隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

旅行記 第34回 『「Go To トラベル」で行く鎌倉 2日間』 (その7・浄妙寺)

2020年10月27日 | 旅行記

旅行記 第34回 『「Go To トラベル」で行く鎌倉 2日間』 (その6・東慶寺) ⇒ https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/a6955d33c48f36dc28fb2f4cfa6b13ee

 

 

この日、参詣した五寺一社の六番目「東慶寺」から「鎌倉街道」に下りて来たのが15時5分頃です。今度は、鎌倉の東に位置する七番目「浄妙寺(じょうみょうじ)」と八番目「報国寺」を参拝するため、「江ノ電バス」の「北鎌倉停留所」に向かいます。


定刻の15時15分から約4分遅れで「鎌倉駅」行きのバスが到着。

 

 

5つめの「鎌倉八幡宮前」で下車。乗車時間は、約6分。運賃は、210円でした。今度は、「京急バス」の「ハイランド循環」に乗り換えるので、「若宮大路」にある「八幡宮停留所」に急ぎます。


運よく15時27分発のバスに乗る事が出来ました。「金沢街道」を走り、4つめの「浄明寺」で下車。乗車時間は、約6分。運賃は、200円。街道から住宅街を進み、徒歩約2分で「浄妙寺」の「山門」前に着きました。寺院の名称は、「浄寺」ですが、ここら辺りの地名は、「浄寺」です。

 


「浄妙寺」は、山号「稲荷山」で、「鎌倉五山」第五位の寺格を持つ、臨済宗建長寺派の古刹(こさつ)です。鎌倉五山とは、臨済宗の寺院の寺格で、鎌倉にある五つの禅宗の寺院のことです。鎌倉時代に、北条氏によって導入されました。これで、五山のうち、寿福寺以外の、建長寺、円覚寺、浄智寺、浄妙寺の4つを、今日一日で参拝したことになります。


源頼朝の忠臣で剛勇の士あった足利義兼(あしかが よしかね)が、文治4年(1188)に創建し、初めは極楽寺と称しました。当初は、密教系の寺院でしたが、建長寺開山・蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)の弟子・月峯了然(げっぽうりょうねん)が住職となってから禅刹に改め、ついで寺名も足利貞氏の法名をとって浄妙寺と称しました。

 


かつては広大な寺地を有し、23箇院の塔頭(たっちゅう)を有していましたが、現在は、「総門」、「本堂」、「客殿」、「庫裏」などで、伽藍を形成しています。境内は、国指定史跡。


「総門」をくぐった左手にある「拝観受付」にて拝観料 100円を納めます。冒頭の画像は、その時に頂いた略記が記載された冊子。同時に御朱印帳を預け、境内参詣へ。

 


本堂へ続く、石畳の参道は、綺麗に整備されています。

 


参道の両側は、小石が敷き詰められ、苔むすちょっとした庭園の風情があります。

 


宝暦6年(1756)に再建された「本堂」は、寄棟造、銅板葺きの堂々たる威容で、美しいシンメトリーの姿は、歴史深い寺院の本堂に相応しいと言えます。

 


本堂裏の墓地には、足利尊氏の父・足利貞氏の墓があります。

 


左手の足利貞氏の墓と伝わる「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」の中央部には、「宝生如来」の浮彫りがあります。

 

 


参拝を終え、「拝観受付」で御朱印を頂きました。納経料は、300円。

 

右側は「奉拝」の文字と参拝日、中央は「南無釋迦牟尼佛」、左側は「稲荷山 浄妙寺」の墨書き。

 

右上には「鎌倉五山 第五位」の朱印、中央には三宝印の「仏法僧宝」、左下には「稲荷山 浄妙禅寺」の寺院印を押印して頂きました。

 

 


尚、拝受した御朱印の数は、これで七十三印になりました。詳細は、こちらの「御朱印巡り」記事一覧をご参照下さい⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e23a591aa7b880a9e451c519dc5e14a5

 


約20分の参拝・境内散策を終えたのが、鎌倉街道に下りて来たのが16時頃です。これから、この日最後の目的地「報国寺」に向かいます。

 


★ 続きは、『「Go To トラベル」で行く鎌倉 2日間』 (その8・ホテルメトロポリタン鎌倉)で ★ 

 


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