夜明け前の4時頃に目覚めたとき
窓のカーテンの向こうが明るくて…
おそらく雪が積もってるんだろうと…
6:15のGarminのアラームをとめて起きると
やっぱり窓の外の裏庭は真っ白な一面に…
だけど
そんなに積もってる感じでもなく
うっすらだろうと…
それでも
道路を走れるのかどうかは別で
半信半疑に思いつつ朝のルーティンへ…
朝食のトーストを食べ終え
洗面所で髭を整えていると
初孫くんが裏口から入ってきて…
パパに送って貰ういつもの時間だと
今日は早すぎるので
少し遅くなってから僕に送ってくれと…
なんでも
今日は極寒のため登校は少し遅らせるよう
先生から言われたらしく…
要するに早く登校しても
教室の暖房が入る時間は決まってるから
寒い中で過ごさないようにということらしい
まぁこの冬はインフルもかなり流行ってて
学校としても出来る限りの対策って感じ?
最近の教育現場って大変だよなぁ
クレーマーやモンスターみたいな保護者たち
たくさんいるからなぁ
そんな初孫くんを送り届けたときに
路面の積雪状況を確認して
今日もそれなりに走れそうだと…
だけどガチに寒くて…
それでも
大雪が積もっちゃえば走れなくなるから
走れるときに走っとかないと…
今日はこの子をお供にして…
走り始めたときはすでに細かい雨模様
そのおかげで雪はすっかり溶けた
だけどすぐに雪に変わりそうな気配も…
タバコの煙のような白い吐息を吐きながら
メガネについた雨粒を鬱陶しく思いつつ…
2キロ手前のちっちゃな美容室
いつものようにオープンはしてるけど
キュートな彼女の姿は見えず…
いつもどうして
営業時間の前から
オープン看板を表示してるんだろう
まぁ夏冬は
あらかじめエアコンをつけるためだとしても
わずかでも不在だと不用心にも思えて…
そう思いながら入口前を通り過ぎるときに
室内の大きな鏡に自分の走る姿が映ると
それだけで彼女と同じ空間にいるような
錯覚を覚えチョッピリ嬉しくなって…
そんな老いぼれジジイの感覚
おかしいのだろうか?
妄想逞しい思春期の少年のようにも…
そのときちょうど降り始めた大粒のアラレ
エロジジイの不埒な欲望を蹴散らすように…
急遽走り方を積雪モードにチェンジ
真下に重心を置いて前に脚を出しすぎず
そして決して蹴らないようにと…
じゃないと
マジに滑ってコケちゃうから…
しばらく注意しながら走り続けたものの
アラレが止んでも寒いから溶けそうになく
やたら走りにくい状況がずっと…
まぁしょうがないさ
アラレや雪が避けられない
我が地でのこの時期のジョギング
もうアラレにも慣れたさ
不平を言ってちゃ走れないさ
走り終えてダウンがてら歩いてるときに
空の片隅に明るい青空が見えた
それだけでも
今日走って良かったと思えるほど…
天気予報じゃ
今日から我が地も大雪になると言ってるけど
最近は良い方にハズれてるからなぁ
どんなに悪くっても青森みたいな
悲惨な状況にはならないと思うけど…
年末に里帰りしたグウタラ娘と孫娘
お正月前に帰って行ったけど
新しい年を迎え
無事に大都会で暮らしてるだろうか?
大都会はそれなりに便利で
暮らしやすい面もあるんだろうけど
何かとメンドいことや不安も多くて…
ただ天候だけは
今の時期この地とは雲泥の差があるはず…
かつて学生だった頃の数年間
僕も暮らしていたけれど
その恩恵にどれだけあずかったことか…
だけど冬の時期に帰郷したときに
真っ白な雪景色を目にして
妙に心が安堵感に包まれたことも確かで…
それはやっぱり
自分が生まれ育った故郷だからこそだと…
いくら暮らしにくくても
生まれ育った地を遠く離れて
死ぬまで都会でずっと暮らしていくことは
僕には出来なかっただろう
そういうことを考えると
グウタラ娘も大した決断をしたものだと…
それだけ
いまのダンナに魅力があったということか?
生まれ育った故郷の力を上回るほどの…
もちろん世の中には
生まれ育った地を離れたいと思う人たちも
一定数はいるはずで…
特に田舎の若者たちはそうなんだろうなぁ
僕も若い頃はそのとおりだったから…
だからこそ
大都会へ出てみたんだけれど…
気づいたのは
大都会であろうと田舎であろうと
自分の本質が変わるわけなどないということ
変わってしまうのは上っ面だけなのだろう
だけどそれが悪いとは思えないのも事実
本質であろうと上っ面であろうと
その人を形造ってるものに間違いないし…
本質だけで生きてるわけでもないし
上っ面だけで生きてるわけでもない
核となるものから些細な表面まで全てが
その人の姿だと…
そんなことを思いつつ…
初孫くんは僕やチャラ息子と同じように
この地で生まれこの地で育っていく
これからどこへいくのかはわからないけど…
一方
グウタラ娘のダンナと同じように
大都会で生まれ大都会で育っていく孫娘
どんな風に成長していくだろうか?
2人の孫たちの行く末
この目で見届けたい気持ちはあるけれど
おそらく
大した善人にも悪人にもならないだろう
チャラ息子やグウタラ娘が
現時点で良くも悪くも
平凡な人生を送ってるんだから…
でもまぁ
それが一番なのだろうと…
失敗してもいいし間違えたって構わない
結果として平凡な人生を送れるんなら
それに越したことはない
むしろ
平凡な人生こそを願うべきなんだろうと…
平凡こそ大事?
自分がなりたい人間になれず
送りたい人生も送れず
四苦八苦しながら一生懸命に生きてるものの
不平不満は募るばかりだけど…
そう思いつつ生きていくことが
平凡だということなのかもしれない
そう思えば平凡でいいのかも?
不平不満ばかりの平凡でいいさ…
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