ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

198. ポンボおばさん

2023-08-01 | 風物

 我が家の下の部屋に引っ越して来たのが、ポンボ(鳩)おばさん。入居してくる前の2年間、下の部屋をリメイクするために工事に次ぐ工事で、騒音がひっきりなしに続いた。

 最初、横柄な態度で気が向いた時しか仕事をしようとしない工事人もだんだん気弱になって、しまいには次々と注文を出すポンボおばさんの言いなりになった。

地面に撒かれた餌を探す鳩たち

 

 一方、周りのものはたまったものじゃない。やっと騒音が終わったとホッとしていたら、ある日またぐわーと始まった。2階に住んでいるマダレナおばさんは階段で出会うと、顔を引きつらせて「気がくるいそうだわ」とうめいていた。

 これは大変な人が引っ越して来たものだ。

 ポンボおばさんは一人暮らしらしい。家族の様な人は誰も見かけない。彼女は70歳ほどに見えるが、みたところ頑丈そうだ。乗っているクルマはポンコツ。我が家のシトロエンとどっこいの古いクルマ。後ろの座席には杖が置いてある。クルマのバンパーはガタっと落ちそうで、それを無造作に紐で縛り上げている。見た目や他人の目をいっさい気にしないようだ。

 ある日、私たちが買い物から帰って来ると、ロビーで一階のマリアさんとポンボおばさんが立ち話をしていた。階段に水のボトルと買い物袋が置いてあるので、ヒトシが手伝おうとすると、「いいのよ、自分でできるから」と笑いながら断って来た。マリアさんもうんうんと頷いているので、そのままにした。4階建てのこの建物はエレベーターがないので、買い物をまとめてすると、わが家のある4階まで運びあげるのが大変なのだが、3階に住んでいるポンボおばさんは一人でどうするのだろうか。

 このごろなぜかたくさんの鳩が集まってくる。そして我が家のベランダの手すりにべっとりと糞をしているので、あと始末が大変だ。クルマの屋根にも無数の鳩の糞。出かける前に糞掃除をするのが一仕事。

 ベランダから屋根を見ると、たくさんの鳩がずらりと並んでいる。なにかを待っている様子だ。するとポンボおばさんの風呂場の窓からばらばらと勢いよくパン屑がばらまかれ、下の道に落ちて行った。屋根に止まっていた無数の鳩が勢いよくパンくずに群がり競争で食べている。小さな雀も何羽かいて、自分より数倍も大きい鳩の隙間をぬって要領よくパン屑をかすめ取ってどこかへ飛んでいく。運んだ先でゆっくりと食べるのだろう。

 ある日、ロビーに張り紙が出された。張り紙は他にも3箇所に貼ってあった。それによると、鳩が増えたら伝染病に感染する恐れがあるという。一羽の鳩が一人の人間を殺すという。恐ろしいことだ。張り紙にはその症状の写真入りで載っていた。

 ある日、マンションの管理会合があった。住民全員参加だ。お向かいのローマンさんはポンボおばさんに面と向かって「鳩に餌をやっているのは我が家の窓からも時々見えているよ。どの家も糞掃除が大変じゃないか。僕は日用大工店で鳩除けの剣山を買って来て屋上に取り付けたけれど、鳩が増えすぎて追いつかない。ヒトシはおとなしくてなにも言わないけれど、彼が一番困っているのだよ」と口角飛ばして言ってくれた。

 ここまでされたらポンボおばさんも観念するだろう。ところが~。

 ある日、クルマから出て上を見上げると、ポンボおばさんの北側のベランダに鳩が群がっている。ポンボおばさんが窓から身を乗り出してにこにこと笑いながら鳩に餌をやっている。その手には一羽の鳩が乗り、直接餌を食べている。そうなると可愛くてやはり止められないのだろう。

 あの強烈な写真入りの張り紙を一向に気にすることなく、ローマンさんからの苦情もどこ吹く風、幸せそうなポンボおばさん。手摺の縁には鳩の飲み水を入れた小皿が三つ置いてあるのが見えた。

 そこまでするか、ポンボおばさん!

