称讃寺の和尚さんの独り言。お坊さんって こんなんでいいのかなぁ~と思いながらの毎日です。ナマクラ坊主のブログです。

浄土真宗本願寺派(西本願寺派)称讃寺の住職の瑞田信弘です。毎日忙しくしておりますが、ふと気づいた事を書いてみます。

称讃寺報恩講、山折哲雄氏・三林京子氏

2010年11月19日 23時53分23秒 | 独り言 ぼやき

称讃寺 報恩講法要 山折哲雄氏講演 「坐って一人になる」

     三林京子氏・山折哲雄氏 トーク 「お葬式のこと、お骨のこと」

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※音声は称讃寺ホームページのライブラリーより聴くことができます。


2010-11-17 23:44:00

2010年11月17日 23時44分00秒 | インポート

投稿されたコメント
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名前:みゆき
IP:180.144.118.105

コメントの内容
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私は、親親戚 兄弟 配偶者がいないものです。ただいるのは、未成年の子どもが二人。ですから私が死んでも葬式は要らない。火葬場で焼いてくれればそれでいい。生身では置いておけませんからね。と常々子どもたちには申しております。死んだ私に無駄なお金を使う必要もありませんし。そんなお金もありませんし。生命保険にも加入していません。
子どもの学資保険はかけておりますけど。

みゆきさん コメント有難う御座います。

みゆきさんの様に思って人が沢山いらっしゃると思います。私もお坊さんですが、もし 私が死んだら大きなお葬式は要らない、と思いますし、宗教学者の山折哲雄さんは(僧籍も持っているのですが)自分のお葬式やお墓は要らない、と主張なさっています。その感情 よく理解できます。

只 お葬式は喪主さんをはじめ 生きている人が執り行います。あなたが亡くなったら 葬式をするか、しないか、するのでしたら どんな葬式をするのかを決めて実行するのは お二人の子供さんでしよう。お母さんの生前の意向をも最大限考慮しながら どうするかを考える事でしょう。それで 結果的にあなたのお葬式が実施されても あなたは あの世から お二人の子供さんを叱るために この世に戻ってきてはいけませんョ。こんな お母さんの為に お葬式をしてくれて・・・・、と涙を流して喜んでください。だって 子供さんたちにとっては 大好きなかけがえの無いお母さんへの 最後の最後のプレゼント なのですから・・・・。大きなお金を掛けなくても 厳粛な心に残る儀式で故人さまを極楽浄土へ送る事は可能です。知り合いのお坊さんに相談しましょう。

お子様達にとって、親の葬式もしてやれなかった、と 後で後悔させないためにも お子様達にお任せするのがいいと 私は思います。


新人司会者さま、コメント有難う御座います。

2010年11月17日 23時17分20秒 | インポート

コメント 有難う御座いました。そうですか・・・、どこかでお会いした事があるのですか?全然イメージが違っていましたか?どんなイメージでしたか?あなたに恐怖心を与えてしまったとすれば、誠に申し訳ない事です。スミマセンでした。

お坊さんも 葬儀社さんも 司会者さんも ボランティアではないのですからプロなのです。プロである以上自分の仕事についてはプライドを持って欲しいですし たゆまぬ勉強はするべきだと思っております。少しづつではありますが 進歩し続けることが要求されています。

今年善通寺で「お葬式のこと、お骨のこと」を考えるフォーラムを実施しました。その際 宗教学者の山折哲雄さんは 葬式が 葬送から告別へと中身が大きく変化していると発言されました。私もそう思います。亡くなった方を 宗教者の儀式によって遺族、親族 会葬者皆が力を合わせて極楽お浄土へ送ろうとの意味合いから、最後のお別れという意味合いに変化していると思います。葬儀の実権が 宗教者から葬儀社に渡ってしまったのも原因です。葬儀社は厳粛なお別れショーをやりたいようです。

結果的に 告別の意味合いでは 宗教者は必要ありませんし お別れは家族だけで・・・、と きわめて小規模の家族葬が大流行です。

そんな中で 司会者の仕事は とっても大切です。宗教的儀式を出来るだけ引き立てながら、目立ちすぎなく さりげなく お別れのムードを作ってゆく技術が必要です。例えますと、技術や力量の無い学校の先生は 大声で話し 大声で叱り 怒鳴ったりもします。逆に 力量がある先生は 声は小さいけれど 叱ったり 怒鳴ったりしなくても 生徒の視線を引き付けます。

司会も同じだと思います。低めのボリュームで 余分な事は言わず、しかし 葬式の宗教的ムードと告別の儀式を最大限引き立て、会葬者の耳が集中するようにあなたがなることを とっても期待しております。

次に 何処かで会ったら ブログの司会者です、と声を掛けてください。


諦観さま、臓器移植について

2010年11月15日 00時24分40秒 | インポート

確かに 日本人は 発展途上国の人の腎臓などを 多額のお金で買ったりもしています。

諦観さま ご指摘のように、臓器が欲しい人は 誰か死なないかなぁ~、と思っているかもしれません。

病気になり 臓器の移植しか助かる方法が無い 移植される側の人。

脳死状態になり 臓器を提供する側の人。

それぞれの立場があります。

私は 単純に 

本人が 差し上げましょうとの 意思が明確であれば 提供すれば良いと思います。

生きている人の 臓器を取り出すことで 結果的にその人が死亡することは、

移植される側に組みすぎている議論だと感じます。

脳死の人も 将来は 回復することが期待できるようになるかもしれませんし、

本当に 死んですぐ取り出せば 移植が可能になるかも知れません。

臓器移植をするために 本来は生きている人を 法律上は 死んだ事にする議論には 私は賛成できません。