白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 46
報徳学園が2年ぶりに甲子園へ帰った第86回大会は、準決勝にスポットライトが当たる。
勝者にとっては劇的、敗者にとっては悲劇的。
記事からその瞬間を球場で見ていたような感覚になった。
初優勝を目前に悲劇的に敗れた社を指揮されておられた当時の森脇監督さんは、
今でも悔いが残ると語られるが、その一戦から14年、これからの時の流れの中で、
指揮官も選手たちにも本当良い思い出だと笑い合える瞬間がきっとくる。
それが高校野球の何より素敵なところであると思う。
多くの先輩たちの夢も乗せて悲願の初優勝を目指す社の夏がもうすぐ始まる。
努力が報われた2005年夏
第87回大会は、1994年第76回大会から11年ぶりの姫路工業が優勝。
翌年第77回大会の覇者は尼崎北と2年連続公立校の優勝からの10大会覇者は
全て強豪私学の名が連なる中、10年ぶりに公立校が優勝を飾った。
優勝に導いたチームの柱、畑井投手は「夏の決勝をイメージして練習をしてきた」と。
試合のための練習をとよく言われるが、分かっていてもなかなか心強く継続的に行うことは難しい部分もあると感じる。
優勝を掴む瞬間を想定した「決勝のための練習」をコツコツと積んできた畑井投手の継続強心、寡黙な努力が目に浮かぶ。
優勝することを当然目指しているのだから、畑井投手にとっては試合のための練習は特別なことではなく当たり前のことだったのだろう。
第86回大会(2004年)
~北播の雄・社・無念の4強~
第86回大会準決勝で延長15回サヨナラ負けを喫し、肩を落とす社の大前佑輔投手(左)
2004(平成16)年の第86回大会は北播の雄・社が初優勝の期待を集めた。
大前佑輔、坪井俊樹(元ロッテ)の左腕2人を柱に、同年の選抜大会は初出場で4強。
夏も本命視されたが、待っていたのは悲劇的な結末だった。
準決勝で同じ公立の市尼崎と激突した。
社が終盤に追い付き、延長戦へ。
2-2の十五回裏、1死満塁のピンチで社は勝負に出る。
空振り三振を奪った直後、捕手が離塁が大きい三塁走者をけん制。
併殺を狙った送球は三塁手のグラブに収まらず三走が生還。
引き分け再試合目前、無情のサヨナラ負けだった。
「(けん制は)ベンチのサインでした」。
現在、同校校長を務める当時の監督、森脇忠之(60)はそう明かす。
2年前の02年も準決勝敗退。
「決勝への意識が焦りになったのか。
私が腰を落ち着けていれば・・・。今でも悔いが残る」
市尼崎は決勝で敗れ、左腕片山博視(元楽天)を擁した報徳学園が優勝した。
第87回大会(2005年)
~私学連破、姫路工が奪取~
第87回大会で11年ぶりの優勝を決め、マウンドに駆け寄って喜ぶ姫路工ナイン
公立勢の覇権奪取は1995年の尼崎北以来、10年ぶり。
2005(平成17)年の第87回大会は姫路工がノーシードから頂点に駆け上がった。
2回戦で神港学園、5回戦で滝川第二と私学を連破し、決勝の相手も同年の選抜大会4強の神戸国際大付。
大西正樹(元ソフトバンク)、有元一真の二枚看板に対し、姫路工は右横手の畑井宏之が1回戦からほぼ一人で投げてきた。
8連投となった決勝も生命線の制球は乱れず、精密な投球で三回以降を無失点。
3-2で振り切り、私学の牙城を切り崩した。
畑井は休養日を挟み、5日間で4試合を戦う5回戦以降の日程を想定し、
練習から2日間連続の投げ込みを繰り返したという。
卒業後、軟式野球の強豪グローリー(姫路市)に進み、30歳の今も現役を続ける畑井は振り返る。
「誰に言ってもなかったが、日頃から夏の決勝をイメージして練習していました」
神戸新聞 松本大輔氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)
兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)
兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)
兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)
兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)
兵庫球児100年のあしあと 45
第84回大会(2002年)
第85回大会(2003年)
白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 45
1998年 第80回記念大会東兵庫で2連覇を果たした報徳学園が4年ぶりの頂点に。
しかも秋春夏の3冠、初出場した明治神宮大会では、
初戦の2回戦秋田経法大付を7-0(8回コールド)、準決勝中京大中京を11-6、
関西との決勝は10-1と圧勝し初優勝。
選抜では1回戦日大三高に3-2、2回戦広陵に5-3、
浦和学院との準々決勝は7-5、準決勝福井商業を7-1と勝ち上がり、
決勝の鳴門工業戦では15安打を放って8-2
28年ぶり2回目の優勝、絶対的な強さを魅せた。
そして迎えた夏の優勝。
「勝たなくてはいけないというプレッシャーの中で投げていた」と流したエースの涙に胸熱くなる。
勝って当たり前、勝てば称賛、敗れば・・・の期待の渦が巻き起こる。
名門と呼ばれるチームだからこその期待の大きさ。
しかしその期待の渦が、時には選手たちの苦悩を生むこともある高校野球だが、
その期待も選手たちの力になっていることには違いないのだろう。
第85回大会は、アン投手擁する東洋大姫路との延長10回の戦いを制し神港学園が
1996年第78回大会から7年ぶりに甲子園へ。
滝川第二との準決勝も延長15回、準決勝、決勝2試合連続の延長戦は凄い。
決勝戦決勝打がホームランだったという劇的な熱い2003年の夏。
兵庫高校野球史上、170校と最も参加校が多かったこの夏。
現在までこの数の参加校数には届かない。
道を調べようとよくアプリ地図を見るが、野球部があるのか?自体が不明だけど、
