「日本100名城巡り」、今回ご紹介するのは、千葉県佐倉市にある『佐倉城』です。
「日本100名城」とは、日本城郭協会が全国各地の名城探訪の手がかりとして、2006年に定めた日本の名城100選のことです
12月13日 (水) の朝8時前、友人J君の車に同乗し、東京都文京区の自宅前を出発。首都高速、東関東自動車道を走り、佐倉インターチェンジで高速を降ります。
しばらくすると、小高い丘が見えてきました。ここが、佐倉城跡です。
佐倉城は、戦国時代中頃の天文年間(1532年から1552年)に千葉氏の一族である鹿島幹胤(かしまもとたね)が、鹿島台に築いたといわれる中世城郭を原型として、江戸時代初期の慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた土井利勝によって翌慶長16年(1611年)から元和2年(1616年)までの間に築造された平山城です。
佐倉城跡の中に設置されている「佐倉城址(じょうし)公園」内にある「椎木門跡」脇の駐車場に到着したのが、9時10分頃でした。
南西の方角に歩くと、「堀田正睦公像」が鎮座しています。
開国の父とよばれた堀田正睦(1810~1864年)公は、佐倉藩に西洋の学問を奨励し、幕末期の老中として、動乱の日本を開国に導いた佐倉藩主として知られています。 銅像の高さは、台座を含めて約270センチメートルあります。
よく晴れたこの日、紅葉が映えます。
堀田正睦公像の右手奥に進むと、「二の丸御殿跡」がありました。
佐倉城の歴代城主は、本丸御殿ではなく、ここ二の丸御殿に住んでいました。のべ413畳の広さであったようです。
二の丸御殿跡の少し先が、「本丸跡」です。
本丸跡の広さを実感するために、「土塁」の上に上がりました。
「土塁」とは、城を外敵から守るために築かれた土手のことです。佐倉城は、石垣のない土づくりの城です。土塁を巧みに配置して城の守りとしていました。本丸の土塁の上には、土塀が存在していたそうです。
広大な本丸跡、現在は、芝生公園になっていて市民の憩いの場所です。
反対側は、深い「空堀」です。
「日本100名城」スタンプを押印するため、「佐倉城址公園管理センター」に向かいます。
公園管理センターの中には、佐倉城天守閣の模型が置いてありました。
尚、「日本100名城」の内、登城したことがあるのは、これでに29城になりました。詳細は、こちらの一覧をご参照下さい 。
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