 我が家では毎朝ビトシが汗水流してベランダ手摺の糞掃除。私はどこ吹く風。

 

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197. 暑い、暑い、そして熱い

2023-07-01 | 風物

 この頃毎日蒸し暑い。じっとしていても汗がべっとり出てくる。まるで日本の梅雨のようだ。

 それでも扇風機も点けないし、ましてやクーラーなど我が家にはない。扇風機はあるのだが、長時間点けていると部屋に熱気がこもるようで、使えない。扇風機のモーターが熱を発散して熱くなるのだ。日本製の扇風機ではこんなことは考えられない。そこでタオルをしっかり絞ってモーターの上に乗せて熱を冷まそうとしたのだがすぐに乾くのでばかばかしくなった。このごろはもっぱらうちわを片手に暑さを凌いでいる。そんなことで過ごせるのも日本に比べて湿気が少ないせいだ。気温は30~40℃となって日なたはカンカン照りでも木陰に入るとスーと涼しい。

 先日も暑いなか、出掛けた。コルーシェという町。以前に一度行ったことがあるのだが、その時は白い霧が街をすっぽりおおって町の様子が分からなかった。階段で上から降りてきた老婦人が「ここは美しい町ですけど、この霧では何にも見えませんね。残念ですけど」と言いながら通り過ぎた。今回はくっきりと晴れ渡っているから、その心配はない。

 町に入る時に大きな川があり、二度も橋をわたった。コルーシェは川に沿って開けた町なのだ。二つ目の橋を渡ってすぐに右に曲がると大きな駐車場があり、そこにクルマを置いた。

コルーシェの闘牛場

 駐車場の周りは闘牛場の建物と市場があり、そこに来る人たちのための無料の駐車場らしかった。その点、セトウーバルは急に駐車料金を取るようになり、何処に行くにも小銭を用意しておかなければならない。町にでかけるのが鬱陶しい。 

 駐車場を出て道を渡ると右側に長い屋根の付いたところがあり、その中にタクシーが一台とまっていた。タクシーの待機場所のようだ。よそでは見たことのない建物で、猛暑対策だろうか。とにかく陰があったら暑さは凌げる。

 道の陰から陰を選んで、歩いていった。まだ昼前なのに歩いている人は少ない。開いている店も少ない。カフェだけが営業中で、中は人であふれていた。

 以前来た時にお昼を摂ったカフェも営業中だが、まだ昼食には早すぎるし、それに他のレストランもあるはずだからと思って歩く。

 少し行くと見覚えのある広場にでた。市役所の駐車場で、料金はここも無料。次々に車がやってきては帰って行く。まわりにはカフェが2軒。広場の端に大きな木が一本立っていて、ベンチもある。ここで休憩。カンカン照りの広場なのにこの木影はまるでオアシスのように涼しい風が吹いている。

 そこからまた歩き始めた。元繁華街らしかった道にはほとんど店がない。まわりは立派な建物が建っていて、軒下には燕がたくさんの巣をかけている。親鳥が忙しく餌を運ぶ様子が見えるが、ヒナの姿が見えない。

 そこを過ぎると一軒のレストランが目に付いた。メニューを見ると、高級レストランのようなので止めた。やはり以前入ったカフェしかなさそうだ。

 今来た道のひとつ下の道を歩いてそのカフェを目指した。もう混んでいるだろうと心配していたのだが意外と空いていて、一番奥のテーブルに座った。昼のメニューを頼むと、ソッパとチキンのカツ。それにサラダとライスが付け合わせ。女性客がほとんど。近所の事務所勤めの人達だろうか。私たちが会計をするころにはほぼ満席になっていた。

丘の上に経つ教会

 

 いったん車に戻って、丘の上の教会を目指した。教会から町全体が見晴らせる。美しい町だ。川べりで泳いでいる少年たちも見えた。

 二つの橋を渡って街の外に出た。

 アルコシェッテを目指して少しスピードを上げた。途中でラジエーターの過熱を知らせる赤いランプがついてしまった。おかしい!

 つい先日同じ故障で修理工場に持って行って新品のラジエーターに取り換えたばかりなのに。

 危険を知らせる赤ランプの数値がじりじりと上がる。モンティージョに着いた時、目についたガソリンスタンドにとびこんだ。急いで冷却水のふたを開けると、沸騰した水が噴水のようにふきあげてまわりに飛び散った。スタンドに備え付けの水を入れても入れてもどんどん入る。やっと水位があがらなくなったので、どこか修理工場がないかとさがしたが見当たらず、とりあえず家に帰ることにした。

 今日は蒸し暑い一日だったが、最後は熱い熱い日になってしまった。

 

 

