ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

203. リスボン首都圏のパスカード

2024-06-01 | 風物

 リスボンにはバスで出かけた。オリエント特急バスはセトゥーバルからリスボンのガレ・デ・オリエントまでノンストップ。昔はよく乗ったものだが、クルマを買ってからは乗ることがほとんどなかった。

 今回はリスボン首都圏の「老人割引パス」を買ったので、無料で行ける。パスカードは便利だ。毎月一ヶ月のパスを買うと、65歳までは一ヶ月40ユーロ、65歳以上は一ヶ月20ユーロ払うと、どこでもどの路線でも何回でも乗り放題。どこからでもどの路線にも乗れる。

 宮崎の老人割引パスも便利だと思っていたが、一回あたり100円かかり、乗り換えるごとにさらに100円支払う。たとえ100円でも気軽に乗り換えるとチャージしてある金額がどんどん減ってしまう。その点セトゥーバルのパスカードシステムは20ユーロ支払うとそれ以上はかからないので、安心だ。このごろバス停で待っている人がぐんと増えたようだ。しかもみんなパスを使っている。

 このパスで電車にも乗れる。メトロにも乗れる。渡船にも乗れる。先日はモイタの露店市に電車で行った。駅のチケット売り場で電車の時刻表をもらおうとしたら、あそこにあるよと指さしたのはデジタル時刻表。「あれは字が小さくて見えない、印刷した時刻表を下さい」というと、紙の時刻表はないという。係員は時計を見ながら、「あと3分でバレイロ行きの電車が来ますよ。1番ホームです」と教えてくれた。あわててホームに駆け上がったら、たくさんの人々が待っていた。

 やってきた電車は真新しく、3人掛けの対面シート、つまり6人掛けで、通路を挟んで4人掛けがある。空いている席に座ると、周りは若い旅行者でいっぱいだ。フランス語が飛び交っている。今からリスボンにでも出かけるようだ。セトゥーバルの街中でもツーリストだらけだ。リスボンはホテルが高いから、セトゥーバルの安い宿とレストランを求めて旅行者がやってくる。

 老人たちが住んでいて空き家になった古い長屋か、アパートをリメイクして、「IE」という民宿がポルトガル全域に爆発的に増えている。私のアパートにもリディアさん一家が住んでいた部屋をIEにして貸している。リディアさん一家は近くのパルメラに住んでいるらしい。リディアさんのIEは、時々、旅行者風のカップルが出入りしているのを見かけることがあるから、そこそこ流行っているのだろう。

 

モイタ駅のホームを結ぶ歩道橋と見上げるような階段。エレベーターは壊れている。

 電車がモイタに着いた。降りたのはわたしたちと数人だけ。ほとんどの人が降りない。電車が着いたのは2番ホーム、出口は1番ホームにしかないようだ。しかも見上げるような階段を昇り降りしなければならない。エレベーターを探したが、壊れている。誰かが蹴って壊した様だ。分厚いステンレス製の扉が歪んでいる。しかたなく一段一段昇って、そして降りた。駅員は一人も見当たらない。真新しいモダンな駅だが無人駅の様だ。しかもトイレもなさそうだ。駅前のカフェも閉まっている。やはりクルマできたらよかった。

 セトゥーバル市内やリスボン市内は無料の駐車場がほとんどないので、市バスや電車を利用するのがベストだが、モイタなど郊外に行くときは駐車場に困ることはほとんどない。しかも土曜日の午後から日曜日は無料になる。

 モイタに着いたら帰りの時刻を調べておこうと思っていたのだが、無人駅で聞く人も居ないし、張られた時刻表は日焼けして読むことが出来ない。

 帰りの電車の時間が判らないので、適当に駅に着いた。まずパスにパンチを入れなければならないのだが、そのパンチを入れる機械が壊れている。まわりに数台設置してあるのだが、ほとんど使えない。その時2番ホームで電車を待っていた家族ずれが「あっちがいいよ」と教えてくれる。その中でも未だ声変わりもしていない、小学校高学年程の甲高い声の男の子が親切に教えてくれて、何とかパンチを押すことができた。その子は学校で習ったばかりの英語が使いたくてしょうがなかったのだろう。「バレイロ行きは直ぐに来るけれど、セトゥーバル行きは10分前に行ったばかりだからあと50分待ちだよ」とも教えてくれた。

