★・二宮金次郎像・・ 《苦学と親孝行」の象徴的人物》
~・それはワタクシの小学校低学年の時、s26年頃、校舎中央の大玄関横に突如?設置。
~「柴を背負い、読書に励む姿」身長1m程の石像で台座に乗った立ち姿、だった・・。~
~そして「二宮金次郎」の人物像を、授業で聴いた事うっすらと記憶にある・・~
~母は折々、小学校唱歌「金次郎」を口ずさみ「修身」の話も加えて語ることがあった・・
~今は「道徳」の時間があるらしいが、s20年代にはなかったと思う・・。~
★~江戸時代の終わり頃、貧しい農民だった二宮金次郎は苦学の末、武士にもなり
~農地の復興に、生涯を捧げる立派な人物、は【周知の話】。
~勤勉の象徴で、その姿をお手本に、しっかり勉強してほしいという理由から
~小学校に多く銅像が建立したとある・・
~昭和10~15年頃が銅像建立のピークだったようで、戦局悪化・軍需物資不足に伴い
~1941(昭和16)年9月施行の「金属類回収令」に基づき、
~寺の仏具・梵鐘、家庭の鍋・釜と共に金次郎の銅像も例外に洩れず
~鉄砲や大砲の弾等に、化けていった・・。~
~その結果、銅像よりも石像なども多く存在する・・。~
~★・ワタクシの母校・「成岩小学校の歴史」はフルイ!!~★~
★ ↓ ↓ ↓ \(◎o◎)/!・・・ あゆみ・・・
・明治8年(1875年) 「進学学校」を「成岩学校」に改称する。
・明治17年(1884年) 無量寿寺から現在の場所に移転する。
・明治33年(1900年) 「成岩学校」から「成岩第一尋常小学校」と改称
「協和学校」は「成岩第二尋常小学校」
「西成岩学校」は「成岩第三尋常小学校」
・明治41年(1908年) 第一・第二・第三尋常小学校を合併し、
・「成岩第一尋常高等小学校」となる。(児童数1016人)
・昭和16年(1941年) 半田市成岩国民学校となる。
・太平洋戦争始まる。(戦争のため、「成岩学林」休刊)
・昭和20年(1945年) 終戦
・昭和22年(1947年) 半田市立成岩小学校となる。(児童数2210人)
・昭和23年(1948年) 給食調理室できる。
~↑この頃からs35年ころ?迄「校番さん」がゐた《学校内に家族で住み雑事一切のマカナイさん》
★・この新聞記事から、このように歴史をたどることになり、新発見・・。! 回想は愉しい。
★・「短歌蘭」の選者・選評に 興味あり購読の読売新聞
~文化面は充実しているのも、購読理由、宜しく~・・。~
~「コボちゃん」の銅像が、東京都新宿区神楽坂に建つと 2、3日前に二ュースに流れた。
~神楽坂商店街振興組合が都と区の補助を得て、神楽坂6丁目の早稲田通り
~歩道に設置する。ユウモラスなコボちゃんはきっと人気の的、間違いなし!
~除幕式は8月の予定との報・・。~
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