正しい道を司る

八ヶ岳・小淵沢の地で『真理』を探究する

旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅~ (No005)甲斐の国(山梨県)韮崎宿・甲府柳町宿 間(塩崎駅)から石和宿(石和温泉駅)まで

2021年12月14日 | 旧甲州街道歩き旅
唐突ですが…

山梨県立美術館に
ジャン=フランソワ・ミレーの

《種をまく人》
《落ち穂拾い、夏》

収蔵されているんですって!

そうなんだ…




古来より、様々な想いをを胸に人々が往来したであろうこの街道。当時の様子など、リアルにのぞき見ることはかないませんが、そこに立ち・街道を歩けば感じ得る何かが体感できるのでは…と、お江戸日本橋まで歩き旅を始めた次第です。

街道とは、
徳川家康の時代、通信や物流を強固に整える可くで主要五街道(東海道、中仙道、甲州海道、奥州海道、日光海道)の整備を進めた。※東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中へ名変。後に明治政府が甲州道中から甲州街道へ改名しています。

甲州街道の成り立ち。
徳川家康の江戸入府に際し、江戸城陥落の際の甲府までの将軍の避難路として使用されることを想定して造成されたという。危機の際、服部半蔵の手引きにて半蔵門より甲州街道へ。沿道の四谷に伊賀組・根来組・甲賀組・青木組(二十五騎組)の4組から成る鉄砲百人組を従えて八王子にて千人同心の足軽兵力と共に徳川家親藩の甲府城までいったん避難した後に江戸城奪還を図るためと一説では言われています。


さて本日の行程は…

JR石和温泉駅近くのコインパーキングへ。石和温泉駅より塩崎駅まで移動後、駅前よりスタート。韮崎宿・甲府柳町宿間(塩崎駅)より甲府柳町宿を歩き、本日のゴールは石和宿(石和温泉駅)。



では、
旧甲州街道・お江戸日本橋まで
歩き旅
スタートです。



駅まで行く道すがら、朝から美味しそうな煙が…



あーら不思議!
動画だと見えます。見えています。奇跡なんです(* ´艸`)クスクス
最新鋭の看板!?これぞ焼肉



本日のコーデ(と言いつつ普段と変化なし)
本日もお世話になりますJRさん。


で、
なんじゃこの巨石は!


 塩崎駅より旧甲州街道へ出てすぐの坊沢川橋横に何やら存在感が大ありの巨石があります。この巨石は『泣石』と伝えられており、甲斐市教育委員会によれば…

下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約三、八m、巾約ニ、七m、奥行約三、七mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が絶たれてしまった。 

天正10年(一五八ニ)三月二日、高遠城が落城すると武田勝頼一行は完成したばかりの新府韮崎城に自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。その途中、勝頼夫人はこの地で燃える新府韮崎城を振り返り涙を流したという言伝えがある。  





勝頼のお嫁さんは二人いた。

龍勝院
武田信玄と織田信長は政略的な意図で、織田信長養女、龍勝院を永禄八年(1565)勝頼に嫁がせ、永禄十年(1567)に嫡男、信勝を出産の際に死去したという。

北条夫人(名は不明 )
武田勝頼と北条氏康は政略的な意図で、北条氏康の6女(名は不明 ・14歳)を天正五年(1577)勝頼の正室として嫁ぐ。そののち織田・徳川連合軍の甲斐侵攻を受け、天正十年(1582)日川渓谷の天目山麓・田野景徳院にて自害(享年19歳)。
因みに勝頼(享年37歳)・信勝享年16歳)も共に自害


19歳で目にしたであろう出来事や、この後の事を思うとね。
そしてなんと北条夫人の弟は上杉景虎です。

うぅ~む、何とも悲しや兄弟の運命…。




さぁ、進みましょう。

レンガ造架道橋


明治三十六年(1903)中央線敷設当初に架橋されたもの。上部には現代の中央線が走る架道橋がかぶさっています。


すぐ横に丸石信仰の道祖神が!


新(下)旧(上)の丸石道祖神。



自性院の石畳は明和二年(1765)敷設とな!


