①井筒和幸監督と本多靜芳師との対談
②なぎら健壱さんの 歌とトーク
③井筒さん・なぎらさん・本多さん・赤川さん・私(称讃寺の住職)の
ディスカッション
※平和・戦争・憲法九条について 考えました。
※四国新聞にも掲載されました。
①井筒和幸監督と本多靜芳師との対談
②なぎら健壱さんの 歌とトーク
③井筒さん・なぎらさん・本多さん・赤川さん・私(称讃寺の住職)の
ディスカッション
※平和・戦争・憲法九条について 考えました。
※四国新聞にも掲載されました。
ご連絡有難うございます。
おっしゃる通り 時代と共にお葬式も変わります。確かに 現代では セレモニーと言うか お別れショーの意味合いが濃くなっています。ご葬家の方も喪主様も そう思ってらっしゃると私も思います。今後は益々 セレモニーの要素が濃くなっていくと思われます。
只 お坊さんから言えば、葬儀は最大の宗教儀式でして、司会者の方にも ご理解頂きたいものです。
簡単な例えでは、90歳過ぎのおじいさんがなくなった時 パートナーのおばあさんは おじいさんは極楽へ行けるかどうか 大変心配していて お坊さんにどうぞ宜しくと お願いをするとか、最期が病気のため手術・手術で大変苦しそうだったけれど、どうぞ安らかに安楽浄土にいけるように お経を上げてやってください、とか・・・。
一昔前までは、お葬式は 亡くなった人に 速やかに 確実に 極楽お浄土に往生して頂く為に 親族一同、地域の人々一丸となって執り行う、その家にとっては最大の宗教儀式だったのです。
現代でも 80歳以上の方は そのイメージがあると思いますので その思いを汲み取って大切にしてあげることが必要だと 私は思っております。
現代では ご導師と司会者は事前に打合せをするのですから、その打合せこそを儀礼的にしないで ご導師のほうも はっきりと意向を伝えるべきだと思います。打合せの時点では 何も無くて、ナレーションの途中で突然「おかみそり」はまったくおかしいと思います。
懲りずに、ノートに記入しておき 次回は 「おかみそりは 何時なさいますか?」と
確認すれば良いと思います。
いずれにしても あなたは 向上心を持っていらっしゃいますので、ドンドン上達なさると思います。形式的な点のみ注意を払うのではなく、気遣いと心遣いのある司会者になっていただきたいと思っております。頑張ってください。
ご葬儀を一生懸命執り行いたいとの思いは充分伝わりました。ご葬儀に関わる全てのスタッフが心を一つにして望むべきとの あなたのお気持ちは その通りだと思います。
しかし、比較的高齢のお坊さんには そういった意識に乏しい方が多くいらっしゃいます。あなたには 理解しにくいでしようから 少し解説いたします。
歴史的に日本人がいつから葬式をしたのかは 議論が在る所ですが、少なくとも、江戸時代・明治・大正・昭和の40年頃までは、誰かが亡くなると ご葬家は菩提寺に一番に知らせて、地域の人々の協力の下 菩提寺の住職の指示のもと 葬儀を執り行ってきました。
ところが ここ30~40年前から 葬儀社が出現し、当初は 住職の指示のもと 葬儀を行うことの お手伝いをしていたのが、平成に入ってのここ10年はほとんどの葬儀が 葬儀社付属の会館で実施されるようになり、ご葬家は 葬儀社とは綿密な打合せをしますが 菩提寺の住職とは 日時の打合せのみで、葬儀を執り行うのは 葬儀社が取り仕切るという構図が出来上がりました。
葬儀社の担当者や司会者やご葬家の方々も ご住職は 時間通りに会館に来て決まったお経をちゃんと読んでくれればよい、と思うようになりました。
以前の お葬式では ご葬家の人々も 地域の方々も 菩提寺のお坊さんを頼りにしていました。しかし、現代は 葬儀社を頼りにしているのが実態です。葬儀社自身も 「どんな ご葬儀もご葬家の信頼を裏切ることなく きっちり執り行います。」と
宣言しております。すかわち ご葬儀に関しては お坊さんの地位が相対的に低くなってしまった現実があります。
住職・お坊さんの側から言えば お葬式は 結婚式の披露宴ではないし、厳正な宗教行事だ、と言う主張があります。その宗教行事を葬儀社が取り仕切るとは何事だ、と思っているお坊さんも沢山います。厳正な宗教行事を お経は流れるものの きわめて宗教性の薄いお別れ会式のお葬式に 結果としてなってしまったことには 葬儀社の責任は大変重いものがある、とも思っているお坊さんも多いと思います。何百年と脈々と続いてきた葬儀のあり方を ここ30~40年で変えてしまったのは 葬儀社の責任だ、との主張です。