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196. 久しぶりのモイタ

2023-06-05 | 風物

この写真はモイタではなく、アゼイタオンの露店市 

 5月半ばにポルトガルに戻ってきたが、意外なことに涼しい。今年1月にポルトガルを出発した時のまま、ベッドには毛布を3枚重ねたままだったが、きっと暑くてたまらないだろうと覚悟していたのに、そのままずっと使っている。1週間前は大雨が降り、夜には激しい雷が轟き、小さなアラレまで窓ガラスにぶつかってきた。ポルトガルテレビのニュースでは、リスボンの近くで道に激しい水の流れができている映像を映していた。

 今日は5月28日。第4日曜日でモイタの露店市がある。天気予報では雨と言っていたが、空を見渡すと真っ黒な雨雲が北の空を覆っている。しかし予報に反して降りそうもないので出かけることにした。迷いはなかった。何しろ久しぶりだし、運動不足解消には露店市歩きが一番だ。行くか行かないかを迷っている場合ではない。でもモイタの天気は急変するので油断はできない。今までも痛い目に遭っている。一応、クルマには傘が積んである。

 モイタの露店市に着いてすぐに昼食をとることにした。でもモイタの露店市は食堂がたった2軒しかない。以前は数軒出ていたのだが、いつの間にか撤退して2軒だけになってしまった。私たちがひいきにしているジョアンの店もなくなって、アゼイタォンとピニャル・ノヴォとコイナの3箇所で営業しているだけ。ファティマの店は完全に止めてしまって何処にも出していない。

 たった2軒の食堂は食事をしようとする人々が詰めかけて、席を確保しようと緊張感が漂っている。食事を終えた人達が立ち上がると早々に次の人が席に着く。競争だ。私たちも空いた席にかけよったが、別の女性に座られてしまった。まるで椅子取りゲームだ。

 ジョアンの店ならジョアンが客の順番を把握していて、要領よく席を確保してくれるがモイタではそういう人が居ない。

 仕方がないので、もう一軒の食堂をのぞくと、なんとテーブル席が2つ空いている。でもどちらも雨除け、陽除けのテントの外にあるので、陽当たりが良すぎる。どうしようかと思ったが、そこに座ってみると、太陽が当たっているが風がひんやりとして、たいして暑くはない。雨は絶対に来ない感じだ。

 ところがテントの端っこの席なのでウェイトレスの目に入らないのかなかなか注文を取りに来てくれない。雨も来ないがウェイトレスも来ない。すぐ前の席には50代のカップルが座っていて、そこに注文を取りにきてようやく私たちに気が付いた。ウェイトレスは「すぐ戻って来るからちょっと待ってね」と言いながら反対側の席に行ってしまった。

 それからそうとう経って、ウェイトレスは両手に料理をかかえて隣の席にやってきて、50代のカップルの前に置いた。皿に大盛りのショコフリートともう一つはこれも山盛りのコジード・ア・ポルトゲーサ。どちらも美味しそうだ。それを見てコジード・ア・ポルトゲーサを久しぶりに食べたくなったので私はそれを注文。ビトシの意思は固く最初からモイタではエントレメアーダのサンドとソッパと決めている様だ。それにノンアルコールビールを2本。

 注文はなかなか取りに来てくれなかったが、料理は間違いなく素早く来た。ウェイトレスは「待たせてごめんね」「ボナプチ」と言って忙しく立ち去った。

 私たちの奥の席にもグループが座った。椅子が一つしかなく、あちこちからかき集めてようやく全員が座れた様だ。私たちと同様、陽射しを気にしてはいない。案外と心地よいのだ。

 そして雨の心配も全くなくなっている。誰も心配はしていないのに。心配性のビトシは「雨が降りだしたらこのテーブル一杯に広げられた料理をどうしよう」などと考えている様だ。そして猛烈な早さで平らげている。4枚ものエントレメアーダが挟まれたパンと山盛りのソッパ。マカロニとうずら豆と屑野菜にくず肉のソッパがみるみるなくなってゆく。一方私のコジード・ア・ポルトゲーサは一向に減らない。食べても食べても減らないのだ。雨は来そうにはないからゆっくり食べればよいようなものなのだが、なかなか減らない。血のチョリソが3つも、それに粉のチョリソ、豚の耳皮、豚の脂肉、訳の分からない肉、肉。ジャガイモとニンジンとポルトガルキャベツ。その野菜にはなかなか自分では出せない味が滲み込んでいる。野菜だけ食べてほぼ満足。残している肉類をビトシが横目で睨んでいる。豚の耳皮はコリコリとして美味しいそうだが、私はどうも手が出ない。コジード・ア・ポルトゲーサもお店によって随分と違う。味はいいけど見栄えが…今回は失敗したかなと思う。ショコフリートにしておけばよかったかな。いや、最初からビトシと同じようにエントレメアーダにしておけばよかった。人生、いつも迷いと後悔の繰り返しだ。

