甲子園きっぷ  yama’s stadium☆彡

~球児たちの あしあと~

兵庫球児100年のあしあと 53

2018-07-06 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 53


第99回大会、昨夏は春夏を連覇した神戸国際大附属が輝く一年だった。

昨年チームの森田選手は、2年前主将を務めた森田選手の弟。

森田選手のお父さんともご縁があり、兄弟とも国際での活躍を見させていただいた。

兄の森田主将の夏は惜しくも明石商業に阻まれ甲子園へは辿り着けなかった。

弟、森田選手はその想いも胸に、夏甲子園で輝いた。

それは森田選手だけではなく、この年の現役選手やOB、親御さん方も

あの夏の悔しさを持った夏だったかもしれないが、仇討と言うより

選手たちは夢掴むために一瞬々を一所懸命。

甲子園でものびのびプレイする姿の方が印象に残る夏だった。

甲子園でも大活躍した谷口選手は今夏2連覇を狙うチームの柱にまたなることだろうと楽しみである。


神戸新聞に連載された球児たちが創ってきた第1回大会から99回の長い年月。

私が全く知らない90回分の兵庫の高校野球で名を残した選手たちや時代の背景など、

高校野球に興味が沸き応援してきた99回大会までを短期間のうちに一気に知り、振り返ることができた。

記事には決勝を中心に書かれてあるが、その年代の大会々には、

それだけでは知り得ることができないくらいの本当に多くの球児たちの頑張りや苦楽があったと思う。

改めて99回の兵庫高校野球の歴史を創って来られた選手たちに、ありがとう。

貴重な兵庫球児のあしあとを99回大会にわたり連載いただいた神戸新聞、記者の皆様に感謝致します。

この年は、このチームが優勝・・・ということは容易に知ることができるが、

その中にある選手や指導者の気持ちやエピソードなどは、なかなか全部知ることなんて難しい。

たぶん捨てられる運命にある新聞紙。

99回分の兵庫球児の歴史が詰まったこの連載を捨てられるなんて、

あまりに残念だなと思い勝手に転写させていただきました。

神戸新聞社様 もし不都合かあればお連絡下さいmーーm。

知らない90回大会分を興味深く、見てきた9大会分を懐かしく思いながら、

記者様が書かれた一字一句を間違わないよう手書きせていただきましたが、

不注意で間違いなどあればご容赦下さい。

記事を見れて、この年の〇〇の時は、応援バスに乗って行ったんや~とか、

懐かしく見ましたなど、その年代に居た選手や応援者の方々から声を届けていただきました。

兵庫の99回の夏には99回分の・・・色々な思い出や想いがあることが素敵だなと思うと同時に、

99回分の兵庫球児たち、そして幻となった甲子園、地方大会に居た選手たちの想いを繋いで

いよいよ100回目の夏、これから先の100回への兵庫球児たちの挑戦の夏が始まります。

兵庫球児100年のあしあとに名を残すのはどのチームなのか・・・

今夏も多く球場で応援できたら、見届けれたらいいなと思います。


第99回大会(2017年)

~神戸国際大付 春夏連覇~


第99回大会決勝で明石商業を下し、春夏連続の甲子園出場を決めた神戸国際大付ナイン


強豪校が階段をまた一歩上がった。

2017(平成29)年の第99回大会は、神戸国際大付が3年ぶり2度目の優勝。

激戦区・兵庫で10年ぶりの春夏連続甲子園出場を果たした。

エース岡野佑大ー猪田和希の強力バッテリーを軸に7試合で3失点と盤石だった。


選抜大会4強後に永田裕治前監督からタクトを繋いだ大角健二監督率いる報徳との準決勝では、

1-1の六回に猪田が決勝ソロ。

下級生主体ながら3年続けて勝ち上がった明石商との決勝も、一回に猪田が先制弾を放ち、岡野が3安打で完封した。


明石商業の3年連続準優勝は1951~53年の育英以来。

神戸国際大付は、同校生徒が考案した第99回全国選手権のキャッチフレーズ

「じぶん史上、最高の夏」の通り、夏の甲子園初勝利も挙げた。


神戸新聞 山本哲志氏 =おわり=


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41~50
第78回~第94回大会(1996~2012年)


兵庫球児100年のあしあと 51
第95回大会(2013年)
第96回大会(2014年)


兵庫球児100年のあしあと 52
第97回大会(2015年)
第98回大会(2016年)


兵庫球児100年のあしあと 52

2018-07-06 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 52


2015年 第97回大会も多くの野球の息子たちの最後の夏を見届けた夏だった。

滝川第二と決勝を戦った明石商業にも中学1年生から知る選手がおり、

明石商業のこの夏は2回戦から5試合を応援に行った。

2回戦の洲本戦は、その後の明石商業の夏へ勢いを与えたと感じる大熱戦となった。

9回2死満塁・・・5番和田選手の逆転サヨナラ3点タイムリーは今見ても鳥肌が立つ。



この後、和田選手とは縁ありお友達に♪ 

今でも球場で会うと律儀に挨拶に来てくれる好青年だ。

洲本球児ともこの後ご縁あり交流が生まれ、この対戦を話す機会があった。

2015 夏のmemory♪ 第97回全国高校野球選手権兵庫大会 明石商業 洲本球児たちの夏☆彡

3回戦 明石西戦は、中学硬式チームでチームメイトだった野球の息子同士のドリームマッチ。

こんな対戦が観れることに嬉しさ反面、どちらかの夏が終わってしまうことが分かりながらの応援だったので、

1番辛い気持ちが沸いた一戦だった。

2015 夏のmemory♪第97回全国高校野球選手権兵庫大会3回戦 明石西vs明石商業 ~繋ぐ夏 終わる夏~

4回戦 姫路工業を8-1(7回コールド)、5回戦 育英を7-0(7回コールド)

勢い加速して準々決勝 報徳戦(4-1) 