兵庫の高校野球で見たことがない多くの校名を発見する。
以降は年々参加校が減り162校を推移、今夏は162校の参加となる。
2001年 第32回明治神宮野球大会 決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
関西 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
報徳学園 | 1 | 0 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | X | 10 |
関 : 森本、芳山 - 萬浪
報 : 石井 - 荒畑、長野
2002年 第74回選抜高校野球大会 決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
鳴門工 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 9 | 2 |
報徳学園 | 1 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | X | 8 | 15 | 0 |
鳴 : 丸山、細谷 - 浜永
報 : 大谷 - 荒畑
第84回大会(2002年)
~報徳3冠、「平成最強」~
第84回大会でチームを春夏連続の甲子園に導いた報徳の大谷智久投手
平成以降では「兵庫最強」の呼び声が高い。
2002(平成14)年の第84回大会で優勝した報徳。
新チーム結成から県内公式戦は21戦無敗を誇り、史上2校目の秋春夏の県大会3冠を達成。
秋の明治神宮大会、春の選抜大会を制し、全国でも指折りのチームだった。
1番尾崎匡哉はドラフト1位で日本ハム入りし、3番松下享平は兵庫大会で8打席連続安打の離れ業。
全試合完投で選抜優勝に導いたエース大谷智久は夏も仁王立ちし、
坂口智隆(現ヤクルト)を擁した神戸国際大付との決勝は5安打で完封した。
現在、ロッテの中継ぎ陣の一角を担う大谷。
絶対的な王者だった高校時代を振り返り
「勝たなくてはいけないというプレッシャーの中で投げていた」と明かす。
優勝を決めて歓喜に沸くナインの陰で、独り安堵(あんど)の涙を流したエースの姿がファンの心を打った。
第85回大会(2003年)
~巧者神港学園、アン砕く~
第85回大会決勝で勝ち越し本塁打を放つ神港学園の福本明良
1年生夏に鮮烈にデビューした東洋大姫路の左腕、グエン・トラン・フォク・アン。
3年生になった2003(平成15)年は選抜大会で4強に進出し、名実ともに大黒柱にのし上がった。
同年夏の第85回大会で主役にたちはだかったのが、試合巧者の神港学園だった。
大会序盤からコールドゲームがなく、接戦を勝ち抜いた。
滝川第二との準決勝は延長十五回、3時間26分の激闘を制した。
東洋大姫路との決勝も1-1で延長戦に持ち込んだ末、十回、
準決勝で決勝打を放った福本明良が再び左翼へ決勝アーチ。
3度目の甲子園出場を目指したアンの夢を打ち砕いた。
神港学園が記録した犠打は7試合で計37個。
名将・北原光広のベンチワークがさえ、史上170校が参加した大会の頂点に輝いた。
神戸新聞 松本大輔氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)
兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)
兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)
兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)
兵庫球児100年のあしあと 44
第82回大会(2000年)
第83回大会(2001年)
第100回全国選手権記念大会 2校が甲子園きっぷを掴む兵庫の夏。
東西大会組み合わせが決まりました。
予想では、甲子園きっぷを掴むまで例年最大8試合、
今夏は東西分かれるので6試合かな~と想像していましたが、
東兵庫72チーム、西兵庫90チーム 東西とも8ブロック編成なので
西は1回戦の数が増えますが、どちらも最大7試合勝ち進んでの甲子園きっぷです。
東西分かれても勝ち抜くことは簡単ではないと思いますが、
兵庫球児たち全員の健闘を祈り、夢叶える2校を楽しみにしたいと思います。
梅雨明けにはもう少し日にちがかかりそうですが、真夏日のような暑い日も増えつつあります。
湿度の多い日や、気温も日々上下する時期なので体調管理にくれぐれも気をつけて
心身共にベストな状態で7月7日の開幕を迎えて下さい。
今夏の選手宣誓は尼崎双星 西谷主将が努めます。
記念大会での大役、一生の大きな思い出になりますね。
兵庫球児たちの威風堂々とした行進に、西谷主将の宣誓を楽しみにしています。
また、昨年、部員不足で出場を辞退した伊和が今夏単独で出場をします。
良かったですね~♪ とても嬉しいです。
出場できず高校野球を終えた先輩の苦しさ、悲しさ、辛さの分も
夏戦えることを楽しんで夢に向かって頑張って欲しいと思います。
そして「100回つなぐ始球式」では、著名人が務められたり、偉大な野球の先輩が務められたり、
各都道府県で色々な構想があり盛り上がりをみせていますね。
兵庫の開幕戦始球式には、障害者野球チーム「神戸コスモス」 中小路昇大選手(20)が努められます。
開会式では、選手権第1回大会出場校の、関西学院、神戸、兵庫、神戸商業の選手が
記念の横断幕を持ち、歴代優勝校28校の選手たちとともに行進先導を努めます。
開幕戦は7月7日 13:00~ 西兵庫 龍野北と龍野と決まりました。
西兵庫は8日から1回戦が多く始まり、東兵庫は8ブロックとも11日が初戦の始まりです。
球場も東西の場所で分けて使用するのかなと思っていましたが、結構ランダムな会場になりました。
この試合も観たい!あの試合も!と、できれば全部観たい試合ばかり。
そうもいかず、日程が重なっている試合もあるので、今夏は久々に球場ハシゴするかなぁ~と
開幕までトーナメント表とにらめっこして観戦予定を立てたいと思います。