1765年の九年前と言えば、1756年ロシア船が釧路に現れ、女性を拉致して大砲を放ったとのこと。あんた、ペリー来航する約100年前の話でっせ、旦那。(1792年は根室に大黒屋光太夫なのだぁー)



その昔、悪路の坂だった。


現代の甲斐市竜王町新町にある赤坂の地名は、その名の如く赤土の坂で、一旦天候が崩れると赤土がぬかるみ、行き倒れの旅人が多かったとのことです。


赤坂供養塔


この塔は甲州街道(信州往還)の赤坂道沿いに建てられましたが、明治6年(1873)頃に竜王川の石橋に転用され、その後明治19年(1886)もとの場所に再建、さらに明治24年(1891)現在地に移建されました。甲斐市生涯学習文化課より

なんでもありの明治初期…おそるべし



昔はもっと急坂だったのかな。



都会エリアに突入!?


♪思えば遠くに来たもんだ。



推定樹齢三百年・上石田のサイカチ

サイカチは湿った所に自生する樹木で貢川沿いにあります。又、貢川村は幕府直轄地。


荒川橋

ここは見晴らしがいいね!
荒川橋から望む



甲府・山梨県のメインストリート⁉


この先は甲府駅。
久しぶりの街中でキョロキョロ~



おぉ!ここが印傳屋 上原勇七 本店だ!


感謝デーだって、すごい人人ひと。



うわっ!いろんな意味で、なんとも芳ばしい…


なんじゃ???



ワンダーランド⁉ 松栄堂

米ぬか・竹炭など、こぬか壮快パンの松栄堂。


あのお方も…


店内は更にすごい!何ともそそるpopが沢山!是非ご自身の目で…hpもあります。


相方はお気に入り!


それなりにうまかったです。はぃ。



甲斐善光寺を横目に…

立派だ!



おっ、山梨県のソールフード⁉ 富士アイス 甲府東店

食堂も併設していていい香り~



食べたい…


いゃ、今回の昼食はここじゃない。



これがあるじゃないか!じまんやき


黒餡うまし!



キャラメルも、うまし!



富士アイスおそるべし


小腹充填完了!ゴールはもうすぐ。



ここがあの箱根駅伝の…


どっかーんと聳えていました。



左が青梅街道、右が旧甲州街道


ここからの青梅街道は大菩薩峠、青梅を経て内藤新宿から甲州道中へ。旧甲州街道の評判の悪い「鶴川の渡し」を避ける旅人でここから青梅街道へ行く人が多かった。


笛吹市に入る~


近くに流れる平等川の由来は京都宇治川に匹敵するくらい蛍が見事なところから平等院にちなみ平等川となったとのこと。


川田道標


おゃ、もしや大山って神奈川県のかな…


見慣れた文字~うれし~



何だかんだで本日のゴール石和温泉駅に着!

やったー!



で、本日のお昼は…
山梨県のソールフードと云えば「ほうとう」。


ほうとう(餺飥)は、山梨県を中心とした地域で作られる郷土料理。2007年には農林水産省により各地に伝わるふるさとの味の中から決める「農山漁村の郷土料理百選」の中の1つに選ばれている。 かつて山梨では「ほうとうをうてないと嫁に出せない」と言う文化もあった。 wikipedia


うまいよぉーほうとう。

小作にて




本日の行程 甲斐の国(山梨県)韮崎宿・甲府柳町宿間(塩崎駅)から甲府柳町宿を経て、石和宿(石和温泉駅)まで。

16.39km(10.18 マイル )5時間30分




そんなこんなの今日も良き日。






人生万事塞翁が馬



『清沢哲夫の詩』
この道を行けば
どうなるかと危ぶむなかれ
危ぶめば道は無し
踏み出せば
その一足が道となる
その一足が道である


わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ



やることを
やりきったならば
後はお任せ。


だから 大丈夫!

そう、
あなたなら大丈夫!


あなたのもとへ
今日・明日も
しあわせが訪れますように。


そなえよつねに
ありがとうございました。


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2 コメント

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Unknown (tadashii-michi-tukasadoru)
2022-01-08 12:21:53
はい、よく見えて感動しました。歩き旅にとって天候は大変重要だとあらためて思いました。
返信する
富士山 (ウォーク更家)
2022-01-08 12:07:13
赤坂からの富士山、くっきりと見えて良かったですね。
私も、ここは富士山が良く見える場所だと期待していたのですが、残念ながら雲に隠れて見えませんでした( ;∀;)
返信する

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