報徳学園から明石商業へ夢繋ぐ願い鶴が託された。

長谷主将の行動に胸熱くなった。



そして、準決勝 神戸国際大附属戦も本当熱い対戦だった。

前半の国際の勢いに、やはり強い!と思った始まりだったが、

終盤の明石商業の粘り、絶対負けない!という気持ちが延長に持ち込んだ。

翌年新チーム主将となった大西選手のサヨナラホームランで熱戦に決着が着いた対戦。

球場中がざわめきというより、何が起こったのか・・・と一瞬時が止まったかのように

静まり返ったあとの歓喜の渦の中に涙流した国際球児の姿は今も心に残る。


滝川第二と西脇との準決勝も観戦した。

西脇には、小さな巨人と親しみを込めて名付けた注目する小柴選手も居て楽しみな一戦だった。

西脇が初回に先制スタートダッシュするも、滝川第二は2回3回と1得点づつ挙げ逆転すると

そこからは西脇 藤本投手と滝川第二 森投手との投手戦となり、僅差で滝川第二が決勝へ。

決勝戦はテレビで観戦した。

明石商業は初の決勝進出で準優勝となり、この決勝から3年連続で決勝の舞台に立ち、

今夏、4度目の決勝進出、悲願の夏優勝を目指す。


第98回大会は、市立尼崎が1983年第65回大会以来33年の時を超えて優勝。

5回戦 西宮今津戦は延長15回引き分け再試合となり、再試合では2-1と接戦で勝利。

再試合を勝ち切った市立尼崎は勢いがつき、準々決勝では、

そこまで順調に勝ち上がってきた報徳学園との一戦を、またもや1-0の接戦で勝利。

この2試合の勝利、特に西宮今津戦の勝利は、優勝へ勝ち抜く大きな原動力、自信になったのではないかと感じる。

社との準決勝を5-3で勝利し、秋から無敵の明石商業との決勝へ。

市立尼崎 平林投手と、明石商業 吉高投手との両エースが先発。

先制した市立尼崎だったが、明石商業がすぐさま逆転した前半。

中盤、明石商業の好機を好守で凌ぐと、後半7回に思わぬ展開がやってきた。

2死1、2塁のチャンスを作った市立尼崎は、次打者1番飯田選手のレフト前ヒットに走塁妨害の判定。

2-2の同点になる。

8回には明石商業 吉高投手から三浦投手へと継投。

この継投も、市立尼崎にとって試合を良い転機とする方向へ繋がった継投だったと感じた。

お腹に打球が当たってしまうというアクシデントもあった市立尼崎 平林投手が

8回 甲子園への決勝打を放って見事な優勝を飾った。

第95回大会で優勝した西脇工業と同じように決勝の舞台で戦えることを楽しんで

生き生きした表情で戦う市立尼崎にはあるなと思いながらテレビで観戦した。


市立尼崎 前田主将の甲子園での選手宣誓には、そこまで頑張ってきた多くの同志を想い、

胸熱くなりながら見させていただいた。

ベンチ入りできなかった仲間へ想いを寄せて持ってここまで頑張ってきた前田主将の気持ちにも感動する夏だった。

この後、前田主将の父とはご縁をいただき、今も交流を持たせていただいている。

あの時の様子など伺うこともあり、選手たちは多くの人たちに支えたれて頑張れていることを

身近に親として見守られてきた方からの言葉から改めて感じる。

甲子園への夢は選手たちだけの夢ではなく、多くの人の夢も乗せて選手たちは向かう。

33年ぶりの甲子園では、八戸学院光星との初戦、延長10回を戦い5-4で惜しくも敗れたが、

たくさんの人の夢を担って素晴らしく清々しい姿を魅せてくれた。

2016 夏!甲子園 選手権兵庫大会 決勝 市立尼崎 優勝おめでとう☆彡

初めて行った夏の開会式
2016 夏!甲子園☆彡




第97回大会(2015年)

~100年目の節目、滝川第二制す~


創設100年を迎えた第97回の夏の甲子園大会で入場行進をする滝川第二ナイン


1915年の第1回大会から1世紀。

100年の節目を迎えた2015(平成27)年の第97回大会は、滝川第二が3年ぶり4度目の頂点へ上り詰めた。


08年の東西分割大会を除くと、ノーシードからの優勝は05年の姫路工以来。

2年生友井寛人の安定した投球と勝負強い打線が光り、

俊足の1番根来祥太が8盗塁を記録した。


準優勝の明石商は創部初の決勝進出だった。

最後は滝川第二に2-8で敗れて力尽きたが、準決勝では前年夏から県内無敗を誇った

神戸国際大付を延長十一回の末にサヨナラで下すなど、公立の雄の地位を確かにした。


この年の春の選抜大会は33年ぶりに兵庫勢が1校も出場できなかった。

地元ファンの期待を集めた滝川第二は全国選手権1回戦でサヨナラ勝ちしたが、

2回戦で準優勝の仙台育英に敗れた。



第98回大会(2016年)

~市尼崎 涙の33年ぶりV~


第98回大会で33年ぶりの栄冠に輝いた市尼崎ナイン


公立校同士の決勝は8年ぶり。

2016(平成28)年の第98回大会は、市尼崎が選抜大会ベスト8の明石商業を3-2で破り、

池山隆寛(元ヤクルト)を擁して初優勝した第65回大会以来、33年ぶりに王座を奪回した。


右腕平林弘人が大車輪の活躍を見せた。

4回戦で選抜大会出場の長田・園田涼輔に投げ勝ち、引き分け再試合となった5回戦の西宮今津戦、

3連投で完封した準々決勝の報徳戦など7試合57イニングの熱投。


00年の監督就任から17年越しで悲願達成した元プロ投手の竹本修は

「ここまで長かった・・・」と男泣きした。


甲子園では前田大輝主将が選手宣誓をし、尼崎市制100周年に花を添えた。

エース吉高壮を擁して2年連続準優勝の明石商は、02年の報徳以来となる

秋春夏の県大会3冠を目前に涙をのんだ。


神戸新聞 山本哲志氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41~50
第78回~第94回大会(1996~2012年)


兵庫球児100年のあしあと 51
第95回大会(2013年)
第96回大会(2014年)


兵庫球児100年のあしあと 51

2018-07-05 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 51


第95回大会は西脇工業が、第96回大会は神戸国際大附属が初優勝。

2校が新たな甲子園の扉を開いた夏。

この2大会決勝もテレビで観戦した。


第95回大会は、西脇工業の選手たちの笑顔が印象に残る決勝戦だった。

笑顔って凄く大きな力を集める・・・

「負けることへの怖さはなかった」

挑戦の決勝戦、笑顔が肩の力を抜いてくれたのかもしれないな。

この舞台で戦えることを楽しんでいるように私には見えた。

印象深い、いいチームだった。

初出場の甲子園では、1回戦 石見智翠館に4-1で勝利。

2回戦 木更津総合に3-1と惜しくも敗れたが、47000人もの観客が見守る中、

西脇工業球児たちは、甲子園で野球ができることを楽しんでプレーしていたように見えた。

2017年秋季県大会準優勝 明石商業との接戦の決勝戦 3-2

2018年春季県大会 4強 市立尼崎との3位決定戦 5-4 

と、今チームも強さが光る。

もうすぐ始まる兵庫の夏でも、またあの時のように笑顔を力に変えて2度目の甲子園へ!


第96回大会は、神戸国際大附属が悲願達成。

記事にもあるように、春の大会で心配になったエース黒田投手の復活が嬉しい国際の夏だった。

「投げれることが楽しい」

社との準決勝を観戦に行き、言葉の通り黒田投手の自信に溢れた投球、表情が印象に残る。


決勝を戦った三田松聖も力強い夏だった。

決勝こそ大差の対戦になったが、4回戦まで無失点勝利。

5回戦の東洋大姫路戦は1得点を争う大接戦となった。

準々決勝 市立西宮を3-1で勝利し、準決勝 関西学院戦では延長10回に

接戦を勝ち抜いてきた力を発揮し3得点 さすがの強さを魅せ初の決勝進出を決めた。

この夏は私にとっても、中学1年生から知る多くの選手たちの最後の夏を見届けた

忘れ難い思い出深い大会だった。

2014夏☆高校野球 兵庫大会 準決勝

2014夏☆高校野球 兵庫大会 決勝 ~神戸国際大附属高校 優勝おめでとう~


第95回大会(2013年)


