地名由来「春哉・志文・真宗」 三日月町(現佐用町)
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地名の由来(宍粟ゆかりの地及び周辺の地)
■春哉(はるかな)
千種川支流志文川中流域に位置する。乃井野村の北に位置し、志文川がおおきく屈曲する地点の右岸丘上に本集落がある。慶長国絵図には「はるかの」とみえる。
地名は次のような北条時頼の廻国伝説にかかわる。当時はもと志文の一部で、下志文といった。鎌倉期に一人の旅僧が雪で難儀し、一夜の旅を求めたが病でたおれ、三ヶ月滞在、1体の木像と、「深雪にもあさる雉子はほろほろゝを掛にけり なれか心はいつも春哉」の歌を残して立ち去った。その後旅僧はあとで時頼とわかり、その旅僧の木像を祀り、寺を最明寺と名付け、集落名を春哉と改めたという(播磨鏡)。
寺蔵の鎌倉後期作の木像北条時頼坐像は国指定重要文化財。最明寺は、「三ケ月の最明寺」として知られ、多くの来訪者がある。
■志文(しぶみ)
千種川支流志文川中流域に位置する。春哉村の北、志文川が曲流する上流域に位置する。集落は両岸に点在する。年貢米などは揖保川筋の今宿村出石河岸(山崎町)へ道程4里、網干浦(姫路市)に津出しした。当村六地蔵は百姓一揆の処刑とかかわるという伝承がある。
■真宗(さのむね)
志文村の北、志文川が屈曲する上流域の谷間に位置する。金山・中野・問村(といむら)・上真宗の4集落がある。北は宍粟郡土万村・葛根村(現宍粟市山崎町)に接する。
金山には鉱山があったと伝え鉄滓(てっさい)がみられる。中世には採掘されていたと考えられる。字垣内に室町時代中期の宝篋印塔・五輪塔・一石五輪塔が残る。
※地名の由来は、真宗という名田の名からきたとする説がある。
◇今回の発見
今回は、志文川中流域にある春哉、志文、真宗と興味ある地名がそろった。
春哉は、北条時頼が執権職を退いたとき廻国の途次当地に立ち寄ったときの歌に由来し、最明寺も時頼の道号から名づけられたという。そういえば最明寺入道とは、時頼の出家の名である。