 乗り放題なのだからバレイロまで行き、渡船にでも乗って観光気分を味わってバレイロから引き返してくるのも悪くはないが、エレベーターが壊れているので長い階段を昇り降りして2番ホームまで行くのも大変だ。50分は少々長いと思ったが、そのままベンチで待つことにした。

 でもその子のお陰で助かった。パンチを押していなかったら、大変なことになっただろう。

 50分ほど待ってようやく姿を現した電車に乗った。ほぼ満席だったが丁度2人分の席が別々に空いていたので座った。

 そしてまもなく、検札がやってきたのだ。私たちが乗っている車両だけで3組の不正乗車が発覚した。最初の一人は若い男で、すぐに罰金を払っていた。もう一人は若い女性。何とか言い訳をしながら隣の車両に移っていった。もう一組はふたりの男たち。これは強制的に降ろされてしまった。車外に出ても、「知らなかっただけだろう。金を払うから乗せてくれョ」と検札官に毒づいていたが、無視されて、電車は動き出した。

 なにしろ次の電車はたぶん一時間後にしかない。しかも駅舎は郊外の原っぱに建っていて、周りは何もない。何もないベンチで1時間過ごすのも悪くはない。涼しい風が吹いている。

 

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202. 2023年9月25日 ステージ2

2024-05-03 | 日記

 2023年9月20日、右の乳房にしこりを感じた。すぐにサウデ(保健所)に行ったのだが、主治医のドクトラ・クロはあいにく休暇で留守。代わりに若い男性医師が相談に乗ってくれて、数軒の病院を教えてくれた。しかしどこに行っても患者がいっぱいで、1か月以上も先の予約になると言う。リスボンの弘子さんにそのことを話すと3日後の9月25日、月曜日にリスボンの民間クリニックに予約を取ってくれた。辛うじて見てくれると言うのが、リスボンのクリニックだった。

 9月25日、私の76歳の誕生日。この日にクリニックに出かけた。リスボンに住む友人の弘子さんとクリニックで待ち合わせ、通訳をして頂けるということで、非常に有り難かった。

 弘子さんのご自宅からは歩いて30分ほどの距離。私の誕生日だと言うので重い上等のシャンペンを携えて来てくれた。何しろ私もビトシも簡単な会話しかポルトガル語は喋れないし、特に病院ともなるととんでもないこと。

 クリニックはリスボン空港のちかくにあり、その道はしょっちゅう通るところ。昔の豪邸が立ち並ぶ、その内の一軒だった。乳癌検査の専門で、そのせいかスタッフは女性ばかり。マンモグラフィーなどの検査を受けた結果はやっぱり悪性の乳癌に間違いはなかった。乳癌に間違いはなかったが、看護婦さんたちからは「お誕生日おめでとう」と祝福を受けた。複雑な心境である。でもこのクリニックでは手術はできない。

 またサウデに戻ってクロ先生に相談したが公立病院ではどこも半年待ちという。それならばと日本に帰国して手術をすることを考えた。

 ネットで日本の病院を調べて、メールで申し込んだ。自宅のある宮崎で手術ができたならゆっくりと療養ができる。早速、日本までのヒコーキを申し込んで、ようやく取れたのが11月7日に宮崎着。

 その翌日の予約でクリニックに行った。ポルトガルでのマンモグラフィーのフィルムを持ち帰って下さい。と言われていたので持参したのに、再び同じような検査をされ、ポルトガルでの検査は何だったのかと思った。このクリニックでも手術はできないということで、本病院に移ることになった。ここも我が家からバス一本で行ける。宮崎市のバスは老人割引で一乗車100円、乗り換えるつどに100円かかるが、安いものだ。しかし次の検診は一か月先。あせって帰国したのに、日本もポルトガルと同じだ。