~北播勢初、西脇工が歓喜~



第95回大会で初の甲子園に導いた西脇工のエース翁田勝基投手


「駅伝名門校」の球児が春夏を通じて初の甲子園出場を遂げた。

2013(平成25)年の第95回大会は、西脇工がエースで4番翁田(おうた)勝基を柱に

驚異的な粘りで強豪を連覇し、北播勢初の優勝旗を手にした。


東洋大姫路との決勝は、2-2の九回2死満塁から今井哲也の打球が右翼手の前のポトリ。

延長十四回に及んだ3回戦の淡路三原戦、準々決勝の明石商戦に続く、

大会3度目のサヨナラ勝ちで甲子園を決めた。


前年まで夏8強が最高成績の公立校の快進撃。

監督の木谷忠弘は「無敵の優勝」と振り返る。

接戦を勝ち上がる度に勢いづく一方、「負けることへの怖さはなかった」という。

決勝の朝も驚くほど落ち着いていたというナインは、甲子園でも伸び伸びプレー。

兵庫の公立校では明石以来、29年ぶりの夏1勝を挙げた。



第96回大会(2014年)

~神戸国際大付、宿願果たす~



第96回大会で夏の甲子園初出場を決め、笑顔の神戸国際大付ナイン


2014(平成26)年の第96回大会は、神戸国際大付が宿願を果たした。

春は3度の選抜大会出場を誇り、05年には甲子園4強も経験した強豪が、ついに「夏の壁」を破った。


毎年のように優勝候補の一角に挙げられ、プロ選手を数多く輩出しながらも、兵庫大会は決勝で3度の敗退。

だが同校主将、西俊洋の選手宣誓で幕を開けた大会は、

両膝手術など度重なる怪我を乗り越えたエース黒田達也の好投に、切れ目のない打線が呼応。


決勝では初進出の新鋭三田松聖を11-1の大差で退けるなど7試合すべてで先制し、3点差以上をつけて勝ち切った。


1991年秋から母校を率いる監督の青木尚龍は

「いつも誰かがけがをしていたり、長丁場のどこかで痛めたり。

この年は逆に黒田が戻って万全の状態で戦えたのが大きかった」と回想する。


神戸新聞 山本哲志氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41~50
第78回~第94回大会(1996~2012年)


兵庫球児100年のあしあと 41~50 第78回~第94回大会

2018-07-04 | 高校野球

兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)


兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)


兵庫球児100年のあしあと 45
第84回大会(2002年)
第85回大会(2003年)


兵庫球児100年のあしあと 46
第86回大会(2004年)
第87回大会(2005年)


兵庫球児100年のあしあと 47
第88回大会(2006年)
第89回大会(2007年)


兵庫球児100年のあしあと 48
第90回大会(2008年)
第91回大会(2009年)


兵庫球児100年のあしあと 49
第92回大会(2010年)


兵庫球児100年のあしあと 50
第93回大会(2011年)
第94回大会(2012年)


兵庫球児100年のあしあと 50

2018-07-04 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 50


2011年の夏・・・全国の頂点に立ったのは西東京 日大三高

三高の応援に連日通った甲子園、私にとって最も大きな思い出が残る熱い夏だった。

兵庫の夏も熱すぎた夏。

東洋大姫路 原投手と加古川北 井上投手との大投手戦となった決勝は初の決勝再試合に。

この頃には、高校球児が目指す甲子園への想いをようやく深く理解できるようになったことで、

夏敗戦の辛さや悲しさ、寂しさを見ることに心が揺れ動く。

決勝までの敗戦も勿論だが、あと本当一歩で夢破れる姿を球場で目の前に観ることは最も辛い。

だから夏の決勝は球場では観ない・・・そう決めて今まできた。

この決勝もテレビの前でそっと応援した。


そして記事にもある、氷上西と姫路工業とと1回戦

姫路工業が1回18得点、2回2得点、3回18得点、4回33得点を取り71-0

衝撃的な結果だった。

夏ゼロへの自分の気持ちを動かしたこの試合。

この結果を見て氷上西の選手へどう想いを向けるか・・・。

3年生選手の最後の夏へどう気持ち寄せるか・・・。

どちらかのチームに野球の息子や、お知り合いの選手が居たとして気持ち偏ることがあったとしても、

劣勢に立たされている側にも同じ気持ちを寄せて応援しよう!と。

特に3年生には夏ゼロで終わって欲しくない。

頑張ってきた2年半、1でもいい・・・

その頑張りが自分の最後の夏に刻まれるように・・・と。

記事にこの対戦が触れられているのを見てハッとした。

あの時の気持ちを忘れずこれからも応援したい。


2012年 第94回大会

甲子園ではスターが誕生した夏。

今治西との1回戦、22奪三振、10者連続三振、常総学院との2回戦では19奪三振を奪い、

一躍注目を集めた2年生エース桐光学園 松井裕樹投手(現楽天)

今でも楽天戦で松井投手の登板を観るのが楽しみな私。

プロでもやっぱりワクワクさせてくれる投手だ。

兵庫の夏は、1999年第81回大会から13年ぶりに滝川第二が甲子園へ。

惜しくも2年連続準優勝に終わった加古川北だったが、加古川北のスタートダッシュ、頑張りに拍手の対戦だった。


第94回 全国高校野球選手権 兵庫大会 決勝

チーム
滝川第二
加古川北

滝川第二   佐藤-大杉
加古川第二 西嶋(5回)-岡崎(4回)-渋村

~兵庫県高校野球連盟試合速報より~
滝川第二佐藤、加古川北西嶋、両エース先発。
2回裏、加古川北、四球の後藤が本田の左越二塁打で帰り先制。
3回裏、加古川北、二死から山本一塁内野安打、別井右越三塁打で追加点。
4回表、滝川第二、馬場・澤田の連続右前打などで無死2・3塁、一死後大杉の中前打で同点。
二死後佐藤の投前ゴロの悪送球で逆転。
6回表、滝川第二、代った投手岡崎を攻める。
竹上中前打、松尾四球、藤川の右中間二塁打で2点を追加。
8回表、滝川第二、佐藤四球、森の犠打を投手が悪送球で一死1・3塁、松尾の右犠飛で無安打で追加点。
8回裏、加古川北は総力戦、代打吉見・代打田代の連続安打も無得点。
9回裏、加古川北は最後の攻撃、先頭別井左前打も後続無し。


第93回大会(2011年)

~史上初の決勝再試合に~


第93回大会決勝、東洋大姫路と加古川北は延長15回2-2で譲らず、引き分け再試合となった。


兵庫球史に残る名勝負が繰り広げられた。

2011(平成23)年の第93回大会決勝の東洋大姫路ー加古川北は、

延長十五回2-2で両者譲らず、史上初の決勝引き分け再試合にもつれ込んだ。


東洋大姫路が翌日の再試合を6-0で制し、計4時間40分に及ぶ死闘に決着をつけた。

2日間とも東洋大姫路の原樹理(現ヤクルト)と加古川北の井上真伊人の両エースが完投。

原は16三振すべてを直球で奪った前日から一転、再試合では打たせて取る投球で2安打完封。

極度の疲労の中、緩急を自在に操る相手投手の井上を手本に87球の省エネ投球だった。


5年ぶりに復帰した藤田明彦監督と鉄腕エースで「夏の東洋」が再び歴史に名を刻んだ。

1回戦では姫路工業が史上最多得点の71-0で氷上西を下すなど、記憶にも記録にも残る大会となった。


第94回大会(2012年)

