つわぶきの庭

~明日の元気のために~
 写真と拙詠で綴ります
 (脳トレになればと・・・)
   

★竹契会・・  ≪半田 雁宿ホール・4/3≫

2016年04月04日 | 短歌

◆・案内板・・  《雁宿ホール4/2~4/3》
~・毎年、案内のお葉書をいただいて、、鑑賞させていただく竹契会の展。


◆・会場入口・・ 《漢詩の並ぶ》


『今日の一首』
【奥深き 漢詩の世界 起承転結 
         吸い込まれるごと 筆の勢ひ】~




◆・正面飾るのは、書神会会長・《主宰者の 御師匠の織田蘭斎・はるばる四国から》



◆・圧倒される文字・・



◆・扇面に文字を・・



◆・息を吞むような作品ばかり・・

◆・・・



◆・額装もよし・・ 洋間に一つ飾りたい・・と思えた瞬間・・。~
★~・楚々とした茶花にも魅了される・・



◆・第二会場・・《40回を記念に主宰者御尊父・故人 2曲1隻屏風他2点》

★~竹「竹」一文字をおのおのしたため天井に掲ぐ、初挑戦の今回の目玉・。・・~


◆・↓は ↑をUPイタシマシタ・・~



◆・水屋のお世話に・・ 美味しく頂戴いたしました・・。~

★~・美味しい和菓子ゆえ ネットで・・こだわりの製法の「大手まんぢゅう」

~・「大手饅頭」は天保八年(1837年)弊店の初代伊部屋永吉の創業。
~備前名物として好評を博し以来百七十余年綿々と今に・・

~当時の備前藩主池田侯から、寵愛を受け御茶会の席に伊部焼の茶器とともに愛用
~・【大手饅頭の名称は、岡山城大手門の附近にあったため藩侯からの名】・・以上。



◆・水遣りも先生自ら・・お優しい・・。~



◆・山野草の飾りは、一段と会場の静寂さに趣を添えて・・。~


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   ★東京・目黒川の夜桜3/30・・ ≪満開には尚早なれど・・≫

2016年04月04日 | 短歌

◆・ぼんぼりの数の多さに、ビックリポン・・
~・《協賛者や行政の意気込みが伝わる・・敬意を表したいほど・・》

~~今夜の夜行バスに乗車予定・強行スケジュールの「目黒川の夜桜」観桜!・・。~



◆・太鼓橋の表示・・  《目黒川の畔・・》

★・趣きある大き「利休灯篭」・・  江戸の時代をしのぶも、道路脇に置かれたるは
~・少々ミスマッチの感を抱く、東京には余裕の土地は無いのだろうと、此処で思った。




◆・太鼓橋・・ 昔「雁歯橋」とも呼ばれたが、今は太鼓橋と呼ぶ。

~・広重の錦絵「名所江戸百景・目黒太鼓橋より夕日の岡」に 残された景観である。
~明王院、大円寺一帯は夕日の岡といわれ、紅葉・桜の名所でもあった・・~。


★~・目黒川にかかる大橋から、太鼓橋付近まで、全長3.8kmの川沿いに
~・約800本の桜の木。 夜桜も楽しむ都会のオアシス・・。~。


◆太鼓橋・中ほどにて・・ 《川の両岸に揺れるボンボリびっしりと・・》

・・


『今日の一首』
~【ぼんぼりに灯りを入れて 目黒川
             春爛漫の 水辺の耀き】~


◆・サラリーマンも眺めながら通り過ぎる・・  《敷ものに座っての観桜スタイルではない処》


◆・雅叙園のビルの灯りに、大都会東京の巨大さがきさが・・



◆・大圓寺・・

★~・急な坂は「行人坂」、坂の途中の大円寺。 この坂は江戸市中から
~・目黒不動尊への参詣路であった。 「行人坂の名」は、大円寺を拠点にする
~修験道の行者が、この坂道を往来したことによる・・。~と




◆・目黒雅叙園・・  《結婚式場・ホテル・レストランなどの複合施設》

★~・目黒駅西口を降り、目黒川を目指すも、路は暗いし急斜面の坂には閉口した。・・
~~観桜の帰り道は雅叙園の坂道は、さすが通らなかった、趣ある道は思い出となった・・。~



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   ☆彡東京探訪・・ 【その6】  ≪靖国神社編≫

2016年04月04日 | 短歌

◆・靖国神社・大鳥居・・  《第一鳥居》

★~・明治2年(1869)6月、明治天皇の思し召しによって建てられた
~・東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称・今日に至る。



◆・大村益次郎象・・  《近代日本陸軍の創設者・陸軍創設の祖》


『今日の一首』 (1)
~【直立に空を 突きあげ 雄々しかり
          「大村益次郎像」 表参道ど真ん中】~


★~・大村益次郎の銅像。明治26年(1893)建立 靖国神社の参道中央。
~・日本最初の、西洋式銅像となる・・。~


★~・幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者の「大村 益次郎」
~・維新の十傑の一人で、 長州征討と戊辰戦争に於いて、長州藩兵を指揮。


★~・江戸時代の文政7年(1824)に長州藩の医師の長男として誕生。
~・オランダ医学を学ぶ傍ら、博覧強記の天才で、師匠に就く事もなく
~独学で兵学を学び、天才的な軍事的才能を発揮。・・
 

★~・西洋式装備の常備軍「奇兵隊」を整備・育成を始め、
~・幕府軍を撃破し、第二次長州征伐における戦いで辣腕をふるう。

★~・戊辰戦争渦中の上野戦争では、彰義隊の蜂起を一日で鎮圧する活躍。

~・兵制化を指導するなど、後の日本陸軍創設の中心人物。
~道半ばの明治2年(1869)に刺客に襲われ、その傷が元で亡くなる。

★~・大村は戊辰戦争の戦死者を、祀る東京招魂社建設に先立ち、
~・自ら、建設候補地の九段の、現地視察を行い、その建設に尽力・・。~

★~・大村益次郎銅像は、明治26年に除幕式。その顔は、上野公園を向き、
~・西郷隆盛像と視線を合わせている・・とも。


◆・御手洗・・



◆・神門・・ 荘重な風格・・ 1934年(昭和9年)に完成した、総ヒノキ造りの門です。



◆本殿に近づく・・

★~・第三鳥居をくぐると、目の前には拝殿。天皇家の御紋・菊をあしらう
~・~・幕が垂れ下がる・・~。そして側には常に警備員が・・

◆・明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社
★~・元々靖国神社は、帝国陸軍の戊辰戦争で亡くなった軍人を祭る目的。
~・陸軍省管理。 現在のように戦没者全般を、祀る目的ではなかったとも・・。




◆・靖国神社・境内・・ 《東京桜の名所》


★~・靖国神社境内には、ソメイヨシノやヤマザクラなど約400本の桜。
~・靖国神社境内にあるソメイヨシノは、気象庁の東京の桜の開花宣言の基準木。・・~


◆・風格ある桜の古木・・


◆・芳子さんへ・・ 《戦場からの手紙・悲しい時代がありました》
★~・29歳の父親より、6歳の長女にあてた手紙・・。~



◆・神門・扉の菊のご紋章・・ 《直径1.5メートルの菊花紋章》

『今日の一首』(2)
~夕日射す 菊の紋章こがね色
          門扉おごそか 靖国の苑】~




◆・靖国通り・帰路・・ 《歩道橋から・九段下駅方向望む》

~~・次回目黒川の夜桜見物・・~~へ


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