11月4日 月曜日
私は「自分史」を纏めて見たいと思って、資料集めをしています。一番困っているのは、写真が無い事です。私の幼い頃は「写真を撮る」事など、農村では滅多に有りませんでした。
けれども小学校の卒業記念写真と、家族写真があります。私が5年生の時に初めて汽車に乗り、家族で小倉に菊人形を見に行った時の写真です。帰りに行事の豊森写真館で、家族写真を撮ったのです。残念な事に其の写真には、姉と兄に末の妹は写っていません。
おせっかい好きの鹿児島の妹が入れています。私は(鹿児島の妹)写っていません。
中学・高校になると写真は、何枚か有ります。これらの資料を基にして、私の生い立ちを纏めたいと思います。
2番目には・私の少年時代を纏めて見たいのです。
・ 軍国少年に育てられた 伯父 田 作市が京都郡の、在郷軍人分会長
であった為かも?。
・ 中学2年生の時、学と動員で日立製作所に
・ 米軍の飛行機が空襲の時撒いた、宣伝ビラを夢中で拾う
・ 大分少年飛行兵学校へ
・ 敗戦と復学の頃
食糧難の頃 自宅の米びつから白米を盗み、苅田町の朝鮮集落
に行って売る。一升 250円 小遣いに
(小倉の闇市に行って欲しい物を買う。)SP版のレコード等
村の少年草野球チームの監督に
・ 父親を困らせる出来事
・ 高校は出たけれど
親戚の精米所で働く 精米・うどん作りの手伝い
・ 代用教員で 転々
3 學藝大學へ
・ 新聞部 九州地区大學体育大会の当番校で
新聞部の統括を
・ 筑紫の寮長
4 教師として
青年教師時代 門司区社会科同好会を発足させ、機関誌
「広場」の編集長として
中堅教師として 学校保健教育推進校の体育主任として 同
保健主事として
管理職になって 学校保健研究校として社会科教育研究推進
校として
5 退職して
門司区学校保健会の顧問として
趣味の囲碁・・・そして日・中囲碁の交流に、北京・上海・
洛陽市 バイオリンを始める 65歳過ぎて
6 私を支えた親しき友
「友は生涯の宝・今の私を育てた」
無二の親友・「岡 徳行君」
「石田 比呂志君」
「秋山 静美君」
7 その他
8 年表
以上の項目の中から精選して、「自分史】として纏めたい。
ひまひまに資料を集めて、資料が集まると思いも膨らむのでは?
と思いながら・・・果たして集まるかどうかな????
私は「自分史」を纏めて見たいと思って、資料集めをしています。一番困っているのは、写真が無い事です。私の幼い頃は「写真を撮る」事など、農村では滅多に有りませんでした。
けれども小学校の卒業記念写真と、家族写真があります。私が5年生の時に初めて汽車に乗り、家族で小倉に菊人形を見に行った時の写真です。帰りに行事の豊森写真館で、家族写真を撮ったのです。残念な事に其の写真には、姉と兄に末の妹は写っていません。
おせっかい好きの鹿児島の妹が入れています。私は(鹿児島の妹)写っていません。
中学・高校になると写真は、何枚か有ります。これらの資料を基にして、私の生い立ちを纏めたいと思います。
2番目には・私の少年時代を纏めて見たいのです。
・ 軍国少年に育てられた 伯父 田 作市が京都郡の、在郷軍人分会長
であった為かも?。
・ 中学2年生の時、学と動員で日立製作所に
・ 米軍の飛行機が空襲の時撒いた、宣伝ビラを夢中で拾う
・ 大分少年飛行兵学校へ
・ 敗戦と復学の頃
食糧難の頃 自宅の米びつから白米を盗み、苅田町の朝鮮集落
に行って売る。一升 250円 小遣いに
(小倉の闇市に行って欲しい物を買う。)SP版のレコード等
村の少年草野球チームの監督に
・ 父親を困らせる出来事
・ 高校は出たけれど
親戚の精米所で働く 精米・うどん作りの手伝い
・ 代用教員で 転々
3 學藝大學へ
・ 新聞部 九州地区大學体育大会の当番校で
新聞部の統括を
・ 筑紫の寮長
4 教師として
青年教師時代 門司区社会科同好会を発足させ、機関誌
「広場」の編集長として
中堅教師として 学校保健教育推進校の体育主任として 同
保健主事として
管理職になって 学校保健研究校として社会科教育研究推進
校として
5 退職して
門司区学校保健会の顧問として
趣味の囲碁・・・そして日・中囲碁の交流に、北京・上海・
洛陽市 バイオリンを始める 65歳過ぎて
6 私を支えた親しき友
「友は生涯の宝・今の私を育てた」
無二の親友・「岡 徳行君」
「石田 比呂志君」
「秋山 静美君」
7 その他
8 年表
以上の項目の中から精選して、「自分史】として纏めたい。
ひまひまに資料を集めて、資料が集まると思いも膨らむのでは?
と思いながら・・・果たして集まるかどうかな????
ロとカラーでした。この2枚だけでもその間の時間の流れ
には、大変な長さと事件があったわけです。
モノクロ写真に至る時代も、カラー写真以後の時代も、それにも増すものでしょう。
私の兄は6歳上ですが、戦争を挟んでの体験の違い
は思っているより大きいし、いろいろ考え方にも違いを感
じます。そんな兄を理解しするうえでも同世代の自分史
には関心があります、ぜひ纏めはじめて下さい。
私も最初は書籍化などと大それた目標がありましたが、自分が自分をまとめることで、残りの人生をより充実させることができればいいと思うようになりました。
こうして日々、数人の方でも読んでいただき、激励や感想をいただき、そのことで元気になれたり、何よりその日一日が楽しく過ごせる(私の場合ですが)
子どもや孫に自分の生きたあかしを伝える―それはほとんど考えていません。(孫はいないですが)
むしろ人生の最後に「いい人生だった」といえる自分でありたい。
正直自分の身近の人はほとんど読んでいません。「あっそう、わかった。せいぜいお好きに」というところでしょう。もちろん同年代の人はパソコンでブログなどしている知人はあまりいない。読めないというのです。
未知の方が、興味を示してくださったり、73歳?いろんなことをやっているんですね。と暫く楽しんで下さる。
まさか、長ーい間毎日ブログを覗くなんて、とても無理ですから。
そう、そうなんです。180万人いるブログ利用者の方が偶然このページに出会って、興味を示してくださったり、コメントをくださる。一期一会?それが何回であろうと、その出会いで自分が豊かな気持ちになり、周りに優しくできたり、明日への意欲が湧いたり、そういう働きがあるのだと思います。
10歳年下の妹がわかったようなことを書いていますが、ブログ歴の先輩として、わかりかけていることを並べただけです。
今日コメントいただいているkaeru-23 さん (私が湘南のお兄様とよび親しく?させていただいているのですが、
このようなうれしいコメントに後押しされて、書きたい意欲がわいてきていることうれしいですね。読者欄にも気が付いて、思いもよらなかった世界が広がっていく。まだまだ長生きできそうです。源ちゃんのためにも元気で居ましょうお互いに。
自分史の材料だけは・・準備しています
歴史の背景を踏まえて年代ごとに写真やメモ
そして日記の抜粋を取り込んだものを・・
はじめています。
決して懐古主義者ではありませんが、忘れる
ことだけは天下一品の特技なので・・今から
少しずつ・・