 12月3日、帰国してもう一ヶ月近く。本病院に2度目。また検査を色々受けて、一日がかり。次は12月8日。挙句の果て主治医は県病院に移りなさいと言う。私としてはまた他の病院にかかるのは受付から時間がかかるのでいやだというと、「この病院で手術中に心臓が止まるなどの突発事故が起きても対応ができない。県病院ならほかの科がいろいろあるのでそうしてください」という。

 県病院は12月27日、またいろいろと検査を受けた。暮れも押し詰まって、もうすぐ正月。

 それどころではないのに1月2日、宮崎神宮に初詣に出かけた。久しぶりに凄い人ごみに混じって願掛け。自分が乳癌だという悲壮感はほとんどないけれど。

 1月3日、県病院に出かけた。受付はとても混雑していて、待たされる。県病院は他の病院から紹介状がないと受診できない。それなのにこの混雑。

 血液検査のあと外科に行っても、そうとう待たされた。朝の1番からの予約なのにお昼ご飯も食べられない。

 やっと私の番がきて、主治医と話ができた。どうやら私の過去の病気の心配をされているらしい。10年ほど前に静脈瘤の手術をしたことと高齢であること、それと海外に住んでいるので手術後のケアをどうするのかが問題であるらしい。手術後は5年以上、経過をみる必要があるとのこと。どうやら私は癌という病気を軽くみていたらしい。今まで自分のまわりで癌になったひとがいなかったので、まさかじぶんが乳癌になるとは思いもしなかった。

 もうそろそろポルトガルから日本に帰国しようかなと考えていたのでちょうどよいかもしれない。

 手術の前に、歯科医と静脈血栓症の異常がないか、二か所の病院を訪ねて県病院あてに手紙をもらわなければならない。歯科医はすんなりといったが、循環器内科は少し手間取った。

 というのも大淀川を挟んで橋を渡った場所にあるのだが、院長先生が朝の4時に玄関の前に順番待ちの用紙を出す。早い順番が欲しかったらできるだけ早朝に行かなければならない。朝9時に開院だから8時半に行ったらもう順番が56番しか取れなかった。そこで次の日、ビトシがまだ暗い早朝5時に自転車を走らせ橋を渡って順番を取りに行った。それでも12番だった。そうして苦労して手に入れた手紙「心臓に心配なし」を持って県病院に行った。

 その後やっと手術の日程が決まった。3月5日。

 ポルトガルから戻ってきた航空券の復路は2月28日。帰国してから4か月間も滞在期間を取ってあったのに3月5日に手術を受けるのだから戻りのチケットを延期しなければならない。しかしいつになるか見当がつかない。戻りの便を延長するのを相談しようとANAに電話を掛けるがなかなか繋がらない。「順番にお繋ぎしていますのであと暫くお待ちいただくか、再度おかけ直しください」とテープが回るばかり。受話器を持ちっぱなしで3時間も待った。ようやく繋がりANAに相談したら、病院から診断書をもらったら、変更料は免除になるし、日にちは保留にしてくれるという。これでひと安心。

 手術まで2か月近くある。以前から気になっていた頭のふらつきをこの機会につきとめようとした。長く歩くと突然倒れてしまう。しかも歩幅がどんどん早くなって足がもつれてこけてしまう。これまでなんどもこけて前歯を数本失くしてしまった。

 乳癌が発覚する半年前に、実はその件で受診したのだ。宮崎の北にある病院である。脳のMRIと脊椎のMRI検査を受けた。それでもその時は原因が分からなかった。「これ以上検査をするのなら国立病院で1週間の入院検査をしてみては如何ですか。それをしても何も出ないかも知れませんが、紹介状を書きますよ。どうされますか?」と言われた。考えたのだが、そこまではする必要はないだろうと思って、それ以上はしなかった。

 それでもやはり気になる。ネットなどで調べると、パーキンソン病、或いはアルツハイマーの症状も気になる。それは脳神経内科で検査と書いてある。近くのS病院の看板に脳神経内科の項目もある。直ぐに電話を掛けた。

 近くのS病院に電話を掛けてみると今は脳神経内科はやっていないと言い、宮崎駅東口近くの脳神経内科クリニックを紹介してくれた。早速電話をすると今朝はあと20分受け付けています。というので、すぐにタクシーで駆けつけた。