以上の如くの事情から 葬儀社を快く思っていないお坊さんが沢山居るのは事実です。
私も 上記の議論には 賛成する部分が多々あります。しかし、それは逆に過去のお坊さんの怠慢も多くあった訳で、現代の ご葬儀において葬儀社を抜きにしては考えられない現実の中、あなたの主張のように 葬儀社のスタッフ・司会者・僧侶たちが 心を一つにして葬儀を執り行うことが、結果として 故人様・喪主様始め会葬の方々をも含めて皆様方の為になると 私も思います。
ご導師が そのつどそのつど ご機嫌が良かったり・悪かったりしているとは私は思いませんが、事実とすれば お坊さんの職業意識を疑いたくなります。
葬儀社側の皆さん方は ご導師に対しては 低姿勢の中にも毅然とした態度で接したら良いと思います。
本願寺派のお坊さんに限りませんが 必要以上に恭しく持ち上げられることに抵抗を持っている人は多いです。「ありがたいご読経」のアナウンスや 僧侶の入退場時の会葬者への会釈の強要など 私もあまり好きではありません。
言葉で 必要以上に持ち上げるよりは、導師はどんなお葬式をしようとしているのか、を汲み取っていただき 司会者・スタッフ一同 導師の心で葬儀を執り行って欲しいと 私も思います。導師の心が汲み取れるようになるためには 宗教的な部分も含めて 皆さん方にも勉強していただくことが必要です。
あなたが 心を痛めている お坊さんと 司会者の呼吸と言うかタイミングが良く合うことが 一番と思われる気持ちは良く分かります。その通りだと私も思います。しかし それは お葬式が お別れショーとして捉えればでして、厳選な宗教儀式だと考えているご導師にとっては ナレーションの途中で 「おかみそり」をする事と言うか、そもそも宗教儀式に ナレーションは必要と思っていらっしゃるかどうか、「おかみそり」の儀式の邪魔をするな、と言うことでしよう。
ご葬儀は 故人様とご遺族の気持ちを大切にしなければなりませんが、私達僧侶は お葬式の宗教的意味・宗教性もより大切にしたいと思っております。
一度 司会者の皆さん方と 質疑応答会をやりましようか。
友引の日に会館をお借りして 勉強会を是非やりましよう。
頑張ってください。
新米の 司会者さん コメント有難うございます。
新米のあなたが ご導師と打合せをする際、小さくなってドキドキしながらお話している様子が手に取るように目に浮かびます。「習うより慣れろ。」ですから とにかく経験を積んで慣れていくことが一番だと思います。
そうは言っても もうあなたはプロですし、実際のご葬儀の司会をなさっておりますので 対策を立てる必要はありますネ。
①ノートを作りましよう。ノートの見開きの左右の2ページが 例えば 「称讃寺」です。例えば 7/9の○○家の葬儀打合せ、ご導師の紹介・ご焼香のタイミング・転座の有る無し・弔電のタイミング・最後の回向句、・・・・。一度担当したら 書いておきましよう。次またこの「称讃寺」を担当するときは 打合せの前にノートのこの部分に目を通した上で 打合せをしましよう。例えば アナウンスとおりんが重なってしまった、とか アナウンスが終わっていないのに お坊さんが立ってしまった、とか うまくいかなかった点も必ず書いておき 次回の参考にするといいでしよう。
②初めて担当する ご導師の場合、先輩の司会者さんに 例えば 「称讃寺」はどんなことに注意したらいいですか?と聴いてみることです。
③何でも気軽に相談できる お坊さんを作っておくことです。困ったこと、分からないことなど 何でも聴いてみましよう。分かってないのに 分かった振りをするのが一番ダメで それは進歩がありません。
※4~5年前は ベルモニー葬祭の司会を担当するオオタプロデュースの方数人と私とで会合を友引の日に持ったことがありました。
「会葬者に○○を指摘された。」「喪主さんに××言われた。「お坊さんに しかられた。」「ベルの担当者に しかられた。」・・・・、色々なお話や疑問点をお聴きし 対策を私がお話したりしておりました。
私でよければ 何でも質問してください。このブログでもホームページのメールでもいいですし、ホームページには この称讃寺の電話番号・携帯番号も公開しておりますので お気軽にご連絡下さい。
また 友引の日などに 同僚の方と 私とのミーティングをやってみるのも一案です。私は都合が合えば ボランティアでアドバイスをさせて頂きます。
※私の持論ですが、威張っているお坊さん程 大した事はありません。本当にすばらしいお坊さんは 初めての司会者の方に対しても頭は低いものです。
頑張って下さい。お手伝いしますので、何なりと申し付けて下さい。