今夏も多くの兵庫球児の頑張りを残せたらいいなと思っています。
西兵庫決勝は27日、東兵庫は28日
100回記念大会とあって決勝は明石トーカロ球場ではなく、ほっともっとフィールド神戸で行われます。
兵庫東西大会開幕まであと11日。
兵庫球児のみなさん!心身共に夏への準備万端ですか~
今夏も全ての兵庫球児たちが輝く夏になることを願っています。
第100回 全国高校野球選手県 東西大会 対戦組み合わせ(1~4回戦まで)
雨天等変更など正式には兵庫県高校野球連盟HPでご確認下さい。
※ 開幕が11日に変更になり、日程変更後のトーナメント表はこちらです
2018 夏☆彡甲子園 第100回全国高校野球選手権 東西兵庫大会 11日開幕!日程変更のお知らせ
下記は変更前トーナメント表です。
【西兵庫】
【東兵庫】
2018.6.23 壮行会より
村野工業三年24人によるラストゲーム・・・
三年生全員で行う最後試合ですが、夏への気持ちを全員で整え合わすための
『スタートゲーム』だと思います。
本日は試合を観に行けなかったので試合速報をいただき、
『夏へのスタートゲーム』のあしあとを残します。
若干不明なところもありますがお許しを~
対戦相手は広島県 明王台です。
一昨年、濱中組の夏前に会ったチーム。
あの時の1年生が最後の夏ですね。
今年も夏へのカウントカレンダー持ってきたかな~
村野工業
宮本投手
城間捕手
宮脇選手
道才選手
大江捕手
水田選手
木場選手
前田選手
川原選手
赤尾投手
西川投手
田口選手
田畑選手
山本選手
永田選手
中根選手
楠田選手
藤原選手
杉本選手
東崎投手
一柳選手
渡邊捕手
西田選手
林選手
先攻 村野工業
スターティングメンバーです。
ピッチャー 宮本投手
キャッチャー城間捕手
ファースト 宮脇選手
セカンド 道才選手
サード 大江選手
ショート 水田選手
レフト 木場選手
センター 前田選手
ライト 川原選手
DH 田畑選手
1回表 村野工業の攻撃
1番 水田選手 四球
2番 道才選手の打席 水田選手三盗塁 さすが! サードゴロ
3番 大江捕手 センターへ先制タイムリー!1-0 ナイス!
4番 宮脇選手 レフト前ヒット!
5番DH 田畑選手 レフト前ヒット! 1死1、2塁
6番 木場選手 三振
1回裏 明王台の攻撃を三者凡退に!
2回表 村野工業の攻撃
7番 城間捕手 レフトフライ
8番 前田選手 三振
9番 川原選手 セカンドフライ
川原選手の打席ビデオです。
2回裏 明王台の攻撃 三者凡退に!
宮本投手ナイスな立ち上がりです!
3回表 村野工業の攻撃
1番 水田選手 ライトフライ
2番 道才選手 セカンドフライ
3番 大江選手 四球
4番 宮脇選手 レフト前ヒット!2死1、2塁
5番DH 田畑選手 右中間タイムリー!!2-0 2死1、3塁
田畑選手二打席連続ヒット!
6番 木場選手 牽制逸れ1点得点 3-0 2死2塁 三振
3回裏 明王台の攻撃
ランナー許すも抑えて無得点
4回表 村野工業の攻撃
7番 城間捕手 セカンドゴロ
8番 前田選手 センターフライ
9番 川原選手 センター前ヒット!
1番 水田選手 レフトフライ
4回裏 明王台の攻撃
ピッチャー宮本投手から西川投手へ継投し三者凡退!ナイスナイス!
5回表 村野工業の攻撃
2番 道才選手 ファーストゴロ
3番 大江捕手 レフトフライ
4番 宮脇選手 死球
5番DH 田畑選手 盗塁死でスリーアウト
5回裏 明王台の攻撃
ヒット!失策絡み5点 逆転!
明王台も頑張ってます!
6回表 村野工業の攻撃
5番DH 田畑選手 ライトフライ
6番 木場選手 三振
7番 城間捕手 ショートゴロ
6回裏 明王台の攻撃 三者凡退
7回表 村野工業の攻撃
8番 前田選手に代打藤原選手 センター前ヒット!
9番 川原選手に代打杉本選手
藤原選手二盗!ナイス活躍~!
杉本選手セカンドゴロ
1番 水田選手 死球 1死1、3塁
2番 道才選手 センター前タイムリー!お~!ナイス!4-5
3番 大江捕手 ショートゴロ
4番 宮脇選手 ファーストゴロ
7回裏 明王台の攻撃
ピッチャー西川投手から東崎投手へ
レフト木場選手に替り杉本選手へ
センター前田選手に替り藤原選手へ
レフト杉本選手に替りセンター藤原選手がレフト
センター藤原選手に替り楠田選手へ
ピッチャー東崎投手に替り赤尾投手へ
8回表
5番DH 田畑選手 死球 代走山本選手
6番 木場選手へ代打林選手 ショートゴロ進塁打!
7番 城間捕手 送球エラーの間に山本選手還り同点 5-5
林選手の進塁打が生きましたね!
8番 藤原選手 ショートフライ
9番 杉本選手 三振
8回裏 明王台の攻撃 不明です
9回表
1番 水田選手 レフトフライ
2番 道才選手 サードゴロ
3番 大江選手へ代打西田選手 四球 西田くんナイス選球!
代走に一柳選手
西田選手の打席ビデオです。
4番 宮脇選手サードゴロ 悪送球でランナー2、3塁
5番 山本選手 死球で満塁
6番 楠田選手 センターフライ
9回裏
ショート水田選手に替り一柳選手がショートへ
ショート水田選手がセカンドへ
セカンド道才選手がサードへ
セカンドは誰が入ったかな~?
9回裏 明王台の攻撃を抑え5-5
同点で試合終了です。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
神戸村野工業 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 |
明王台 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
両チームの選手のみなさん お疲れさまでした!
広島の開幕も7月7日
明王台の初戦は翌8日 神辺との対戦です。
今夏広島では参加校三年生全選手が開会式に参加し行進することが決まっています。
とても素敵な取り組みですね。
どの都道府県でもこういう取り組みがあればと思いました。
みんな同じだけ努力し頑張ってきたのですもんね。
明王台の選手のみなさんも素敵な夏になりますように fight!