~滝川第二13年ぶり制覇~


第94回大会決勝で加古川北を破り、13年ぶりの優勝を決めて喜ぶ滝川第二ナイン


2012(平成24)年の第94回大会決勝は、神戸国際大付や社、前年秋の県大会覇者・報徳と

強豪を連覇した滝川第二と、2年連続で進出した公立の新鋭・加古川北が激突した。

機動力と小技でせめぎ合ったが、右腕の佐藤智貴を中心に

守りで上回った滝川第二が6-2で制し、13年ぶりの優勝。


滝川OBの渋谷卓弥監督(現同大監督)が就任2年目で甲子園に導いた。

前年はサッカー部が全国制覇。

主将の沢田昌吾主将は優勝メダルを手に「滝二はサッカーだけじゃないぞ」と絶叫した。


一方、前年再試合の末に決勝で涙をのんだ加古川北は2年連続の準優勝に終わった。

全160試合の3分の1(53試合)が1点差ゲームで、4回戦以降のコールドゲームは一つのみ。

各校の力が拮抗(きっこう)した大会だった。


神戸新聞 山本哲志氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)


兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)


兵庫球児100年のあしあと 45
第84回大会(2002年)
第85回大会(2003年)


兵庫球児100年のあしあと 46
第86回大会(2004年)
第87回大会(2005年)


兵庫球児100年のあしあと 47
第88回大会(2006年)
第89回大会(2007年)


兵庫球児100年のあしあと 48
第90回大会(2008年)
第91回大会(2009年)


兵庫球児100年のあしあと 49
第92回大会(2010年)


兵庫球児100年のあしあと 49

2018-07-03 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 49


甲子園に1番近い投手・・・

報徳学園 田村投手のことをそう思って観ていたことが懐かしい3年間。

エース大西投手と共に注目を集めた1年生の夏、初めて球場で田村投手を観たのは、

現在公立の強豪に成長した須磨翔風が神戸西、須磨との連合チームで参加していた2010年夏。

報徳学園と、現在ソフトバンクで活躍されている岡本健投手、私の中でNo.1捕手

福田捕手とのバッテリーが注目の神戸国際大附属との準決勝だった。

田村投手を高校野球最後に球場で観たのは、この後の白球回想に出てくる3年生の夏

2012年94回大会4回戦 神戸弘陵戦だった。

この夏優勝した滝川第二との準決勝では、肩痛のため登板を回避、それが田村投手の高校野球最後の日となった。

写真は4回戦 神戸弘陵戦にて先発した田村投手


2010年第92回大会準決勝 田村投手を初めて観た日の記事
夏☆高校野球 兵庫大会 準決勝

2012年第94回大会準決勝 田村投手の高校野球最後の日を書いた記事
夏!高校野球 兵庫大会 決勝へ!


先月、田村投手がご結婚されたとニュースで知り、とても嬉しかったです。

田村選手 ご結婚おめでとうございます


準決勝もう1試合は、東の伊藤(帝京 伊藤拓郎投手)と、

西の伊藤注目を集めた神港学園のスラッガー伊藤諒介選手

伊藤諒介選手の高校通算95本目のホームランを観たい!と楽しみに行った市川戦。

高校野球最後の打席はあとひと伸び!惜しいライトフライだった。

ライトスタンドへ向かう打球に、観客のみなさんがホームランを期待し沸いた瞬間を今も思い出す。

先を見据えて清々しいコメントを残して高校野球を終え、法政大を卒業後現在大阪ガスで活躍中。

兵庫球児100年のあしあと 48で書いた関西学院 山崎捕手と共に

2015年の社会人日本選手権でこの準決勝以来、野球をする姿を観ることができた。

あの日は、伊藤選手と同じ大阪ガスで捕手として活躍をしていた報徳の岸田行倫捕手も

高校時代以来観ることができた夢の饗宴だった。

岸田捕手は昨年のドラフトで巨人から2位指名を受けプロの道へ。

兵庫球児の活躍は本当嬉しいことだ。


また、東の伊藤、伊藤拓郎投手は横浜DeNAを退団後も挑戦し続ける姿をテレビの特集などで知っていたが、

BCリーグ群馬ダイヤモンドペガサスを退団し、今季から社会人野球 新日鐵住金鹿島で現役を続行中。

とても懐かしい記事。

西の伊藤  東の伊藤  Big アーチと Big 弁当 と 栄養学

この夏の輝け甲子園の星☆彡 表紙を飾る選手たちが豪華すぎる年代だ。

その年を回想すると懐かしく、楽しかった時を思い出す。


第92回大会(2010年)

~報徳、県内最多14度目V~


第92回大会で1年生ながらエース格の働きを見せた報徳の田村伊知郎投手


秋の近畿大会王者、神戸国際大付属と神港学園のセンバツ出場2校に、春の近畿を制した報徳。

2010(平成22)年の第92回大会は市川を含めた私学が4強を占めた。

決勝は、3度目の進出で悲願達成を狙う市川を報徳が完封。

県内最多の優勝回数を14に伸ばした。


主役は1年生右腕の田村伊知郎(現西武)。

準々決勝では6回をパーフェクトに抑え、準決勝は強打の神戸国際大付を封じた。

甲子園でもエース大西一成とともに4強入りに貢献。

春夏連覇を果たした興南(沖縄)を追い詰め、「スーパー1年生」と騒がれた。


他校にも実力派がひしめいた。

投手は神戸国際大付の岡本健(現ソフトバンク)、北須磨を16強に導いた2年生桜井俊貴(現巨人)。

打者では高校通算94本塁打の神港学園・伊藤諒介が注目された。

村野工の好打者、野間峻祥は後にドラフト1位で広島入りした。


神戸新聞 山本哲志氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)


兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)


兵庫球児100年のあしあと 45
第84回大会(2002年)
第85回大会(2003年)


兵庫球児100年のあしあと 46
第86回大会(2004年)
第87回大会(2005年)


兵庫球児100年のあしあと 47
第88回大会(2006年)
第89回大会(2007年)


兵庫球児100年のあしあと 48
第90回大会(2008年)
第91回大会(2009年)


兵庫球児100年のあしあと 48

2018-07-01 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 48


第90回大会は、福村監督さん(現 東播磨監督)率いる加古川北が甲子園への道を切り開いた。

まだ私が高校野球へ目を向ける1年前の夏。

この夏の加古川北優勝の瞬間は見逃してしまったが、この後、兵庫球史に残る93回大会、

加古川北は井上真伊人投手擁し、原樹理投手(現ヤクルト)擁する東洋大姫路との

史上初の決勝再試合は色濃く残る熱い夏の思い出となった。


第91回大会・・・とうとうこの夏が来た。

私が高校野球を初めて観た夏。

高校野球っておもしろい!と、今の道を開いてくれた私にとって伝説の捕手兼投手 関西学院 山崎裕貴投手(現ホンダ)

