称讃寺の和尚さんの独り言。お坊さんって こんなんでいいのかなぁ~と思いながらの毎日です。ナマクラ坊主のブログです。

浄土真宗本願寺派(西本願寺派)称讃寺の住職の瑞田信弘です。毎日忙しくしておりますが、ふと気づいた事を書いてみます。

諦観さんから 葬儀についてのコメントを頂きました。

2010年11月15日 00時08分24秒 | インポート

諦観さま

大変ありがたいコメントを頂き誠に有難う御座いました。

確かにご指摘のように、葬儀での遺族・親族・会葬者は 宗教者が真宗でも真言宗でも神道でもキリスト教でも 葬送に対する意識は同じなのかもしれません。日本人の民俗学的な切り口での考察が必要だと 私も思いました。

葬式が 葬送から 告別へと 意味合いが変化しているような気がします。

あの世・お浄土へ皆で送るという意識でしたら 宗教者は絶対必要ですし、葬儀は無くならないと思いますが、お別れという意識になれば 必ずしも宗教者は必要でないし 家族だけで・・・、と言う事もあり得ます。

又、宗教者の力不足で、今や 葬式は 葬儀社が仕切るようになり 一種のショーになってしまいました。その事が 結果として 葬儀に対して意義を見出せなくなりつつある様な気がします。

葬儀社・宗教者がそれぞれの役割・責任を再確認する時に来ているのかもしれません。