東京オリンピックが始まった。ポルトガルでも有力選手がたくさんいる。日本ではあまりしられていないと思うが、主な選手たちを以下に上げてみた。(wikiより)
2021年7月29日、東京オリンピック2020でポルトガルに初メダル。柔道の100キロ級、ジョージ・フォンセッカ選手が柔道で銅メダルを獲得した。彼はアフリカの小さな国、サントメ・プリンシペの出身でポルトガルに帰化している。世界選手権では2019年東京で金、2021年ブタペストで金、など活躍している。「ほんとは金メダルが欲しかったんだ」と言いつつ、大きな身体で軽快にステップを踏んで喜びのダンスを踊った。ちなみに金メダルを獲ったのは日系人のウルフ・アロン選手。
ジョージ・フォンセッカ選手は7月31日リスボン空港に凱旋帰国した。記者の質問に答え「次のパリでは金メダルを約束するよ」サントメ・プリンシペの明るさは健在だ。
柔道女子選手はテルマ・モンテイロがポルトガルの第一人者だ。2004年のアテネオリンピックで9位、2008年の北京オリンピックでは9位、2012年ロンドンオリンピックでは初戦敗退、2016年リオデジャネイロオリンピックでは3位、2020年(2021年)東京オリンピックでは9位で終わったが、同じ年の2021年ヨーロッパ柔道選手権大会では優勝している。今年35歳になったというが、まだまだ頑張ってほしい。
陸上男子三段跳びのネルソン・エボラはカーボベルデ出身。2004年アテネオリンピックの三段跳びに出場したが、47人中40位に終わっている。2年後ヨーロッパ選手権では三段跳で4位、走幅跳で6位と入賞を果たした。この大会、三段跳の予選では17m23のポルトガル新記録もマークした。翌2007年にはさらに力をつけ、大阪で行われた世界選手権では自己ベスト、ポルトガル新記録、シーズン世界2位の17m74をマークし、ついに世界チャンピオンに輝いた。 さらに2008年には北京オリンピックに出場、3回目の跳躍を終わった段階でイギリスのフィリップ・イドウ、バハマのリーン・サンズリーンにリードされていたが、4回目に17m67を跳び逆転。最後はイドウを5cmおさえ金メダルを獲得し、ポルトガルに陸上競技のフィールド種目では初めての金メダルをもたらした。 翌2007年にはさらに力をつけ、大阪で行われた世界選手権では自己ベスト、ポルトガル新記録、シーズン世界2位の17m74をマークし、ついに世界チャンピオンに輝いた。
カルロス・アルベルト・デ・ソウザ・ロペスは29歳の時出場し1976年モントリオールオリンピックでは10,000mで銀メダルを獲得した。
その後、マラソン競技に転向し、1984年ロサンゼルスオリンピックにおける下馬評では前年の世界選手権優勝者ロバート・ド・キャステラや瀬古利彦などの評価が高く、彼自身の評価はそれほど高くなかったが37歳での出場にも係わらず2時間9分21秒の五輪新記録で見事金メダルを獲得した。
この記録は、2008年北京オリンピックでサムエル・ワンジルによって破られるまで、24年もの間オリンピック男子マラソンの最高記録だった(ワンジルの記録は2時間6分32秒)。また、オリンピックの男子マラソンの歴代金メダリストでは現在も最高齢記録である。
ロサンゼルス五輪翌年の1985年4月のロッテルダムマラソンで、世界で初めて2時間8分の壁を破る2時間07分12秒(電気計時2時間07分11秒68)の世界最高記録を樹立した。 世界最高記録樹立後は一度もマラソンを完走することなく引退した。
ロザ・モタ 女子マラソンが正式種目となった1984年ロサンゼルスオリンピック、ロサンゼルスオリンピック前には、それまで彼女の自己記録が2時間30分台でメダル候補に名前も挙がらなかった。しかしロサンゼルス五輪の女子マラソン本番では、イングリット・クリスチャンセン(ノルウェー)との3位争いを制し、金メダルのジョーン・ベノイト(アメリカ合衆国)、銀メダルのグレテ・ワイツ(ノルウェー)に続いて、銅メダルを獲得。さらに自己記録を大きく更新する2時間26分57秒をマークし、一躍世界のトップランナーの仲間入りを果たした。
翌1985年のシカゴマラソンでは、優勝のジョーン・ベノイト、2位のクリスチャンセンに次ぐ、2時間23分29秒のゴールタイムで3位に入る。これが彼女の生涯の自己ベスト記録となった。