 でもきょうは迷わず出掛けて良かった。掘り出しものは何もなかったが、予報に反して雨にもあわなかった。帰宅して夕方から少しの雨だ。 MUZ

 

 

 

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195. 水不足から一転

2023-01-01 | 風物

 つい最近まで水不足、ダムの底が現れて水没した教会が姿を現した。などと騒いでいたが、それが11月から降り始めた雨が止まず、一転。あれほどからからだったダムがもうあふれるほど満杯。

 もうすぐクリスマスという時期にリスボンのアルカンタラ地区などにテージョ川の水があふれだした。その周辺のオエイラスなども次々に浸水し、1~2メートルもの水が室内に流れこんだ。道路に面した家電製品の店では、商品が水びたし。カフェもレストランも何もかもが泥まみれ。クリスマスのかき入れ時に大変なことになったものだ。

 一方、リスボンから遠く離れたカンポマヨールでも町が土石流に被われ、被害が甚大だ。民家や店内に流れ込んだ大量の泥水をラバーでかきだすのに大忙し。でも水に浸かった家電製品は使えなくなった。大型家電製品やソファーやタンスなども捨てるしかない。道端にはそんなゴミが山のように積み上げられている。

 カンポマヨールは日本からやってきてすぐの頃に行った。そのころはまだローカルバスで旅していた時だ。途中小さな田舎町の広場に運転手はバスを止めた。そしてそこにあった水汲み場に走り寄り湧き水を自分用のペットボトルに詰め、旨そうに飲んだ。乗客を乗せたままである。

 終点カンポマヨールの町に着いたのはもう夕方になっていた。中心にある大きな公園の横にバスは止まった。ちょうど沈みかけた夕陽があたりを真っ赤に染めて感動的だった。カンポマヨールにはその後も何度か出かけたが、いつまでもその最初に到着した時の夕陽のイメージが残っている。

 公園の前にあるレシデンシャル(宿)が目についたので、このレシデンシャルに泊まることにした。入口のドアを開けるとひんやりとした空気で驚いた。クーラーが良く効いているなと一瞬喜んだのだが、その当時は、クーラーなどは都会の町中でもめったに見かけないのにこんな田舎ではあるはずがない。それはクーラーではなく、石造りの建物は内部がひんやりと涼しいのだと気が付いた。日本のように湿気がないので木陰や室内は過ごしやすい。おかげでぐっすりと眠ることができた。

 今回、このレシデンシャルは洪水で被害は無かったのだろうか。

 カンポマヨールはアレンテージョのルドンドで催される紙祭同様、自分たちの手作り紙祭を開催しているが、花をアレンジしたもので素朴な紙祭だ。

 それに対し、ルドンドの紙祭は毎回趣向凝らした企画で見ていて感心する。発想がさすがだ。でも経費がかかりすぎるのか、二年に一度の開催となったのは残念。二年に一度というのは判りにくいので、それまでは毎年その時期になると気をつけていたのだが、いつのまにか行かなくなった。

 ルドンドの紙祭に最後に行った時は、真夏の8月初旬だというのになんと雨が降り始めて、しかも本降りになった。普通ならポルトガルのアレンテージョには8月に雨が降ることは絶対にない。乾季の真っ最中の筈だ。そんなことは初めてで、せっかくの紙祭が雨に濡れて融け始めていた。係員が大慌てで、作品にビニールをかぶせても間に合わない。青い花も赤い衣装もぐったり融けて残念なことになった。

ルドンドの教会前の広場

 

町の通りに飾られた紙細工も濡れて絵の具が溶けだしている

 

 その後、コビット19騒ぎが発生して、私たちはどこにも出掛けない生活が始まった。日本にも帰国できないで引き籠り。

 でも今年はやっと帰国できそうだと期待していたのだが、中国人や韓国人が日本にどっと押し寄せてくるらしいから、日本はまたオミクロンが蔓延しそうだ。

MUZ  2023/01

 

新年あけましておめでとうございます。2023年は良い年になりますように。今年もよろしくお願い申し上げます。

 