村野工業三年生へ
「全員が誰かのために、チームのためにと思ったら絶対に甲子園にいける!」by nakane
そう!誰かのために・・・
そう強く思い心合わすことで大きな力が生まれます。
今までは自分のために野球をやってきたのだと思います。
これから高校野球を終えるまで、今まで誰より応援し見守って下さったご両親のため、
今まで一緒に汗を流してきた仲間のため、チームの夢のため。
自分の夢は自分だけの夢ではなく、誰かのためにも叶える夢へと変わる夏です。
『夢叶』
一人ひとりが仲間を甲子園へ絶対連れて行く!と、そういう気持ちを持ち夢叶えて下さい。
そこに背番号の有無、背負う選手は番号関係ないと思う私です。
全員で!
全員で笑って甲子園へ
だよね~中根主将!
夏、24人のその気持ちを観に行くよ
たくさんのあしあとを送っていただきました。
母の想い。
^^
最後になりましたが、速報・写真を送って下さったお母さん
本当にありがとうございました。
今日は応援する村野工業の夏への壮行会。
2年半応援してきた3年生の夏へ・・・
ラッキースターという海外で大人気の折り紙。
夢が叶いますように・・・
千羽鶴と同じような意味を込めて折る星を贈りました☆彡
不器用だけど気持ちだけは負けないように心を込めて折りました。
3年生へエールのラッキースターです。
星の数で意味があるようです。
1個:唯一無二
2個:幸せなカップル
9個:この愛が長く続きますように
55個:後悔しない愛
99個:この友情/愛が永遠に続きますように
101個:あなたが運命の人
365-366個:この一年が祝福されますように
520個:私はあなたを愛しています
548個:この愛を止めることはできません
999個:永遠の愛
1314個:愛は永遠
私は24のラッキースターを折りました。
一人ひとりの顔を思い浮かべながら・・・
一人ひとりの頑張りを認めながら・・・。
24人の3年生が、それぞれの場所で輝く夏になるよう願いを込めて。
明日は3年生だけの最後のラストゲームです。
その大切な意味合いを持った試合へ挑むための背番号が今夜選手の手元へ届きます。
番号の意味合い・・・私には分かります。
選手にとって決して嬉しい背番号ではないと思います。
明日その背番号をつけて、高校野球グラウンドで野球をする最後の試合となる選手がいます。
引退試合とよく言うけれど、私は引退試合という言葉で表現するのは嫌いです。
なぜなら、夏ベンチ入りできなかった選手たちにも、最後の夏きちんと戦う場所があるからです。
最後の夏はまだこれから始まるのです。
一人は皆のために、皆は一人のために・・・です。
一人ひとりの夢が重なり合い、チームの夢となる夏。
場所はそれぞれ違うけど目指す夢への一歩は今から始まるのです。
だから引退じゃないでしょ。
少なからず私はそう思っています。
目指してきた最後の夏への自分の場所。
その場所に立てない選手もいます。
悔しい気持ちは痛いほど感じます。
だけど、ここまで努力し頑張ってきた自分があるはずです。
だから、その引退試合と呼ばれるラストゲーム。
楽しめとは言えません。
でも、自分が高校野球グラウンドで試合をする最後に、今まで頑張った自分へ胸張って挑んで下さい。
そして、キミたちは親のために野球をしているのではないでしょう。
だけど、そのラストゲームには、誰より自分を応援し見守って下さったご両親へ
感謝の気持ちと、自分の野球する姿を堂々と魅せてあげて欲しいなと思います。
自分自身の未来のためにも。
24人の3年生それぞれが、それぞれの場所で夢に向かい戦う姿を・・・
輝く姿を☆彡 また観に行くよ。
沖縄、南北北海道の夏が開幕し、今夏も球児たちの夏が始まりました。
三年生は、この最後の夏に懸けて・・・。
夏開幕初日なのでライブ中継があるかな~とネットで見ていましたが、
残念ながら今日の試合は観戦できず、スコアーの更新に・・・頑張れ!と、
PCで見ながらハラハラドキドキの点数展開。
スコアーから気持ちを感じる追い上げあり、1得点を争う接戦あり、
コールドゲームあり、延長タイブレーク戦も1試合ありました。
夢繋ぐチーム、夏を終えたチーム・・・
対戦なので仕方がない事実ではありますし、普段観ることができない遠い地区のチーム、選手たち。
ではありますが、やはり三年生を想うと、身近に観る兵庫チーム選手たちと同じ想いで、
三年生の夏の終わりは切ないです。
しかし、精一杯自分やチームの夏を戦った結果。
悔しいけど、今まで頑張ったことに胸を張って明日へ!
今日、夏を終えた沖縄、南北北海道の選手たち 高校野球お疲れ様でした。
6月23日 対戦結果
【沖縄大会】
沖縄高専 3-4 球陽
前原 2-0 宮古工業
宮古 19-0 南部農(5回コールド)
南部工 5-4 八重山商工(延長13回タイブレーク)
八重山 5-4 美里工業
【北北海道大会】
帯広北 8-2 上士更農士新大
帯広農業 8ー1 音更(7回コールド)
【南北海道】
札幌真栄 6-0 札幌南陵
北海学園札幌 6-5 札幌北
七飯 6-0 函館西
函館中部 11-1 南芽大農奥尻(5回コールド)
苫西伊達白東 1-9 苫小牧東(8回コールド)
室蘭栄 2-3 浦河
兵庫以外の他府県の結果を全て網羅記録することは難しく、記録は兵庫の結果中心となりますが、
他府県の結果も見て応援していますので全国の高校球児たちガンバレー!