山崎投手がこのblog甲子園きっぷを書こうと思ったきっかけとなった選手なのです。

本当衝撃的な第91回大会兵庫大会決勝。

対戦相手が育英だった・・・ということも大変失礼ながら、後になってそうだったんだと、

この対戦では山崎投手の一挙手一投足だけが今も鮮烈に残る夏だった。

正に記事の写真の瞬間は鮮明に覚えている。

70年ぶりの甲子園出場の凄さもこの時は正直分かっていなかった。

しかも、この決勝が甲子園出場に繋がっている大会だということすら実は知らなかった。笑

この山崎投手がもう1度観たい!それがきっかけで初の甲子園テレビ観戦。

関学アルプスの大応援団が創る新月と奏でる大応援に感動しながら

甲子園で躍動する高校野球、高校球児を初めてテレビで観た。

・・・高校野球や、甲子園を観たことがないなんて~!と信じられないだろうけど、

ほんと高校野球自体に全く興味もなく、たまたまつけたテレビに映っていたのが

この91回大会決勝で躍動しまくる山崎投手。

なんておもしろい選手なんだ~

高校球児ってこんな一所懸命、必死に頑張っているんだ・・・って。

この日、山崎投手を観なかったら今は無いだろうと思う衝撃的な選手だった。

甲子園でも関学選手、山崎投手の活躍がおもしろくて、楽しくて、嬉しくて。

関学は優勝した中京大中京に敗れ終わった夏だった。

河合選手の一発にマウンドで膝から崩れ落ちた山崎投手の姿が印象に残る。

この夏は甲子園球史に残る中京大中京と日本文理との決勝には、

甲子園ってこんなに凄いところなんだ、高校球児って凄い!と思いながら

決勝までの一試合一試合を観させていただいた夏だった。

山崎選手とは2015年11月に行われた社会人日本選手権で、知人を介してお会いすることができました。

その時撮らせていただいた一枚です。



私が高校野球に魅力を感じたきっかけ、一所懸命な選手たちを何かの形で残してみたい、

そう思わせてくれた原点の選手。

夢叶い山崎選手にお会いしお話しができたことは大きな思い出になった。

この91回大会の記事を読んで、あの時純粋にそう思った気持ちと行動の継続を

できる限り続けていきたいな・・・と改めて思った。

そして、もう一度 関学の新月を甲子園のアルプスで観ることは私の夢でもある。


今読むとちょっと恥ずかしい・・・

甲子園きっぷを書き出して今日で3188日目。

2009年10月8日 3187日前に初めて書いたブログ

ブログをはじめよう♪

翌10月9日 やっぱり最初は、関学・山崎投手のブログ・・・懐かしい。
夏のあの日


第90回大会(2008年)

~加古川北、無名の進撃~


第90回西兵庫大会で初優勝を決め、喜ぶ加古川北ナイン


2008(平成20)年の第90回記念大会は10年に1度の東西分割大会。

東兵庫は伝統校の報徳はエース近田玲王(元ソフトバンク)を擁して頂点に立った一方、

西兵庫は公立の加古川北が初優勝。

春夏通じて初の甲子園切符をつかみ、旋風を巻き起こした。


同年選抜大会4強の優勝候補筆頭、東洋大姫路が初戦で姿を消し、波乱が幕を開けた。

東洋大姫路を破った北条は、準々決勝で春季県大会優勝校の社も撃破。

その北条を準決勝で完封したのが、無名の加古川北だった。

古豪洲本との決勝でも前評判をひっくり返し、一気に頂点に駆け上がった。


福村順一(現東播磨監督)の下、頭角を現した加古川北は3年後の選抜大会に出場して8強入り。

初優勝の立役者だった2年生エース岩崎誠司は天理大を経て、現在神戸甲北で監督を務めている。


第91回大会(2009年)

~関学・70年ぶりの夏~


第91回大会決勝、70年ぶりの夏の甲子園出場を決め、歓喜の表情を見せる関学の山崎裕貴投手


70年ぶりの出場は夏の甲子園史上最長ブランク。

2009(平成21)年の第91回大会は関学が戦前の1939年以来となる頂点に返り咲いた。


決勝の育英戦は、広岡正信監督の勝負手がはまった。

正捕手ながら抑え役に指名した山崎裕貴を六回から投入。

0-1に七回裏に代打永井大希が決死のスリーバントスクイズ。

「まだ同点なのに勝ったような雰囲気だった」と広岡監督は球場を埋めた大声援に感謝する。

屈指の左腕堀田健吾と強打の井村展章のバッテリーを擁する育英優位の下馬評を勢いで覆した。


甲子園でも70年ぶりに1勝を挙げた関学は、続く中京大中京(愛知)戦も九回に追いつく粘りを見せたが、

その裏に山崎がサヨナラ打を浴びた。

決勝に進んだ中京大中京は九回2死走者なしからの日本文理(新潟)の

球史に残る猛追を振り切り全国制覇した。


神戸新聞 山本哲志氏

兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



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第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


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第81回大会(1999年)


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第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)


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第84回大会(2002年)
第85回大会(2003年)


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第86回大会(2004年)
第87回大会(2005年)


兵庫球児100年のあしあと 47
第88回大会(2006年)
第89回大会(2007年)


兵庫球児100年のあしあと 47

2018-07-01 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 47


第85回大会決勝の再戦、東洋大姫路が3年越しの積る想いを果たす

神港学園との決勝での顔合わせに、強い気持ちを感じる9回の同点打、サヨナラ打。

5年ぶりに東洋大姫路が甲子園へ帰ってきた。


第89回大会には、そろそろ私も選手の顔や名前が分かる年代に。

今では、もう数年早く高校野球の魅力に気が付いていたらなぁ~なんて思う

現在プロ、メジャーで最前線で活躍しておられる選手たちの黄金期だ。


第88回大会(2006年)

~東洋大姫路、起死回生V~


第88回大会決勝、劇的な逆転サヨナラ勝ちを決める東洋大姫路


「夏の東洋」が劇的に雪辱を果たした。

2006(平成18)年の第88回大会決勝は東洋大姫路が神港学園に九回逆転サヨナラ勝ち。

03年の決勝で延長の末、神港学園に屈した名門が11度目の歓喜に浸った。


47年ぶりの4強入りで話題を集めた加古川東を準決勝で退け、決勝に進んだ神港学園は選抜大会8強の実力校。

東洋大姫路は四回に3点差を追いつかれ、六回に勝ち越しを許す展開だったが、

九回、3番林崎遼が起死回生の同点打。

さらに5番柏原大輝がサヨナラ打を打ち、5-4で逆転劇を完結させた。


夏の甲子園でも躍進を遂げ、20年ぶりに準々決勝進出。

田中将大(現ヤンキース)を擁した駒大苫小牧(南北海道)と激闘を演じ、聖地を沸かせた。

エース乾真大は東洋大を経て日本ハム入り。

主砲林崎も同大学から西武に入団した。


第89回大会(2007年)

~王者・報徳、近田がけん引~


第89回大会決勝、マウンドで笑顔を見せる報徳の近田玲王投手(中央)