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194. ピニャル・ノヴォの露店市は大賑わい

2022-12-01 | 風物

 露店市で店を出しているのはジプシーがほとんどで、他には少しのインド人たちだ。彼らは一家総出で商売をしている。生まれたての赤ん坊やヨチヨチ歩きの幼児や遊び盛りの子供たち。売り場の通路や空き地で走り回って遊んでいる。

 ピニャル・ノヴォの露店市はとても広い。年々駐車場が広がり、買い物をしている人々も増えている。

 

ワインを仕込んだ後のブドウの搾りかすからアグアデンテ(焼酎)を蒸留する道具

 

 先月、ニュースで買い物客にインタビューしていたが、「このごろ物価が急激に値上がりしたので、スーパーやメルカドは高い。露店市の値段がどこよりも安い」と答えていた。

 次の日曜日はピニャル・ノヴォの露店市なので出かけた。気のせいか走っているクルマがすごく多い。ひょっとしてみんな露店市に行くのだろうか。ずっと手前のロータリーからひどい渋滞が始まった。まさか~、先日のニュースを見た人々がいっせいに露店市に詰めかけているのだろうか。信じられない!

 いつもクルマを停める道路脇の駐車場は空きがない!すごい数のクルマだ。奥まった広い駐車場まで行ってもクルマでびっしり。しかたなく、そのずっと奥まった場所まで行ってようやく空きがあった。そこから先は畑で、道は行き止まり。

 小川を挟んで野菜の苗を売っている露店が見える。昔、細ネギの束が並べてあった。ポルトガルのネギは太いので、使いにくい。目の前にあるのは日本のネギそっくりで、これなら使い易そうだ。さっそく買うことにした。ところがおやじさんはネギの束をむんずと掴んで葉っぱを切り落とそうとした。慌てて停めたら、「何で?」と怪訝な顔。「そこを食べるのよ」というと、おじさんは「これを植えるんだよ」と言う。「なんで?」「タマネギは根っこを畑に植えるんだよ」「タマネギ?」

 ネギだと思ったのはタマネギの苗だったのだ。おじさんの足元には切り取った葉っぱが足の踏み場もないほど散らかっていた。

 

露店市で売られている中国キャベツ(白菜)の苗、12本で1ユーロ

 

 このごろなぜか白菜の苗が売っている。名前は「中国のキャベツ」スーパーでもたまに野菜の棚に並んでいるが、手を伸ばして買っているのはわたしぐらいで、他には見たことがない。ところが、露店市で苗が売っている。ということは苗を買って畑に植える人がいるということ。私的にはどんどん普及してほしい。ついでに大根とゴボウ。

 大根は以前、知り合いが借家の前にある道の花壇に大根の種を蒔いて育てていた。とても狭い花壇なのに、立派な大根ができた。たぶん肥料や消毒を適切にしたのだと思う。

 彼は同じ花壇に糸ウリをまいた。花が咲き、実がついてすくすく育ってもうすぐ収穫ができると楽しみにしていた矢先、実は突然姿を消した。大根には興味はないが、糸ウリは食べられると知っている人が持ち去ったに違いない。糸ウリは糸状の中味をあまく煮て、パイに詰めたお菓子がある。初めて食べた時は、つるつるした中身がなんなのか判らなかったが、それがカボチャのような糸ウリの中味と知って興味深かった。日本では一度も見たことがなかったのだ。

 花売り場は人だかりが凄い。11月に入って雨が毎日の様に降るので、畑や庭の植木を植える人たちが多いのだろう。じぶんより背の高い鉢植えを抱えている男、重そうにしている。車まで運ぶのがひと苦労だ。

 いつものジョアオンの食堂で炭火焼きのエントレメアーダサンドとノンアルコールビールの昼食を済まして、あちこち歩き回った。

 

生きた鶏売り場では珍しいニワトリを眺める親子

 

 歩き疲れたので木の下に作ってあるベンチに腰掛けた。木の周りをぐるりと囲むように作ってある手製のベンチで、高さが一定ではないから座りにくいのだが、仕方がない。しばらくゆっくりしていると、3人のジプシーの子供がやってきた。となりに座って騒いでいたが、その中の一人が突然私の前に立ち、歌い始めた。フラメンコのダンスにあわせて歌うカンタだ。10歳になるかならないかという男の子がどうどうと歌っている。なかなか巧い。あっけにとられて見ていたが、あとで考えたら手拍子をしたらよかったかな~。

©2022/12/01 MUZ

 

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