白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 44
21世紀の終わりは新監督率いる育英が1993年 第75回大会から10年ぶりの優勝。
決勝の対戦相手は実に63年の時を超えて決勝の舞台に立った関西学院。
これから9年後、このブログを書くきっかけとなった関西学院の70年ぶりの優勝がやってくる。
21世紀の始まりは、日本で生まれ東洋大姫路と人生運命の出逢いをしたスーパー1年生の活躍もあり
第80回記念大会西兵庫の覇者が3年ぶりの優勝。
第82回大会(2000年)
~育英・藤村、就任1年でV~
第82回大会決勝で関学を下し、夏の甲子園出場を決めた育英の藤村雅美監督
名門校が新たな時代を迎えた。
2000(平成12)年の第82回大会を制した育英の監督、藤村雅美は
ミスタータイガースと称された藤村富美男の次男。
三田学園出身で育英のOBではない指揮官が、就任1年で歓喜を引き寄せた。
春の選抜大会出場校として臨んだ兵庫大会は圧倒的な強さを見せた。
準決勝で神戸国際大付を9-3で退け、決勝は戦前以来、61年ぶりの優勝を目指した関学に11-0で大勝。
後に西武に入団する2年生の3番栗山巧は大会通算打率5割をマークし、大器の片りんを見せた。
捕手の藤村光司は監督の長男で、祖父の富美男を含めた3世代での甲子園が脚光を浴びた。
さらに選抜大会に続いて開幕試合を引き当てた上野浩一主将が開会式で選手宣誓。
さまざまな話題を集め、20世紀最後の夏の甲子園を盛り上げた。
第83回大会(2001年)
~東洋大姫路、アン躍動~
第83回大会で鮮烈にデビューした東洋大姫路の1年生、グエン・トラン・フォク・アン投手
異色の左腕が彗星(すいせい)のように現れた。
東洋大姫路が3年ぶりの頂点に立った2001(平成13)年の第83回大会は、
ベトナム難民の両親を持つグエン・トラン・フォク・アンが快投。
入学間もない1年生が甲子園へけん引した。
3回戦の市神港戦で公式戦初先発し、七回途中まで零封。
小気味のいい投球と切れのある直球を武器に、エース畑山侑作との継投で進撃を支えた。
後にドラフト1位で巨人入りする好右腕、真田裕貴を擁した姫路工との決勝でも先発。
兵庫大会6試合3失点で優勝の原動力となった。
アンの両親はベトナム出身のボートピープル。
難民として日本に入国後、アンは誕生した。
社会性に富む生い立ちと当時の高校野球界では珍しかったカタカナの名前。
甲子園大会で脚光を浴び、ベスト16まで勝ち上がった。
神戸新聞 松本大輔氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)
兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)
兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)
兵庫球児100年のあしあと 43
第81回大会(1999年)
白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 43
絶対的エースを擁し、決勝で19得点を挙げ完封と驚く強さで
1988年 第70回大会以来11年ぶりに滝川第二が優勝。
間近の大会では、記事にもある53回大会の報徳学園が山崎を16点差、
80回大会東兵庫で報徳学園が仁川を18-3 15点差などの大差の決勝はあるものの
19得点差の完封はこの対戦が最多記録。
決勝でのこの得点差はもちろん凄い!と思う。
でも敗れたチームへ心が更に重くなる。
第81回大会(1999年)
~滝川第二決勝最多19点~
第81回大会決勝で完封した滝川第二のエース福沢卓宏投手
記録に残る圧巻の優勝劇だった。
1999(平成11)年の第81回大会は滝川第二が決勝史上最多の19得点。
19-0で市川を退け、第53回大会の報徳ー山崎の16点差(17-1)を上回り、最多得点差も塗り替えた。
後の中日入りする主砲中村公治、高校日本代表の1番熊崎清龍が中心の打線はスケールが大きく、
7試合で計76得点。
さらに99年のドラフトで中日から2位指名を受けるエース福沢卓宏は準決勝、決勝を完封。
無類の投打を誇った。
当時の4番・捕手で現在は専大コーチの吉田鉄平(36)は
「福沢のスライダーは高校生には打てない切れだった。負ける気がしなかった」と思い起こす。
ただ、優勝候補にも挙げられた甲子園大会は準々決勝で敗退。
伝統を受け継ぐ旧制滝川中時代からの悲願は果たせなかった。
神戸新聞 松本大輔氏
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第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)
兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)
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第79回大会(1997年)
第80回大会(1998年)
白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 42
第79回大会は、報徳学園が16年ぶりに決勝の舞台へ。
4番のひと振りで劇的な優勝を飾った報徳学園。
永田元監督さんの初めての夏甲子園は、報徳の球歴や、
監督として初の甲子園の道が開いた永田監督さんの中でも
忘れることのない劇的な決勝戦となったことだろう。
神港学園が逆転をした直後の報徳の底力。
逆転の報徳だ!
この対戦を観れなかったことが残念でならない。
記事の写真の神港学園バッテリー・・・
あと一歩で夢敗れた悔しさは想像を超えて切なすぎる。
しかしミスや追い詰められての1本ではなく、ある意味気持ちの良い敗れ方だったのかもしれないな。
第80回大会は、兵庫の夏初めて東西に分かれての記念大会。
東兵庫77チーム、西兵庫89チームによるドリームマッチとなった。
東は仁川を18-3で下し文句なしの報徳が2連覇。
現在の大角監督さんはこの時の主将。
写真の中で中を飛んでいる捕手が大角監督さんかな~?
