地名由来「上本郷・下本郷」 三日月町(現佐用町)
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地名の由来(宍粟ゆかりの地及び周辺の地)
■上本郷(かみほんごう)
志文川支流本郷川上流源流域に位置する山村。鎌倉・天満・添谷(そえだに)・大内(おおち)谷の4集落がある。東は山を隔てて、山崎町青木村と奥小屋村(新宮町)。
元禄年間東本郷村が上本郷と当村に分村して成立。畑地が多く、近世を通じ大豆・葉煙草の生産が多い。「※播磨鏡」は特産として本郷煙草を記す。天満の天神山の山頂に中世の天神山城跡がある。大内谷の標高420mの山頂上に大内谷山城跡がある。添谷に熊野神社がある。土質よく杉・檜の植材に適し、良材を算出する。
※播磨鏡(地志播磨鑑):全17冊、平野庸脩(ようさい)著、近世播磨の代表的地誌、著者は印南郡平津村、医業の傍ら近郷の師弟の教育に努め、余暇に播磨地誌の著述を進めて40数年、本書を完成と伝える。播磨各郡内の神社・仏閣・寺院跡・名所旧跡・和歌・古城跡等について古書などを引用して詳細かつ正確に記述している。
■下本郷(しもほんごう)
志文川支流本郷川下流域に位置する。角亀(つのかめ)川に流入する本郷川下流域の谷に位置し、両側は300m~350mの山地。小原(おはら)・湯浅口・湯浅・中村・仁増(にんぞう)の5集落がある。
元禄年間(1688~1704)東本郷村が上本郷と当村に分村して成立。産物は本郷煙草が有名。洪水による田畑流出に悩まされた。当地への入口、小原の山の中腹に、高蔵寺がある。同寺の縁起によると、奈良期僧行基の開基といわれ、本尊千手観音像は行基が作って安置したという。2度の火災が発生。江戸時代森家の菩提寺となる。裏山一帯はツブラジイの自然林として貴重である。
文化11年(1814)には中村の字小谷の東斜面より大型の銅鐸が出土。仁増の構は、大庄屋船曳家先祖が築いたもの。湯浅の久森家邸内にある推定樹齢800年、樹高18m、根回り9.9mの大ムクは県指定天然記念物。明治22年三日月村の大字となる。
明治23年・25年と大洪水が続き、同25年には本郷川の耕地、堤防が流失し学校は休校となり、勅使が慰問に派遣され、下賜金を受けた。本郷川下の三日月の茶屋に大洪水記念碑が残る。
◇今回の発見
・本郷谷は煙草で有名だったこと、田畑流出に悩まされていたこと。本郷谷の奥は、山崎町青木村・奥小屋村(新宮町)に接しているということ。
・下本郷の中村で見つかった大型の銅鐸が行方不明(佐用郡誌、三日月町史)とされていたが、現在ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵しているという。
※銅鐸については
○平田篤胤(あつたね)の「弘仁暦運記考」が国立国会図書館データベースで閲覧できます。その152ページに山崎町須賀沢で発見された銅鐸の記事の中に、本郷の銅鐸も同型と書かれています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532329/152