ブログの3000文字制限にて細分化。
早速ですが
其の二
スタートです。
親鸞聖人や日蓮大聖人、芭蕉も通ったようあん坂
振り返ればなるほど、
それはもう上り坂でした。
旧田中銀行社屋
勝沼郵便電信局舎として建てられ後に
山梨田中銀行の社屋として利用された洋風建築。
三階造りの土蔵
バベルってます。
豪商・仲松屋
珍しい商家建築。
池田屋・勝沼本陣跡 槍掛けの松
大名や公家衆が宿泊すると
その目印に槍を立て掛けた松。
勝沼氏館跡
勝沼氏は信玄の父武田信虎の弟信友の家系で、御親類衆として武田軍団の一翼を担い信友はこの地に館を構えた。子の信元は逆心の疑いを掛けられ信玄に滅ぼされた。その後も武田氏による甲斐国支配の重要な拠点として重臣が治めていった。
いよいよ甲府盆地を出て谷間区間へ
これから進む方向
振り返れば甲府盆地
久しぶりの20号線
大善寺
天下統一を競った武田信玄亡き後、勝頼は織田徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正十年(1582)3月3日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、大善寺で戦勝を祈願して一夜を明かしました。
しかし、武田家再興がかなわないと見た家臣の大半は夜半に離散し、また、岩殿城主小山田信茂の裏切りに合い、勝頼主従は天目山を目指しましたが、織田徳川の連合軍に行く手を阻まれ、ついに3月11日、勝頼以下一族と家臣は自決し、新羅三郎義光以来五百年続いた甲斐源氏も滅亡しました。
その一部始終を目撃した理慶尼が記した「理慶尼記」は「武田滅亡記」ともいわれ、尼の住んでいたこの大善寺に保管されています。
勝頼の家臣たちは、勝頼を最後まで裏切ることなく守り、戦死しましたが、その子供たちは後に徳川家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されました。勝頼の「宿」となった薬師堂にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が安置されています。 柏尾山 大善寺
近藤勇 柏尾山の戦い
旧幕府軍と新撰組は、慶応四年(1868)薩摩藩兵を中心とする新政府軍と鳥羽・伏見の戦いで敗れ、大坂から江戸へ帰還しました。その後、近藤勇を隊長とする「甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)」として新政府軍の東進を阻止する目的で、甲府城の接収を命ぜられ、甲州街道を西へ進みます。
しかし、板垣退助率いる新政府軍3000の一隊はわずか一日の差で甲府城に入城しました。近藤は援軍要請のため土方歳三を江戸へ向かわせる一方、自身は西進し3月5日勝沼に布陣。大善寺に本陣を置こうとしたが、大善寺には徳川家縁の寺宝があるという理由から諦め、大善寺の西側に先頭、山門前及び、東側の白山平にいたるまで細長く配置されたとされています。(甲府城代の佐藤駿河守「ひとまず甲府を引き払い、江戸で旗本と合流し、抗戦すべし」との結論を出し、城を放棄してしまった。この情報が隊に知れ渡り脱走が起こる)当初300名いた隊員は次々と脱走し、このときわずか121名だったといわれています。(新選組の古参約二十名以外は戦闘経験のない烏合の衆であった)
戦闘は3月6日正午頃から始まりましたが、わずか2時間程で甲陽鎮撫隊は江戸へ敗走することになりました。 柏尾山 大善寺
総崩れとなり、八王子まで後退し甲陽鎮撫隊は解散した。近藤は流山で官軍に捕らわれ板橋刑場にて斬首、首級は塩漬けにされ京で晒された。
あぁ無常…
近藤勇もこの門前で…
柏尾古戦場跡
官軍と甲陽鎮撫隊との激戦地
旧柏尾橋(刎橋(はねばし))跡
江戸時代の橋台・刎橋(はねばし)とは、江戸時代の日本に存在した架橋形式である。
うわ、橋台に家が…
柏尾白山平経塚
石組の中に経筒等が埋蔵されていた。出土した金銅製経筒等は重要文化財として東京国立博物館に保存。
谷底の日川を覗く
すっげー谷。
旧街道へ
上の構造物は国道20号線
谷間はすぐ日が陰るのじゃ
急げ若人、いゃ中年。
古跡武田不動尊
落ち延びるとき勝頼は武田の守り本尊として奉持していた不動尊を里人に託した。
観音堂へ登る急坂
途中、余りにも怖くて撮影出来ず。
聖観音堂
本尊は聖観音菩薩で京都清水より勧請したもので養蚕の守護神として信仰が篤かった。
馬の藁沓(わらぐつ)
馬の藁沓(わらぐつ)を奉納する習慣がある。
古今絶景也
歌川 広重 は境内からの景色を「古今絶景也」と評している。
では、西側へ進みましょう。
旧甲州街道歩き旅 聖観音堂
鶴瀬関所跡
甲州十二関のひとつ鶴瀬の口留番所跡
入鉄砲に出女
日川
三日川とも呼ばれた。武田勝頼勢の流血で流れが三日濁ったとのこと…
山あり谷ありと大変な道のり末の悲しいい結末に我思う…。
武田勝頼公 腰掛石
武田菱が浮いて見えるところから「菱石」とも呼ばれた。
旧甲州街道歩き旅 007 で歩いた地点に合流!
晩秋に歩いていて良かった~
甲斐大和駅までは後ちょっと!
スッカリ酔いは醒めました。
本日・今年のゴール!
旧甲州街道・お江戸日本橋まで歩き旅~
(No006)甲斐の国(山梨県)石和宿(石和温泉駅)から鶴瀬宿(甲斐大和駅)まで
其の二
完
長々と
お読みいただきありがとうございました。
人生万事塞翁が馬
この道を行けば
どうなるかと危ぶむなかれ
危ぶめば道は成し
踏み出せば
その一足が道となる
その一足が道である
わからなくても歩いて行け
行けばわかるよ
やることを
やりきったならば
後はお任せ。
あなたのもとへ
今日、明日も
しあわせが訪れますように。
そなえよ つねに
ありがとうございました。