西は姫路工業と3-2の接戦を制した東洋大姫路が1986年 第68回大会以来12年ぶりの甲子園へ。
東洋大姫路は前年に就任した藤田監督さんの甲子園への道を開いた記念すべき記念大会となった。
第79回大会(1997年)
~報徳 劇的サヨナラV弾~
第79回大会決勝、劇的なサヨナラ本塁打で優勝を決め、喜びを爆発させる報徳ナイン
1997(平成9)年の第79回大会決勝は劇的なサヨナラ本塁打で決着が着いた。
前年夏の優勝校・神港学園と同年春の選抜大会4強の報徳が激突。
二回までに4点を先行した報徳を神港学園が猛追し、八回表に逆転。
粘る報徳は八回裏に追いつくと、九回4番申原直樹のバックスクリーンへの3ランで激闘に終止符を打った。
81年の全国優勝以来、夏の甲子園から遠ざかっていた名門報徳は同年以来、16年ぶりの兵庫大会制覇だった。
就任4年目で監督として初めて夏の全国切符を手にした永田裕治監督はサヨナラ本塁打の瞬間、
「手の震えが止まらなかった」と言う。
報徳は選抜大会で1試合18奪三振を記録した左腕前田章、後にオリックス入りした肥田高志ら
タレントがそろい、敗れた神港学園も3バン米川将義が7試合で計15安打、5割7分7厘の高打率を残した。
第80回大会(1998年)
~初の東西分割、両雄輝く~
第80回記念西兵庫大会で12年ぶりの夏の甲子園出場を決めた東洋大姫路ナイン
史上初の東西分割開催となった1998(平成10)年の第80回記念大会。
東兵庫は報徳、西兵庫は東洋大姫路が頂点に立ち、兵庫の両雄が存在を誇示した。
東洋大姫路は復活を告げる優勝だった。
77年に全国制覇を達成しながら、平成以降は春夏とも甲子園出場はなし。
不祥事による監督交代もあり、しばらく低迷していたが、97年に就任したOBの
藤田明彦監督がわずか1年で名門を再建した。
姫路工との「姫路決戦」は同点の九回にスクイズを敢行。
伝統の猛練習で鍛え上げられた東洋大姫路らしく執念で決勝点をもぎとった。
仁川との「西宮決戦」を制した東兵庫の報徳は、前年春の選抜大会から4季連続の甲子園出場。
2年生からベンチ入りしていた捕手の大角健二主将は4度とも甲子園の土を踏み、
現在は監督として母校を率いる。
神戸新聞 松本大輔氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)
兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)
白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 41
1992年 第74回大会の初優勝から4年、神港学園が2度目の優勝。
ノーシードの夏だったようだけど、ここ数年兵庫の夏を観ていて思うこと・・・
勝ったチームが強いんだ!
ノーシードだからと構える必要も不安を持つこともはない。
ノーシード校は一戦多く対戦することになるが、1回戦を勝利し勢いを持ったチームの活躍が素晴らしかった。
通年ではどの地区のチームとの対戦になるかは時の運。
しかし今夏の兵庫は東西に分かれての大会となるので、
秋春の地区大会で対戦したことがあるチーム同士の夏の対戦となることも多いに考えられる。
対戦校によっては秋春の悔しい想いを夏に晴らすために、更に気持ちが入った熱戦も予想される。
兵庫の東西大会対戦組み合わせは、いよいよ来週26日に迫っている。
第78回大会(1996年)
~神港学園 神戸対決制す~
第78回大会決勝で神港学園が育英との神戸対決を制す
私学が4強を独占した1996(平成8)年の第78回兵庫大会。
春は県大会東神戸地区大会初戦で敗れたノーシードの神港学園が4年ぶり2度目の王座に返り咲いた。
3回戦で春季県大会覇者の津名を3-1で退けると、4回戦は県尼崎に1-0の辛勝。
苦戦を良薬に、準々決勝からは3試合連続2桁得点と波に乗った。
ノーシードの神戸対決となった決勝は育英に15-3で大勝した。
左腕エース岡本賢之を中心とした守りは全7試合合計で6失点、5失策と抜群の安定感。
北原光広監督の長男直也(現監督)が捕手を努め、主軸を担った藤原通は立命大を経て阪神に入団した。
春の県大会4強で優勝候補の一角に挙げられていた神戸弘陵は3回戦で敗退。
エース山井大介は後に中日入りし、2013年にノーヒットノーランを達成したほか、
40歳になった今季も完封勝利を挙げた。
神戸新聞 大原篤也氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)
兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)
兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)
兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)
兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)
兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)
兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)
兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)
兵庫球児100年のあしあと 37
第72回大会(1990年)
兵庫球児100年のあしあと 38
第73回大会(1991年)
第74回大会(1992年)
兵庫球児100年のあしあと 39
第75回大会(1993年)
兵庫球児100年のあしあと 40
第76回大会(1994年)
第77回大会(1995年)
白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 40
第76回大会は、前年全国制覇を果たした育英との兵庫大会決勝で1得点に涙した姫路工業が
兵庫大会史初となった飾磨との姫路対決を制し初優勝、甲子園への道を開いた。
第77回もチームの歴史を変えた尼崎北が初優勝。
あの阪神淡路大震災のあった夏だった。
自分自身、震災の被災者であったあの時、選抜が開催できるのか・・・
という状況は遠目に耳にしていたけど、生活再建に奮闘していた頃。
選抜も夏の甲子園も全く記憶にはない。
というのも、この頃、私は高校野球に全く興味がなく、
一度もテレビでも甲子園、高校野球というスポーツを観たことがなかった。
興味がなかったというより、野球自体が好きじゃなかったのだ。
だからこの年だけじゃなく、それまでの高校野球、野球自体に目を向けたことはなかった。
今の自分があるのが・・・自分でも不思議。
私が野球嫌いだった?と、今を知る方は目を丸くするだろうなっ@@。。。
もうすぐこの白球回想 夏の兵庫大会史にその真相の時がやってくる。