2002年の選抜大会優勝以降、兵庫高校球界の中心に君臨し続けた王者・報徳。

07(平成19)年の第89回大会も初優勝を狙った神戸国際大付の挑戦を退け、

県内単独トップとなる12度目の栄冠に輝いた。


02年の大谷智久(現ロッテ)、04年の片山博視(元楽天)ら、絶対的なエースの存在が報徳の特徴。

07年は2年生左腕、近田玲王(元ソフトバンク)がチームの象徴だった。

1年生の春に公式戦デビューし、秋の近畿大会では大阪桐蔭のスラッガー田中翔(現日ハム)に

真っ向勝負を挑み、一躍注目を集めた。


第89回兵庫大会決勝は一回に3点を奪われたが、粘りを発揮。

141球で完投し、春夏連続の甲子園出場に貢献した。

翌年の夏も優勝に導き、全国選手県でベスト8に進撃した。


神戸新聞 松本大輔氏

兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)


兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)


兵庫球児100年のあしあと 45
第84回大会(2002年)
第85回大会(2003年)


兵庫球児100年のあしあと 46
第86回大会(2004年)
第87回大会(2005年)


兵庫球児100年のあしあと 46

2018-06-30 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 46


報徳学園が2年ぶりに甲子園へ帰った第86回大会は、準決勝にスポットライトが当たる。

勝者にとっては劇的、敗者にとっては悲劇的。

記事からその瞬間を球場で見ていたような感覚になった。

初優勝を目前に悲劇的に敗れた社を指揮されておられた当時の森脇監督さんは、

今でも悔いが残ると語られるが、その一戦から14年、これからの時の流れの中で、

指揮官も選手たちにも本当良い思い出だと笑い合える瞬間がきっとくる。

それが高校野球の何より素敵なところであると思う。

多くの先輩たちの夢も乗せて悲願の初優勝を目指す社の夏がもうすぐ始まる。


努力が報われた2005年夏

第87回大会は、1994年第76回大会から11年ぶりの姫路工業が優勝。

翌年第77回大会の覇者は尼崎北と2年連続公立校の優勝からの10大会覇者は

全て強豪私学の名が連なる中、10年ぶりに公立校が優勝を飾った。

優勝に導いたチームの柱、畑井投手は「夏の決勝をイメージして練習をしてきた」と。

試合のための練習をとよく言われるが、分かっていてもなかなか心強く継続的に行うことは難しい部分もあると感じる。

優勝を掴む瞬間を想定した「決勝のための練習」をコツコツと積んできた畑井投手の継続強心、寡黙な努力が目に浮かぶ。

優勝することを当然目指しているのだから、畑井投手にとっては試合のための練習は特別なことではなく当たり前のことだったのだろう。


第86回大会(2004年)

~北播の雄・社・無念の4強~


第86回大会準決勝で延長15回サヨナラ負けを喫し、肩を落とす社の大前佑輔投手(左)


2004(平成16)年の第86回大会は北播の雄・社が初優勝の期待を集めた。

大前佑輔、坪井俊樹(元ロッテ)の左腕2人を柱に、同年の選抜大会は初出場で4強。

夏も本命視されたが、待っていたのは悲劇的な結末だった。


準決勝で同じ公立の市尼崎と激突した。

社が終盤に追い付き、延長戦へ。

2-2の十五回裏、1死満塁のピンチで社は勝負に出る。

空振り三振を奪った直後、捕手が離塁が大きい三塁走者をけん制。

併殺を狙った送球は三塁手のグラブに収まらず三走が生還。

引き分け再試合目前、無情のサヨナラ負けだった。


「(けん制は)ベンチのサインでした」。

現在、同校校長を務める当時の監督、森脇忠之(60)はそう明かす。

2年前の02年も準決勝敗退。

「決勝への意識が焦りになったのか。

私が腰を落ち着けていれば・・・。今でも悔いが残る」


市尼崎は決勝で敗れ、左腕片山博視(元楽天)を擁した報徳学園が優勝した。


第87回大会(2005年)

~私学連破、姫路工が奪取~


第87回大会で11年ぶりの優勝を決め、マウンドに駆け寄って喜ぶ姫路工ナイン


公立勢の覇権奪取は1995年の尼崎北以来、10年ぶり。

2005(平成17)年の第87回大会は姫路工がノーシードから頂点に駆け上がった。


2回戦で神港学園、5回戦で滝川第二と私学を連破し、決勝の相手も同年の選抜大会4強の神戸国際大付。

大西正樹(元ソフトバンク)、有元一真の二枚看板に対し、姫路工は右横手の畑井宏之が1回戦からほぼ一人で投げてきた。

8連投となった決勝も生命線の制球は乱れず、精密な投球で三回以降を無失点。

3-2で振り切り、私学の牙城を切り崩した。


畑井は休養日を挟み、5日間で4試合を戦う5回戦以降の日程を想定し、

練習から2日間連続の投げ込みを繰り返したという。

卒業後、軟式野球の強豪グローリー(姫路市)に進み、30歳の今も現役を続ける畑井は振り返る。


「誰に言ってもなかったが、日頃から夏の決勝をイメージして練習していました」


神戸新聞 松本大輔氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)


兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)


兵庫球児100年のあしあと 45
第84回大会(2002年)
第85回大会(2003年)


兵庫球児100年のあしあと 45

2018-06-29 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 45


1998年 第80回記念大会東兵庫で2連覇を果たした報徳学園が4年ぶりの頂点に。

しかも秋春夏の3冠、初出場した明治神宮大会では、

初戦の2回戦秋田経法大付を7-0(8回コールド)、準決勝中京大中京を11-6、

関西との決勝は10-1と圧勝し初優勝。

選抜では1回戦日大三高に3-2、2回戦広陵に5-3、

浦和学院との準々決勝は7-5、準決勝福井商業を7-1と勝ち上がり、

決勝の鳴門工業戦では15安打を放って8-2

28年ぶり2回目の優勝、絶対的な強さを魅せた。

そして迎えた夏の優勝。

 「勝たなくてはいけないというプレッシャーの中で投げていた」と流したエースの涙に胸熱くなる。

勝って当たり前、勝てば称賛、敗れば・・・の期待の渦が巻き起こる。

名門と呼ばれるチームだからこその期待の大きさ。

しかしその期待の渦が、時には選手たちの苦悩を生むこともある高校野球だが、

その期待も選手たちの力になっていることには違いないのだろう。


第85回大会は、アン投手擁する東洋大姫路との延長10回の戦いを制し神港学園が

1996年第78回大会から7年ぶりに甲子園へ。

滝川第二との準決勝も延長15回、準決勝、決勝2試合連続の延長戦は凄い。

決勝戦決勝打がホームランだったという劇的な熱い2003年の夏。

兵庫高校野球史上、170校と最も参加校が多かったこの夏。

現在までこの数の参加校数には届かない。

道を調べようとよくアプリ地図を見るが、野球部があるのか?自体が不明だけど、

兵庫の高校野球で見たことがない多くの校名を発見する。

以降は年々参加校が減り162校を推移、今夏は162校の参加となる。


2001年 第32回明治神宮野球大会 決勝

 123456789R
関西 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1
報徳学園 1 0 4 2 1 0 0 2 X 10

関 : 森本、芳山 - 萬浪
報 : 石井 - 荒畑、長野


2002年 第74回選抜高校野球大会 決勝

 123456789RHE
鳴門工 0 0 0 0 0 1 0 1 0 2 9 2
報徳学園 1 1 5 0 0 0 0 1 X 8 15 0

鳴 : 丸山、細谷 - 浜永
報 : 大谷 - 荒畑


第84回大会(2002年)