 MRIの検査をした結果、別の脳神経外科クリニックに行きなさいとのことで地図と電話番号をくれた。丁度昼休みだ。その近くの食堂で昼食を済ませ。またタクシーでその教えられた脳神経外科クリニックへ急ぐ。そこは出来たばかりのようなきれいなクリニックで、しかし昼休みで未だ閉まっていた。順番待ちの3番の番号札を取り、玄関前で待つ。医師は体格の良いテキパキとした感じのよい人で、ここでもまたMRIの検査。こんなに何度も放射能を浴びて、身体に悪くないのだろうかと心配になる。でもここで私の病気の正体が解明した。何だかよく判らないが、頭に水がたまる『水頭症』だと言う。パーキンソン病でもアルツハイマーでもなかったけれど、水頭症という病気らしい。ここでは僅か30分ほどで病名が解明したのだ。昨年4月のNH病院での検査は何だったのだろうかと残念に思う。

 「県病院で乳癌の手術を受ける」というと、「乳癌手術が先決だからそれが終わってからですね」と言って、県病院宛に手紙を書いてくれた。

 2月5日、県病院で手術前の説明を受けた。手術まで一ヶ月もあるのに変だなと思いつつ行ったが、間違いではなく、入院に関する様々なものを用意しなければならないようだ。

 手術後、入院は一週間程度らしいが、患者が用意するものは様々。まずスリッパ、ハンガー、バスタオル3枚、タオル数枚、手術用寝間着、おしめ、TV用のイヤホーン、などなど。 だいたいは100均の店で揃えられた。日本はとても便利で住みやすい。

 一か月後、とうとうその日はやって来た。付き添いのビトシと二人、タクシーで。行き先は県病院、荷物の入ったスーツケース。それだけでピンときたタクシー運転手、「入院ですか?」「はい、いよいよなんです」

 2階の受付で入院手続きをすませ、その翌朝、3階の手術病棟へ。 

 看護師さんに付き添われて手術室に入ると医師や看護師さんたちが多数いて、私はベッドに案内された。それから全身麻酔がほどこされ、その後覚えていない。

 気が付いたのは自分の入院ベッドだった。ビトシが心配そうに私をのぞいている。懐かしいビトシの顔だった。手術は無事に終わったのだった。痛みもなにも感じなかった。でも私の身体にはたくさんのチューブが付いている。痛みは何も感じなかった。と書いたが、私はその時、朦朧としていて覚えていないのだが、実は痛がったそうである。ビトシはナースステーションに行き、「痛がっています」と言ってくれたそうで、看護婦さんが痛み止めの点滴を加えてくれたのだそうだ。

 部屋は数人部屋で、大きなカーテンで仕切られているので個室のようだ。他の患者の様子は判らない。

 朝から主治医の回診があって、その後も次々と看護師さんが現れていろいろな処置をしてくれた。だんだん頭もはっきりして、向かいのカーテンの患者にかかってくる電話も聞こえるようになった。その他に、カタカタと音を立てて用足しに行く患者の音も聞こえるようになった。たぶん点滴のたくさんぶら下がった手押し車を押しながら移動しているのだろう。ベッドの側にはTVがついていて、前もって買っていたカードを挿入して見ることが出来る。

 朝の食事はお茶から始まる。カーテンの外から声がかかり、前もって用意してあったコップになみなみとそそいでくれる。それはお茶には程遠い、麦茶みたいな味だったが、喉の渇きをうるおしてくれて、美味しかった。

 食事は名前の確認から始まる。お盆にのせた料理には本人の名前が書かれたものがあり、毎回確認させられた。患者の容態によって食事の内容が違うのだろう。

 看護師さんが「シャワーをあびましょう」と案内してくれた。ベッドのまま入れるところと一人で使える部屋の二つがある。もちろん下半身シャワーで、自分でできた。次の日はシャンプーをしましょうといって、看護師さんがとても丁寧に洗ってくれた。看護師さんはみんなとてもにこやかで若くて親切。とてもハードな仕事だろうに、有難くて頭が下がる。