第76回大会(1994年)
~姫路工台頭、公立の雄に~
第76回大会で初優勝を果たし、福井薫監督を胴上げする姫路工ナイン
公立の雄として台頭した姫路工は「旬」を迎えていた。
前年の兵庫県大会は春優勝、夏準優勝、秋準優勝。
秋の近畿大会では4強入りし、甲子園初出場となった1994(平成6)年の選抜大会でベスト8に進んだ。
同年春の県大会は3位に入り、近畿大会で4強進出。
優勝候補の筆頭格として挑んだ第76回兵庫大会は初戦の2回戦こそ川西北陵に3-2で
九回逆転サヨナラ勝ちと薄水を踏む思いだったが、尻上がりに調子を上げて決勝へ。
大会史上初の姫路決戦となった飾磨との戦いは2-0で制した。
創部47年目での悲願達成。
「選手が最後に甲子園で成長した力を発揮してくれた」
と目を細めた監督の福井薫は溶接科教論で、当時46歳だった。
神戸勢の連続優勝を6でストップさせ、公立としては7年ぶりの栄冠。
16強のうち10校を占めるなど公立勢が躍進した。
第77回大会(1995年)
~震災乗り越え尼崎北制す~
第77回大会決勝を制し、夏の甲子園初出場を決め、大喜びする尼崎北ナイン
1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、被災地の球児たちにも大きな影響をもたらした。
ただ、一時は開催が危ぶまれた選抜大会は神港学園、育英、報徳の3校が
そろって初戦を突破し、地元に明るい話題を提供した。
春の兵庫県大会は選抜出場全3校を直接対決で破った村野工が初優勝。
迎えた第77回兵庫大会では初めて、グリーンスタジアム神戸
(現ほっともっとフィールド神戸)での試合が組まれた。
村野工と選抜出場3校が準決勝までに姿を消す中、
決勝は春の県大会4強の尼崎北とノーシード神戸弘陵の対戦に。
エース越智崇を中心にチーム一丸となった尼崎北が郡雄割拠の大会を制した。
選抜大会は4度の出場歴を誇るが、夏の甲子園は創部45年目で初めて。
母校を率いた31歳の植田茂樹は「ありがとうと言いたい」と後輩たちに感謝した。
神戸新聞 大原篤也氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)
兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)
兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)
兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)
兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)
兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)
兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)
兵庫球児100年のあしあと 37
第72回大会(1990年)
兵庫球児100年のあしあと 38
第73回大会(1991年)
第74回大会(1992年)
兵庫球児100年のあしあと 39
第75回大会(1993年)
白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 39
1990年 第72回大会から3年ぶりに育英が優勝。
1935年 第21回大会で育英商が初優勝を飾ってから5度目の甲子園。
甲子園では初出場の21回大会準優勝が最高成績。
22回大会ベスト4、39回大会初戦敗退、72回初戦敗退。
21回大会から58年戦い続け悲願の初全国制覇を成し遂げた。
兵庫勢としては1981年 第63回大会 報徳学園が全国制覇を遂げてから12年ぶり7度目の全国制覇。
育英の制覇から24年、兵庫球児は甲子園決勝の舞台から遠ざかっている。
特別な夏にその姿を観たい!
第75回大会(1993年)
~育英、悲願の全国制覇~
第75回大会決勝、8回、内野ゴロの間に生還する育英の大村直之
前年秋の兵庫県大会は公立勢が4強を独占。
春の兵庫県、近畿大会は姫路工が初優勝した。
迎えた1993(平成5)年の第75回兵庫大会。
初の決勝に進んだ姫路工を相手に、前年の選抜大会8強メンバーが残る育英が私学の意地を見せた。
息詰まる投手戦となった大一番。
後に近鉄などで1865安打を放った育英・大村直之が「足」で攻めた。
両校無得点で迎えた八回、先頭打者で二塁打を放った大村を犠打で三塁に進め、
渡辺順之の二ゴロの間に決勝点を奪った。
直前のスクイズ失敗も素早く帰塁し、強い打球の内野ゴロで迷わず本塁を突いた
大村のセンスが3年ぶり5度目の栄冠を引き寄せた。
甲子園では今も残る30犠打の大会最多記録をマークするなど機動力を駆使し、
兵庫勢としては12年ぶりの頂点に立った育英。
当時の主将、安田聖寛が2012年から母校を率いる。
神戸新聞 大原篤也氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)
兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)
兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)
兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)
兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)
兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)
兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)
兵庫球児100年のあしあと 37
第72回大会(1990年)
兵庫球児100年のあしあと 38
第73回大会(1991年)
第74回大会(1992年)
白球回想 夏の兵庫大会史
兵庫球児100年のあしあと 38は、73回大会、74回大会とも初優勝校の誕生。
73回大会は、現在身近に応援させていただいている神戸村野工業。
記事に出てくる安達投手は一昨年亡くなられた。
安達氏は阪神タイガースを退団後多々の経緯を経て、
中学硬式チーム美蹴館ロケッツの監督さんを務められていた。
私の幼馴染のご主人と深い親交があり、あれは2010年だったか・・・
その幼馴染の息子がヤングリーグのチームで野球をしていた時、
対戦した際に一度だけ安達氏にお会いしたことがある。
あの安達氏が・・・まだ41歳というお若さでの訃報に衝撃を受けた。
その安達投手擁する神戸村野工業は春夏連続の甲子園出場を果たした。
幼少期患っていた小児がんを克服し野球道へ。
プロ野球選手まで登りつめた安達氏は、甲子園への道を切り開いた村野工業の球歴に大きな名を残す大投手だ。