~報徳3冠、「平成最強」~


第84回大会でチームを春夏連続の甲子園に導いた報徳の大谷智久投手


平成以降では「兵庫最強」の呼び声が高い。

2002(平成14)年の第84回大会で優勝した報徳。

新チーム結成から県内公式戦は21戦無敗を誇り、史上2校目の秋春夏の県大会3冠を達成。

秋の明治神宮大会、春の選抜大会を制し、全国でも指折りのチームだった。


1番尾崎匡哉はドラフト1位で日本ハム入りし、3番松下享平は兵庫大会で8打席連続安打の離れ業。

全試合完投で選抜優勝に導いたエース大谷智久は夏も仁王立ちし、

坂口智隆(現ヤクルト)を擁した神戸国際大付との決勝は5安打で完封した。


現在、ロッテの中継ぎ陣の一角を担う大谷。

絶対的な王者だった高校時代を振り返り

「勝たなくてはいけないというプレッシャーの中で投げていた」と明かす。

優勝を決めて歓喜に沸くナインの陰で、独り安堵(あんど)の涙を流したエースの姿がファンの心を打った。


第85回大会(2003年)

~巧者神港学園、アン砕く~


第85回大会決勝で勝ち越し本塁打を放つ神港学園の福本明良


1年生夏に鮮烈にデビューした東洋大姫路の左腕、グエン・トラン・フォク・アン。

3年生になった2003(平成15)年は選抜大会で4強に進出し、名実ともに大黒柱にのし上がった。

同年夏の第85回大会で主役にたちはだかったのが、試合巧者の神港学園だった。


大会序盤からコールドゲームがなく、接戦を勝ち抜いた。

滝川第二との準決勝は延長十五回、3時間26分の激闘を制した。

東洋大姫路との決勝も1-1で延長戦に持ち込んだ末、十回、

準決勝で決勝打を放った福本明良が再び左翼へ決勝アーチ。

3度目の甲子園出場を目指したアンの夢を打ち砕いた。


神港学園が記録した犠打は7試合で計37個。

名将・北原光広のベンチワークがさえ、史上170校が参加した大会の頂点に輝いた。


神戸新聞 松本大輔氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)


兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)


2018年 球児たちの夏の始まり 

2018-06-23 | 高校野球

沖縄、南北北海道の夏が開幕し、今夏も球児たちの夏が始まりました。

三年生は、この最後の夏に懸けて・・・。

夏開幕初日なのでライブ中継があるかな~とネットで見ていましたが、

残念ながら今日の試合は観戦できず、スコアーの更新に・・・頑張れ!と、

PCで見ながらハラハラドキドキの点数展開。

スコアーから気持ちを感じる追い上げあり、1得点を争う接戦あり、

コールドゲームあり、延長タイブレーク戦も1試合ありました。

夢繋ぐチーム、夏を終えたチーム・・・

対戦なので仕方がない事実ではありますし、普段観ることができない遠い地区のチーム、選手たち。

ではありますが、やはり三年生を想うと、身近に観る兵庫チーム選手たちと同じ想いで、

三年生の夏の終わりは切ないです。

しかし、精一杯自分やチームの夏を戦った結果。

悔しいけど、今まで頑張ったことに胸を張って明日へ!

今日、夏を終えた沖縄、南北北海道の選手たち 高校野球お疲れ様でした。


6月23日 対戦結果

【沖縄大会】

沖縄高専 3-4 球陽

前原 2-0 宮古工業

宮古 19-0 南部農(5回コールド)

南部工 5-4 八重山商工(延長13回タイブレーク)

八重山 5-4 美里工業


【北北海道大会】

帯広北 8-2 上士更農士新大

帯広農業 8ー1 音更(7回コールド)


【南北海道】

札幌真栄 6-0 札幌南陵

北海学園札幌 6-5 札幌北

七飯 6-0 函館西

函館中部 11-1 南芽大農奥尻(5回コールド)

苫西伊達白東 1-9 苫小牧東(8回コールド)

室蘭栄 2-3 浦河


兵庫以外の他府県の結果を全て網羅記録することは難しく、記録は兵庫の結果中心となりますが、

他府県の結果も見て応援していますので全国の高校球児たちガンバレー!


兵庫球児100年のあしあと 44

2018-06-21 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 44

21世紀の終わりは新監督率いる育英が1993年 第75回大会から10年ぶりの優勝。

決勝の対戦相手は実に63年の時を超えて決勝の舞台に立った関西学院。

これから9年後、このブログを書くきっかけとなった関西学院の70年ぶりの優勝がやってくる。

21世紀の始まりは、日本で生まれ東洋大姫路と人生運命の出逢いをしたスーパー1年生の活躍もあり

第80回記念大会西兵庫の覇者が3年ぶりの優勝。


第82回大会(2000年)

~育英・藤村、就任1年でV~


第82回大会決勝で関学を下し、夏の甲子園出場を決めた育英の藤村雅美監督


名門校が新たな時代を迎えた。

2000(平成12)年の第82回大会を制した育英の監督、藤村雅美は

ミスタータイガースと称された藤村富美男の次男。

三田学園出身で育英のOBではない指揮官が、就任1年で歓喜を引き寄せた。


春の選抜大会出場校として臨んだ兵庫大会は圧倒的な強さを見せた。

準決勝で神戸国際大付を9-3で退け、決勝は戦前以来、61年ぶりの優勝を目指した関学に11-0で大勝。


後に西武に入団する2年生の3番栗山巧は大会通算打率5割をマークし、大器の片りんを見せた。

捕手の藤村光司は監督の長男で、祖父の富美男を含めた3世代での甲子園が脚光を浴びた。

さらに選抜大会に続いて開幕試合を引き当てた上野浩一主将が開会式で選手宣誓。

さまざまな話題を集め、20世紀最後の夏の甲子園を盛り上げた。


第83回大会(2001年)

~東洋大姫路、アン躍動~


第83回大会で鮮烈にデビューした東洋大姫路の1年生、グエン・トラン・フォク・アン投手


異色の左腕が彗星(すいせい)のように現れた。

東洋大姫路が3年ぶりの頂点に立った2001(平成13)年の第83回大会は、

ベトナム難民の両親を持つグエン・トラン・フォク・アンが快投。

入学間もない1年生が甲子園へけん引した。


3回戦の市神港戦で公式戦初先発し、七回途中まで零封。

小気味のいい投球と切れのある直球を武器に、エース畑山侑作との継投で進撃を支えた。

後にドラフト1位で巨人入りする好右腕、真田裕貴を擁した姫路工との決勝でも先発。

兵庫大会6試合3失点で優勝の原動力となった。


アンの両親はベトナム出身のボートピープル。

難民として日本に入国後、アンは誕生した。

社会性に富む生い立ちと当時の高校野球界では珍しかったカタカナの名前。

甲子園大会で脚光を浴び、ベスト16まで勝ち上がった。


神戸新聞 松本大輔氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)