 面会は午後から15分間、陽当たりの良いロビーで家族に会える。そこで太陽にあたりながら本を読んでいると、ビトシが現れる。毎日自転車できてくれる。15分間はあっという間に過ぎてしまう。

 それから間もなく退院許可がでた。ちょうど1週間たっていた。

 カタコト音を立てて歩いていた患者さんから、「退院ですか?」と声を掛けられた。いままで話をしたことがなかったけれど、目があうと挨拶していたのだ。彼女はまだ入院が長引きそうだ。孫から電話が多かった婦人からも昨日彼女が退院する時に、ペットボトルの水を頂いた。

 退院して久しぶりの我が家。鏡に映った私の胸から右の乳房が消え、大きな傷跡が残った。かなり寂しく、愛おしい。

 それから一か月後、ポルトガル行きの飛行機に乗った。歩く距離の長い羽田とフランクフルト空港内はそれぞれ車椅子のお世話になった。しかしフランクフルト空港内で迎えに来た移動運搬車に乗ろうとした私は手が滑って床にたたきつけられた。その時にしたたかに右足の脛を打ち付けて、大きな打ち身ができてあざができた。それがポルトガルに帰って2週間以上も経つのにまだ腫れが退かない。MUZ  2024/05/03

 

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201. アゼイタオンの露店市

2023-11-01 | 風物

 セトゥーバル半島内では毎月第1日曜日にはアゼイタオンの露店市が開かれる。第2日曜日はピニャル・ノヴォの露店市。第3はコイナ。第4はモイタ。第1と第2日曜日には必ず行く。どちらも規模が大きくて敷地も広いのでかなり歩く。へとへとになるが、良い運動になってすっきりする。

 どちらもジョアオの店でお昼を食べる。人気のある店なので早く行かないと席がなくなるから、11時半ごろには行く。フランゴ・アサード(鶏の炭火焼き)か、エントレメアーダ(豚の三枚肉)の炭火焼き、たまにはショコフリット(巨大モンゴイカの唐揚げ)を食べたいのだが、聞いたところによると猫のばあいイカやタコを食べると腰を抜かすというので、人間も老人になると同じように腰が抜けることになるだろうと、注文禁止。セトゥーバルはショコフリット発祥の地らしく、専門店では旅行者が列をつくっている。

 ということで、隣のテーブルのショコフリットを横目で見ながら、エントレメアーダのサンドイッチをかぶりつく。これもなかなか美味い。焦げ目の付いた三枚肉がこれでもかというほどたっぷり挟んである。

 

エントレメアーダ、ビッファナとペレ・デ・ポルコ(豚皮)などを炭火で焼いている。この豚皮はみんなよく食べているが、ゴムのようで、一度食べたら私はもう結構。

 

開いた鶏ををカッカと起こした炭火で自動回転台で焼く

 

チキンの炭火焼きは丸ごと一匹をハサミで食べやすい大きさに小分けして出てくる。それにサラダミスタ(ミックスサラダ)と山盛りのバタータフリット(フレンチフライ)、おまけに味付けしたアロース(ライス)、これも山盛り。二人で食べてもだいぶ残るので、フランゴアサードは持ち帰る。

 

民芸陶器。ほとんどがアレンテージョ地方で作られた陶器。

 

アレンテージョ地方の絵皿

レゲンゴスのサン・ペドロ・デ・コルバル村には道の両側に20軒ほどの陶器屋が並んで、自作の陶器を売っている。それぞれ個性があって面白い。

 

花屋には色とりどりの鉢植えがならんでいる。このごろは洋ランやサボテンも売っていて、人だかりがしている。

 

露店市の服屋。いままでは山積みになった中から客があれこれひっくり返して選ぶのだが、このごろは店によってはブティック並の展示になってきた。

 

ワイン作りの過程で出るブドウの搾りかすと水で自家用のアグアデンテ(蒸留酒・焼酎)を作る道具。40~50度の強い酒ができる。ポルトガルでは自宅で酒を造ることは自由だ。

 

チョリソとチーズを売る店

 

珍しい鳥。初めて見たが名前がわからない。

 

