【閲覧数】3,235件(2014.8.30~2019.10.31)
播磨 高取城跡 一宮町福知字高取
▼高取城を望む
田路氏の本城が三方山城そして、その支城として高取城と草置城がある。
その高取城がかなり高山であり案内が必要なこと、一度雪が降れば登ることが困難となるため探索が後回しになってしまった。
この高取城は福知渓谷の入口付近で、但馬の朝来方面に繋がる。そのせいかこの地域の気候は但馬の気象に似ているところがあり時雨れることが多く、同じ一宮町でも南部の気象とは違った一面をもっている。
▼田路氏の諸城 三方城・草置城・高取城の位置図
高取城は608mの高い山(比高350m)で登山口がいくつかあるようで、ちょうど地域の歴史に詳しいTさんの協力を得ることができ、その案内で登城が可能となった。
▼高取城マップ
「小の倉滝※」の案内板のある対面にある高取集落への橋を渡り、左に沿って歩き民家の脇を通り登りはじめるとす防獣網フェンスがある。
▼福知川の右岸(北岸)
▼民家の間を抜ける
その先の谷合いの石垣段が目をひいた。ここは現在は杉林になっているが以前は畑だったそうだ。
▼高く積み上げられ石垣
そこを左に横切って登り始りはじめると、水路の跡があった。その近くから幅2mほどの窪み状の道が上の方まで続いている。木々を運ぶための人為的に掘った道(木場道)ではなかろうかとの意見が出る。
▼木場道?を通る
その窪みの道を通って登っていくと、尾根筋の突き出た展望のよい平坦地に到着した。城の見張り台にちょうどいい。
▼見張り台?
いよいよ城は近くかなと思いきや、ここからまたを木々の間を縫いながら急斜面の尾根筋をひたすら登る。
やや平坦になった道に堀切を見つけるや、その向うに頂上が見えはじめた。斜面の雑木が伐採され見通しがよくなっている。最近地元の人たちが整備されたという。
▲堀切
▲頂上を望む
山頂が見えるや先を急いだ。岩の壁のある頂上にやってきた。山頂から来た方角を振り返ると、眼下の景色たるやすばらしく、しばらく見とれていた。
▼山頂からの絶景とズーム
周辺を探り始めるも、山頂部は自然石と土塁の細長い地形で城跡とただちに呼べるものではない。しかし、東の尾根筋を下りてみると、尾根をえぐる堀切が2つあった。
▼自然石と土塁
▼東尾根筋の堀切
また、西の谷に降りていくと、幾つかの平地があり、さらに下に降りていくと鞍部というのにふさわしいゆるやかで広い場所に降りた。この場所で水の確保を可能にしていたのではないかとの意見であった。
▼鞍部 水場か?
東の堀切と鞍部の水の確保などがなされていたと考えれば、城としては未完成というより、播磨と但馬を結ぶ街道の見張りに重点をおいた砦的な城だという印象を受けた。
帰りはもと来た道の東側の谷筋を下るとその途中に石積みの水場を発見する。整然とした石積みは築城時のもののようにも感じられる。そうであるならこの谷筋が高取城の大手道であったことが考えられる。
▼谷筋で見つけた石積みの水場
雑感
左せんちやうこゐ道
田路氏の支城といわれる高取城の探索が、宍粟市内の城跡探索で一番最期になってしまった。
三方盆地に本城を構え、播磨と但馬を結ぶ街道や山道を押さえていた田路氏は、元は朝来の田路谷からやってきたという。播磨と但馬国境には笠杉山・段ヶ峰が並び立ち、その間をくぐるように田路谷から千町を結ぶ古くから山道があったという。次は田路氏の足跡を辿る探索が気になっている。
◆城郭一覧アドレス