兵庫球児100年のあしあと 43

2018-06-21 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 43

絶対的エースを擁し、決勝で19得点を挙げ完封と驚く強さで

1988年 第70回大会以来11年ぶりに滝川第二が優勝。

間近の大会では、記事にもある53回大会の報徳学園が山崎を16点差、

80回大会東兵庫で報徳学園が仁川を18-3 15点差などの大差の決勝はあるものの

19得点差の完封はこの対戦が最多記録。

決勝でのこの得点差はもちろん凄い!と思う。

でも敗れたチームへ心が更に重くなる。


第81回大会(1999年)

~滝川第二決勝最多19点~


第81回大会決勝で完封した滝川第二のエース福沢卓宏投手


記録に残る圧巻の優勝劇だった。

1999(平成11)年の第81回大会は滝川第二が決勝史上最多の19得点。

19-0で市川を退け、第53回大会の報徳ー山崎の16点差(17-1)を上回り、最多得点差も塗り替えた。


後の中日入りする主砲中村公治、高校日本代表の1番熊崎清龍が中心の打線はスケールが大きく、

7試合で計76得点。

さらに99年のドラフトで中日から2位指名を受けるエース福沢卓宏は準決勝、決勝を完封。

無類の投打を誇った。


当時の4番・捕手で現在は専大コーチの吉田鉄平(36)は

「福沢のスライダーは高校生には打てない切れだった。負ける気がしなかった」と思い起こす。


ただ、優勝候補にも挙げられた甲子園大会は準々決勝で敗退。

伝統を受け継ぐ旧制滝川中時代からの悲願は果たせなかった。


神戸新聞 松本大輔氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)



兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)


兵庫球児100年のあしあと 42

2018-06-20 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 42

第79回大会は、報徳学園が16年ぶりに決勝の舞台へ。

4番のひと振りで劇的な優勝を飾った報徳学園。

永田元監督さんの初めての夏甲子園は、報徳の球歴や、

監督として初の甲子園の道が開いた永田監督さんの中でも

忘れることのない劇的な決勝戦となったことだろう。

神港学園が逆転をした直後の報徳の底力。

逆転の報徳だ!

この対戦を観れなかったことが残念でならない。

記事の写真の神港学園バッテリー・・・

あと一歩で夢敗れた悔しさは想像を超えて切なすぎる。

しかしミスや追い詰められての1本ではなく、ある意味気持ちの良い敗れ方だったのかもしれないな。


第80回大会は、兵庫の夏初めて東西に分かれての記念大会。

東兵庫77チーム、西兵庫89チームによるドリームマッチとなった。

東は仁川を18-3で下し文句なしの報徳が2連覇。

現在の大角監督さんはこの時の主将。

写真の中で中を飛んでいる捕手が大角監督さんかな~?

西は姫路工業と3-2の接戦を制した東洋大姫路が1986年 第68回大会以来12年ぶりの甲子園へ。

東洋大姫路は前年に就任した藤田監督さんの甲子園への道を開いた記念すべき記念大会となった。



第79回大会(1997年)

~報徳 劇的サヨナラV弾~


第79回大会決勝、劇的なサヨナラ本塁打で優勝を決め、喜びを爆発させる報徳ナイン


1997(平成9)年の第79回大会決勝は劇的なサヨナラ本塁打で決着が着いた。

前年夏の優勝校・神港学園と同年春の選抜大会4強の報徳が激突。

二回までに4点を先行した報徳を神港学園が猛追し、八回表に逆転。

粘る報徳は八回裏に追いつくと、九回4番申原直樹のバックスクリーンへの3ランで激闘に終止符を打った。


81年の全国優勝以来、夏の甲子園から遠ざかっていた名門報徳は同年以来、16年ぶりの兵庫大会制覇だった。

就任4年目で監督として初めて夏の全国切符を手にした永田裕治監督はサヨナラ本塁打の瞬間、

「手の震えが止まらなかった」と言う。


報徳は選抜大会で1試合18奪三振を記録した左腕前田章、後にオリックス入りした肥田高志ら

タレントがそろい、敗れた神港学園も3バン米川将義が7試合で計15安打、5割7分7厘の高打率を残した。


第80回大会(1998年)

~初の東西分割、両雄輝く~


第80回記念西兵庫大会で12年ぶりの夏の甲子園出場を決めた東洋大姫路ナイン


史上初の東西分割開催となった1998(平成10)年の第80回記念大会。

東兵庫は報徳、西兵庫は東洋大姫路が頂点に立ち、兵庫の両雄が存在を誇示した。


東洋大姫路は復活を告げる優勝だった。

77年に全国制覇を達成しながら、平成以降は春夏とも甲子園出場はなし。

不祥事による監督交代もあり、しばらく低迷していたが、97年に就任したOBの

藤田明彦監督がわずか1年で名門を再建した。


姫路工との「姫路決戦」は同点の九回にスクイズを敢行。

伝統の猛練習で鍛え上げられた東洋大姫路らしく執念で決勝点をもぎとった。


仁川との「西宮決戦」を制した東兵庫の報徳は、前年春の選抜大会から4季連続の甲子園出場。

2年生からベンチ入りしていた捕手の大角健二主将は4度とも甲子園の土を踏み、

現在は監督として母校を率いる。


神戸新聞 松本大輔氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)


兵庫球児100年のあしあと 41

2018-06-20 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 41

1992年 第74回大会の初優勝から4年、神港学園が2度目の優勝。

ノーシードの夏だったようだけど、ここ数年兵庫の夏を観ていて思うこと・・・

勝ったチームが強いんだ!

ノーシードだからと構える必要も不安を持つこともはない。

ノーシード校は一戦多く対戦することになるが、1回戦を勝利し勢いを持ったチームの活躍が素晴らしかった。

通年ではどの地区のチームとの対戦になるかは時の運。

しかし今夏の兵庫は東西に分かれての大会となるので、

秋春の地区大会で対戦したことがあるチーム同士の夏の対戦となることも多いに考えられる。

対戦校によっては秋春の悔しい想いを夏に晴らすために、更に気持ちが入った熱戦も予想される。

兵庫の東西大会対戦組み合わせは、いよいよ来週26日に迫っている。


第78回大会(1996年)

~神港学園 神戸対決制す~


第78回大会決勝で神港学園が育英との神戸対決を制す


私学が4強を独占した1996(平成8)年の第78回兵庫大会。

春は県大会東神戸地区大会初戦で敗れたノーシードの神港学園が4年ぶり2度目の王座に返り咲いた。


3回戦で春季県大会覇者の津名を3-1で退けると、4回戦は県尼崎に1-0の辛勝。

苦戦を良薬に、準々決勝からは3試合連続2桁得点と波に乗った。

ノーシードの神戸対決となった決勝は育英に15-3で大勝した。


左腕エース岡本賢之を中心とした守りは全7試合合計で6失点、5失策と抜群の安定感。

北原光広監督の長男直也(現監督)が捕手を努め、主軸を担った藤原通は立命大を経て阪神に入団した。


春の県大会4強で優勝候補の一角に挙げられていた神戸弘陵は3回戦で敗退。

エース山井大介は後に中日入りし、2013年にノーヒットノーランを達成したほか、

40歳になった今季も完封勝利を挙げた。


神戸新聞 大原篤也氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)