手前の地味なのがメスだろうか。

 

こちらも初めて見た鳥

 

優しい顔をしたインコ。露店市を歩いている人の肩に止まっているのを時々見かける。

 

ウサギは食用とペット用が売られているが、驚いたことにリスも売っていた。ストックホルムやフランスなどでは野生のリスをよく見かけるが、ポルトガルで野生のリスは見たことがない。

 

 アゼイタオンの露店市では珍しい鳥や動物を売っているので、出掛けるのが楽しみだ。時にはワシントン条約違反ではないの?という珍しい鳥も見かける。

 

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200. セトゥーバルの帆船祭り

2023-10-01 | 風物

 港に帆船が入って来た。3本マストの大型帆船、あれはサグレス号に違いない。

セトゥーバル港に入港するサグレス号。後ろはトロイア半島とビーチ。そして大西洋の水平線。(我が家のベランダから撮影)

 

 今年はセトゥーバルの開港100年にあたるので、そのお祝いで帆船が続々と集まって来た。

 1930年に港の工事が始まり、100年間の港の変遷の様子が写真で展示。昔は漁船などは帆船だった。

パンフレットの表紙は1933年ごろのセトゥーバル漁港。

 

波止場入り口には立派なゲートが作られて、港の歴史を示すパネル解説と無料のパンフレットがおいてあった。

 

接岸したサグレス号

 

ドッカドペスカドーレス(漁師の港)の競り市前に着岸したサグレス号

 

大勢の見学者が詰めかけた。サグレス号に乗船する人々。後ろにサン・フィリッペ城が見える

 

北の港ヴィラ・ド・コンデからやって来たカラベラ船

 

入港して帆をたたみ始めるカラベラ船

 

カラベラ船の甲板は丸く傾斜があって歩きにくかった。

 

波止場では海軍が巨大な柱を作ってボルダリング競技、子供たちが恐る恐る挑戦していた。

 

9月25日に入って来た3本マストの大型帆船、遠くにトロイア半島

 

9月30日に入ってきた2本マストの帆船。手前にアヌンシアーダ教会

 

コロナ禍でしばらく開催されていなかった帆船祭りも2023年9月に再開された。

ポルトガルを代表する帆船サグレス号も相変わらず優雅な姿を見せてくれたし、合計6隻の帆船、感激だった。

 

 

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199. 日本食材

2023-09-01 | 風物

 ずっと前から願っていたことだが、私の住むセトゥーバルに日本食材が買える店ができたらいいなと思っていた。中華食材店でも日本食材は数多く売られている。キッコーマン醤油、味噌、寿司海苔、ワサビなどだ。日本食材店というものがなかなかないから中華食材店に売られている日本食材には重宝する。もし日本食材専門店があったとしても日本食材店では値段が高い。

セトゥーバル中心部とセトゥーバル港。左上の緑はボンフィム公園(我が家のベランダから撮影)

 

 リスボンには数件の中華食材店があるのだが、クルマで買い出しに行くと駐車場がどの店にもない。以前は店の前に路上駐車をしていたのだが、警察の取り締まりがきつくなり、マルティン・モニッツの地下有料駐車場に停めて階段を昇り中華食材店までたどり着きようやく買い物をしていた。買い物袋はけっこう重たくなり、店から駐車場まで持って戻るのに疲れ果てた。

 セトゥーバルからリスボンまで買い物に行くには高速料金やヴァスコダガマ橋の料金を払う。

 セトゥーバル半島とリスボンの間にはテージョ川が流れていて、その間には二つの橋がかかり、そのどちらかを渡らなければならない。橋の料金は行くたびにわずかずつ値上がりしていて、しかも料金はリスボンに入る時に往復料金を強制的に取られる仕組み。その代わり、リスボンから出ていくときは支払い無料。変な仕組みだ。

 二つの橋は長さがぜんぜん違う。ヴァスコダガマ橋は全長17キロもある。もうひとつの4月25日橋と比べて数倍以上の長さだ。料金の安い4月25日橋からリスボンに入って、帰りはヴァスコダガマ橋から出たら、安上がりだ。でも4月25日橋にたどりつくまでがややこしいから、いつのまにか往復ともヴァスコダガマ経由になっている。