この優勝から27年。
100回目の夏、後輩たちが甲子園で輝く姿を空の上から見て欲しい。
ご縁いただいた村野工業の選手たちが27年ぶりの甲子園を目指す夏を気持ちを込めて応援したい。
74回大会は、神港学園の初優勝。
昨年ご勇退された北原光広元監督さんの初甲子園であった。
神港学園チームTシャツの背中にある「この一球」の意味をこの記事で知った。
現チーム主将の佐々木選手のお父さんは村野工業の選手だった。
よくお会いするがとても気さくな方だ。
そこにも繋がりがあり、村野工業とは不思議なご縁を感じる。
神港学園はこの後78、85回大会でも優勝を遂げているが、
今夏、北原直也新監督さんと15年ぶりの甲子園を目指す。
200回を迎える時、北原新監督さんの胴上げのシーンが記事になっていたら素敵だ。
第73回大会(1991年)
~安達擁し村野工初V~
第73回大会で初優勝に導いた村野工の安達智次郎投手
1991(平成3)年の第73回大会は、140㌔超の速球を誇る大型左腕の2年生エース
安達智次郎を擁した村野工が悲願の初優勝を飾った。
ノーシードからの発進だったが、3回戦で神戸弘陵を1-0で退け、勢いに乗った。
安達は後に「誰も甲子園に行くとは思っていなったでしょう」と回想する。
同級生の黒田哲史(元西武など)とともに、翌春の選抜大会にも出場した。
21(大正10)年創部の古豪だが、甲子園出場は78年春の選抜大会が初めて。
計3度の聖地で、まだ白星は挙げられていない。
安達は松井秀喜(元ヤンキースなど)の外れ1位で阪神に入団。
けがなどもあって1軍出場はなく、99年限りで現役を退いた。
打撃投手を経て神戸市内で飲食店を経営していた2016年、内蔵疾患のため亡くなった。
41歳の若さだった。
第74回大会(1992年)
~神港学園、大願成就~
第74回大会で初優勝を飾り、胴上げされる神港学園の北原光広監督
直近4年間で3度目の決勝進出。
1992(平成4)年の第74回大会で神港学園がとうとう大願を成就させた。
準決勝で選抜8強の育英を撃破すると、決勝では春の県大会覇者・滝川第二を退けた。
前年準優勝の悔しさを知るエース井上立暁を中心に、旧私神港時代の82年から
指揮を執る北原光広監督が執念を見せた。
好投手として注目された岡山・倉敷商高時代、暴投でサヨナラ負けした苦い経験から
一つ一つのプレーにこだわってきた北原監督。
「この一球」を座右の銘とし、阪神・淡路大震災の影響で開催が危ぶまれた95年の選抜大会で
8強に進むなど、春夏計8度の甲子園で8勝を挙げた。
指揮官は2017年度限りで退任。
選手時代に父子で甲子園に出場し、コーチ、部長としてチームを支えてきた長男直也にタクトを託した。
神戸新聞 大原篤也氏
兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)
兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)
兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)
兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)
兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)
兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)
兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)
兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)
兵庫球児100年のあしあと 37
第72回大会(1990年)
今週末は、もう梅雨が明けたかのような紫陽花が似合わない晴天初夏の陽気です。
兵庫球児の夏の始まりまで三週間。
ここまで来ると更に一週間が過ぎるのが早く感じます。
楽しみなような・・・寂しいような・・・
夏の始まりには色々な想いが行ったり来たりします。
村野工業ひよどりグラウンドの紫陽花
昨日もこのグラウンドへ夏を目前に頑張る選手たちに会いに行って来きました。
昨日はいろんな~再~に出会えました。
ひとつは昨年チームの選手たち、吉田くん、柏木くん、麻木くんに再会できたこと。
麻木くんは秋の大会や親善大会などで何度か会った以来お久しぶり。
吉田くんや柏木くんとは2月の卒部式以来の再会。
変わらぬ素直さと笑顔に会えて本当に嬉しかった。
先日の近畿大会で米川くん、志水くん、道才くんたちと会えたり、
卒業後もそれぞれ色々な道で頑張っていて、良い顔しているみんなと会えるのは嬉しい。
先輩たちはよくひよどりグラウンドへ顔を出すようで・・・
後輩たちが気になるんだよね~。
こうして母校グラウンドへ戻ってくる彼らが本当素敵だ!
吉田くんと川原選手
こっそり残すつもりがカメラ目線だなっ
いい先輩だ。
昨日は夏までにみんなの野球を観る最後となった。
初めてこのグラウンドにお邪魔させていただいたのは2015年秋の終わり。
春になり、入学直後の今の3年生との出逢いがあった。
あの時は顔も名前も分からない選手だったけど、
1年経ち、2年が過ぎ・・・
もう最後の夏。
あ~ぁ早いなぁ・・・もっと観ていたかったなと、とても興味深いチームとなった。
村野工業は三年生のラストゲームまであと一週間。
グラウンドには三年生の挑戦がまだまだたくさんあった一日だった。
何度も何度も言うけれど、最後の一瞬までチャンスは必ずある。
それを忘れずあと一週間精一杯ガンバレ!
そんな想いでグラウンドを後にした。
久しぶりに会えた選手と~再~
先週グラウンドの中で会えなかった選手と~再~
できれば夏の前に、最後の夏にもう一度会いたいと願う~再~
いろんな ~再~ があった。
6月16日 夏へ向かう選手たちのあしあと
道才選手 おっ!久しぶり
ナイスバント!
大江選手 ラッキーボーイだったね~
木場選手
川原選手
木場選手も川原選手も、いつも一番前。
率先力が素晴らしい選手たちだ。
宮脇選手
ナイスヒット!
笑顔で準備してたのにね~試合終了。
最後にフルスイングもう一度観たかった><残念!
田畑選手
「ファースト来い!」・・・と呼ばれる前に行ってみた(*´∀`*)笑
城間選手
城間選手の夏をまた観に行くよ。
前田選手
審判中も・・・グラウンドの状況を見て土を均す。
考え、行動できる素晴らしい選手だ。
こういう選手はどの場所に居ても応援したくなる。
昨日は写真として残せなかったけど・・・
林選手自身の高校野球のあしあとを残しにまた観に行くよ。
そして・・・
3年生選手たちの高校野球が、誰よりどこより長い夏になりますように
ここ数回、大事な練習時間に邪魔をしてしまってごめんなさい
多くの頑張り、あしあとを残すことができたことに感謝します。