1987年の世界陸上ローマ大会女子マラソンでは、2位以下に7分の大差をつける圧倒的な強さで、2時間25分17秒のタイムで優勝した。そして、迎えた翌1988年ソウルオリンピックでも、銀メダルのリサ・マーチン(オーストラリア)や銅メダルのカトリン・ドーレ( ドイツ、当時東ドイツ)らを下して、2時間25分40秒のタイムで念願の五輪金メダルを獲得する。マラソン選手としては男女通じて史上初めて世界選手権・オリンピックの2冠を達成、さらに女子マラソンの種目でロス五輪に続く初のオリンピック2大会連続メダリストとなった。
日本のマラソン大会には、東京国際女子マラソン・大阪国際女子マラソンに出場し、東京は1986年、大阪は1990年に優勝を果たしている。実力世界ナンバーワンといえる女子マラソン選手で、日本のマラソン大会に出場したのは事実上彼女が最初といってよい。
その後も1991年の世界陸上東京大会女子マラソンにも出場し、世界陸上選手権で2連覇を目指したが、体調不良により途中棄権に終わった。翌1992年、母国ポルトガルの隣国・スペインで開催される1992年バルセロナオリンピックにも女子マラソンでの出場を目指していたが、体調が万全で臨めない為に断念。その後は復活を果たすことなく、第一線から現役引退となった。
コーチのペドローザとは、事実上の夫婦関係にあった(正式に結婚していなかったのは、カトリック国家であるポルトガルでの厳しい家族観が原因といわれる)。また、母国ポルトガルの陸上競技連盟とはしばしば軋轢があった。その反面、レース中に笑顔を絶やさないことでも知られ、日本からもファンが多く、また有森裕子は尊敬するランナーの一人にあげていた。
1995年9月に行われた総選挙に社会党(PS)から出馬して当選を果たし、ポルトガル共和国議会の議員を2期務めた。
2009年9-10月、コペンハーゲンで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2016年夏季五輪東京招致委員会のアスリートメンバーとして東京への招致を呼び掛けた(wikiより)
上記のカルロス・ロペスは彼の功績をたたえてリスボンにカルロス・ロペス体育館が造られた。またロザ・モタもポルトにロザ・モタ記念館が造られ、ポルトガルの金メダリストの功績を称えた。
このブログをアップしてすぐ後、次のビッグニュースが飛び込んできた。
パトリシア・マモナは女子三段跳びの選手。2021年8月1日の東京オリンピック女子決勝戦で15m01cmのポルトガル新記録を跳び、銀メダルを獲得した。ポルトガルで2個めのメダル。ポルトガルのニュースで大きく取り上げられた。
フェルナンド・ピメンタはカヌー、スプリントの選手。31歳。ポルトガル北部のポント・デ・リマの出身。東京オリンピックで銅メダルを獲得した。
ペドロ・ピチャルドは男子三段跳びの選手。28歳。キューバ生れだがポルトガルに帰化。セトゥーバル在住。東京オリンピック2020で8月5日に17.98mを跳び金メダル。ポルトガルで初めての金メダル。ひょっとしたらセトゥーバルに彼の名前を冠した道路ができるかもしれない。
オリンピック委員会の組織の在り方、とりわけ経済優先、一部上層部への権力集中など問題点も多く、オリンピック自体の存続を疑問視する声などもある。
でもオリンピックは世界最高峰のスポーツ大会だと思うし、そのために懸命に練習に打ち込んできた選手たちの為にはなくなって欲しくはない。頑張っている姿を今後も見たい。
『オリンピックはギリシャに戻せ』と言う意見もある。私は賛成だ。ギリシャは美しい見所の多い国だ。
高校野球は毎年『甲子園』で行われているし、ラグビーは『花園』だ。大学駅伝は『箱根』だし、選手たちはその目標に向かって練習を重ねている。
オリンピック選手が『ギリシャ』を目指す。素晴らしい様に思う。
『駅伝』という単語が出たが、駅伝が何故オリンピック種目にならないのだろう、と以前から不思議に思っていた。
もう10年も前になるのだろうか?フランスの田舎町を旅していて『EKIDEN』の横断幕を見かけた。フランスの街ではエキデン大会が行われていたのだ。
EKIDENは今や、JUDO、SUSHI、MANGA、ORIGAMI、そしてTSUNAMIなどと並んで立派な国際語なのだ。
MUZ
2021/08/01