 だからセトゥーバルでなくとも、橋の手前セトゥーバル半島内に中華食材店が出来たらいいのにな。と以前から思っていた。

 さて中華食材店で何を買うかと言ったら、まずキッコーマン醤油、トーフ、大根、油揚げ、インスタントラーメン「出前一丁」など。

 でもこのごろは大型スーパーでキッコーマン醤油やインスタントラーメンなどは売られているから、少し割高だけど買ったりする。トーフはバイオの硬いトーフだがドイツ系のスーパーでいつでも売られている。でもトーフとはほど遠いものだ。硬いというよりガチガチ。ドイツ人にとってのトーフは植物性のチーズのイメージなのだろう。あまり美味しいとは言えないけれど、しかたなく買っている。

 我が家ではニラとパセリを北側のベランダでプランター栽培している。どちらも野草のように元気に育っている。しかし今年は4か月も帰国していたので、ポルトガルに戻って来た時はさすがにカラカラに枯れていた。これは回復できないだろうなと諦めかけていたが、枯葉を取り除いて水やりを続けているうちに緑色の葉っぱが次々と出て来て、いまではしっかり収穫できて役に立っている。野菜炒めやサラダなどに入れて、無農薬だから安心して使える。

 海外に住んでいるとたまには日本食が恋しくなる。殆どの食材をポルトガルのスーパーで買っているが、時には日本食材を使って味噌汁や鍋料理などをしたくなる。そういう時にお助けになるのが中華食材店で売られている日本食材だ。

 それがとうとうセトゥーバルにも一軒できたので、嬉しい。リスボンに住んでいる弘子さんが教えてくれた。彼女は乗り放題バス券を購入しているので一ヶ月40ユーロでリスボン市内や近郊、セトゥーバルまでも乗り放題だ。

 弘子さんはクルマもお持ちだが、リスボン周辺公共交通機関乗り放題券ライフを楽しんでおられる。「武本さんたちは半額の20ユーロなのだから絶対にお得ですよ。是非、買いなさいよ」と勧めてくれる。リスボンを中心にしてシントラやセトゥーバルまで広範囲のバスや列車を利用することが出来る。それでセトゥーバルにバスや電車でやってきて、ウォーキングツアーに参加したり、タイ式マッサージに行ったりされている様だ。

 絶対にお得なのは判る。もし私たちがそれを使う様になれば、元を取ろうと毎日の様に出歩くことになるのだろう。健康にも良い。でも家に居て絵を描くことが仕事なので、あまり出歩いてばかりいると仕事にならない、とも思う。

 私たちはこのごろ家に引き籠りがちで、セトゥーバル市内はめったに歩き回らないのでそんな中華食材店ができたなんて知らなかった。すばらしいニュースだ。

 弘子さんとセトゥーバルのメルカドでお会いする約束をした。リスボンからセトゥーバル駅まで列車で来られる。それからメルカドまで歩かれるわけだけれど、途中、ボンフィム公園の脇を通って来られるそうだが、そのボンフィム公園の側に中華食材店が出来ていた。と興奮気味に教えてくれた。そこは以前から中華雑貨店だったらしいが、食材店に代っているらしい。

 弘子さんはリスボンなので、近くに中華食材店があるのでいつでも日本食材は買うことが出来るのだが、私たちの為にそのボンフィムの中華食材店内をひと回りし、確かめてくれたらしい。「小さいお店だったけれど豆腐や醤油などひと通りの品物は揃っている様ですよ」。

 さっそく行ってみると、中華食材店だが日本食品や韓国食品まで置いてある。それとポルトガル人用に日用品やポルトガル食料もある。ミニスーパーメルカド、日本のコンビニというところだろうか。

 とりあえず豆腐とモヤシ、大根、胡麻油、餃子の皮を買った。店の周りは公園なので駐車場はたくさんある。平日は有料だが、土曜の午後からと日曜日は無料。店は年中無休。

 これからはリスボンに行かなくてもいつでも買うことが出来る。弘子さんに感謝。MUZ

 

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