称讃寺の和尚さんの独り言。お坊さんって こんなんでいいのかなぁ~と思いながらの毎日です。ナマクラ坊主のブログです。

浄土真宗本願寺派(西本願寺派)称讃寺の住職の瑞田信弘です。毎日忙しくしておりますが、ふと気づいた事を書いてみます。

やまさん、コメント有難うございます。

2010年01月31日 23時16分02秒 | 独り言 ぼやき

昨年の9月の「直葬」についての私のぼやきに 神学を勉強なさっていると言う[やま]さんからコメントがありました。葬儀は やりたい人がやればよく、無理強いする必要は無い、とのご意見です。どうぞ コメントをご覧になってください。

私の私見を少し述べます。葬儀をやりたい、とか やりたくない、とかの場合の主語は誰になるのでしようか?死んでゆく本人が 私の葬儀についての希望を述べる場合と、死んでゆく人のパートナーや子供など 喪主となり葬儀を主催する人が 葬儀についての希望を述べる場合があると思います。

この家での次の葬儀は私だと思う方は、自分の葬儀についての希望をノートなどに書きとめ 後に残る家族に見てもらったらいいと思います。

後に残る家族は 本人の葬儀に対する希望を十分尊重しながら どの様な葬儀にするのか、しないのかを決めます。

要するに 葬儀は 亡くなった方の為であり、また 残された家族・親族・友人・知人・・・の為でもあると思います。

[やま]さんが 神道の観点を抜きにしてコメントを戴いていますので 私も 仏教の観点を抜きにして述べます。

やはり 葬儀と言うかお別れ会と言うか 何かのけじめの儀式は欲しいと思います。よく引用される例ですが、一昔前までは、赤ちゃんは 家で生まれ、多くの人は 家で息をひきとっていました。人々は新しい命が誕生する瞬間や 一つの命の灯火が消えゆく瞬間を目の当たりにしてきました。特に学齢期あたりの子供にとっては 大変大切です。命のイメージ、生きる事のイメージ、命の重さ、皆の心の中の様子・・・、誰も教えない命の授業です。

今 赤ちゃんは 病院で生まれ 人は病院で亡くなります。

今 命・生きる・人生などのイメージが希薄になっているような気がしてなりません。生まれれば必ず死ぬ事、人は多様な縁で繋がっており決して一人で生きているのではない事、など、とっても大切なイメージです。

現代の社会が大変暮らしにくい状態である今こそ、自死が年3万人超、孤独死も年3万人超の今こそ 命を教える事が必要だと思います。

宗教者がいても いなくても 葬儀はやって欲しいものです。


三日坊主??

2010年01月23日 23時39分57秒 | 独り言 ぼやき

新年の1月も後半になりました。新年に際して「今年は・・・。今年こそは・・・。」と色々決心なさった方もいらっしゃると思います。例えば 日記や家計簿を付ける、ダイエットをする、禁煙・禁酒、時間を守る、衝動買いをしない、・・・・。

そろそろ 当初の決心がゆらゆら揺らいで なんとなく 元の木阿弥となった方も多いのではないでしようか?言い換えれば 三日坊主です。

何で 坊さんが出てくるのでしようか?

お坊さんに憬れて お坊さんになってみたけれど、毎日の生活がとっても大変だったので 三日しか続かなかった、ということなのでしようか?

お坊さんの私も 元旦に色々決心して 続かなかったら、坊主の三日坊主と云うことになるのでしようか?


妙さんへ

2010年01月16日 23時22分10秒 | インポート

コメント 有難うございます。

妙さんのご指摘の通り 今ではほとんどの赤ちゃんが病院で生まれ、ほとんどの方が病院で亡くなっています。これはお坊さんとしても大変憂慮すべき事態だと思っております。人間の生命の灯りがともり始める時、そしてそれが消え逝く時を人目から遠ざけてしまってしまいました。若い人達に限らず 人々から「命」を実感する瞬間を奪い取ってしまいました。理論的に「命」は理解できるが 感覚的に「命」を実感した人が少なくなりました。例えば 富士山の素晴らしさを写真と文章でいくら学んでも 実際に自身の目で富士山を見て 自身で富士山に登った人の焼きついた感動にはかなわないと思うのです。理屈ではなく「命」実感する場が無くなりました。これは大変な事です。学校の先生が「命は大切です。」「いじめはやめましよう。」「自殺もいけません。」などと説明しても実感として納得できていないのです。

本来人間は猿と同様に[群れ]を作って社会の中で生活してきたのですが、例えば 核家族・結婚しない人・子供を作らない夫婦・独居老人・孤独死・葬式をしない直葬・散骨・・・・、と数え上げればきりが無いですが [群れ]を作って[縁]を大切にしてきた社会から[無縁]社会に変わろうとしています。

例えば 核家族。2世帯・3世帯で生活すれば 価値観の違いなどがあり本当に毎日が大変でしよう。しかし そこでは色々な事がお互いに勉強できている訳でして、煩わしくて核家族の生活にすれば 色々な勉強ができなくなる訳で、学歴はあるかもしれませんが 一生を掛けての人間としての勉強を避けようとしている人が大変多くなっている事になる訳です。大変憂慮すべき事です。核家族によって得る事よりも 失う事のほうがきわめて大きいのです。

目の前の美味しいものをどんどん食べれば、肥満・高血圧・糖尿病・・・になり易くなります。健康を失います。目の前の煩わしさから 核家族を選択すれば その家族を構成する人は 人間らしさを失う事になるのです。

思わず 話が長くなりました。妙さんの訪問看護は 素晴らしい理念があります。旅立つ本人も家で家族と時間を共有することを希望するでしようし、家族の側も 旅立つ前 一生懸命看取った と言う満足感が残るでしよう。そのお手伝いができるのですから やっぱり 素晴らしいと思います。

これからも 頑張ってください。また コメント下さい。


妙さん、朝日先生に関するコメント 有難うございます。

2010年01月11日 23時01分50秒 | 独り言 ぼやき

朝日俊彦先生の葬儀に私は出席できませんでしたが、家内から様子を聞きました。会葬御礼の言葉は 本人の肉声で、奥様の事、子供さんの事、宗教の事などを話されたそうです。会葬礼状の言葉も 既製の文句ではなく 朝日先生の文章で 娘婿の西口医師・あさひクリニックをよろしく・・・、と綴っていました。普段 お話されていた事を 実行されたのだなぁと目頭が熱くなりながら感激しました。

仏教では「生・老・病・死」を考えますが その「病・死」について、人生のラストステージを自分で決め 自分で演出しようと朝日先生は呼び掛けていらっしゃいました。私もまさしくそう思っていましたので 朝日先生とジョイントしてあちこちでお医者さんとお坊さんのコンビでトークをしてきました。朝日先生と言う強力な機関車がいなくなりましたが、私一人ででも 「命の大切さ」「人生について」「必ず来る老いと病について」「生きる作法・死ぬ作法」など これからも 声を大にして訴えかけていく責務があると自覚しています。

妙さんは 訪問看護の道を選択されたそうで 朝日先生もホスピスについてのお考えから 在宅医療・訪問看護を提唱なさっていらっしゃいました。「在宅医療がオススメです。」とよくおっしゃっていましたネ。偉大な先生が亡くなりましたがあなたには これからも しっかりと訪問看護をやっていただきたいものです。

朝日俊彦先生のファンは患者さんや尊厳死協会の会員も含めると沢山いらっしゃいますが いろんなジャンルのファンの皆さんが集まれる機会があればいいですネ。

また、コメントを下さい。