることが要求されています。

今年善通寺で「お葬式のこと、お骨のこと」を考えるフォーラムを実施しました。その際 宗教学者の山折哲雄さんは 葬式が 葬送から告別へと中身が大きく変化していると発言されました。私もそう思います。亡くなった方を 宗教者の儀式によって遺族、親族 会葬者皆が力を合わせて極楽お浄土へ送ろうとの意味合いから、最後のお別れという意味合いに変化していると思います。葬儀の実権が 宗教者から葬儀社に渡ってしまったのも原因です。葬儀社は厳粛なお別れショーをやりたいようです。

結果的に 告別の意味合いでは 宗教者は必要ありませんし お別れは家族だけで・・・、と きわめて小規模の家族葬が大流行です。

そんな中で 司会者の仕事は とっても大切です。宗教的儀式を出来るだけ引き立てながら、目立ちすぎなく さりげなく お別れのムードを作ってゆく技術が必要です。例えますと、技術や力量の無い学校の先生は 大声で話し 大声で叱り 怒鳴ったりもします。逆に 力量がある先生は 声は小さいけれど 叱ったり 怒鳴ったりしなくても 生徒の視線を引き付けます。

司会も同じだと思います。低めのボリュームで 余分な事は言わず、しかし 葬式の宗教的ムードと告別の儀式を最大限引き立て、会葬者の耳が集中するようにあなたがなることを とっても期待しております。

次に 何処かで会ったら ブログの司会者です、と声を掛けてください。