先週のことで恐縮ですが、こちらの過去記事で紹介したように、群馬県高崎市にある「鼻高展望花の丘」を訪れた後、甘楽郡甘楽町にある花の寺「宝積(ほうしゃく)寺」を訪れ、本堂前にある樹齢150年の枝垂れ桜をカメラに収めてきました。
私はこの枝垂れ桜しか観ませんでしたが、境内や周辺の山々にはさまざまな種類の200本ほどの桜が順に咲き、全山が桜色に包まれるそうです。
また、例年ですと、開花時期には桜祭りが開かれ、ライトアップや物産店・出店 などが楽しめるようですが、今年は新型コロナウィルス感染拡大防止のため、中止されていました。現在は、拝観料無料で拝観することができます。このときは、コロナのせいか、日が傾き始めた頃に訪れたためか、訪れる人はまばらでした。
満開に近い雄姿を上手に撮ることは拙い私の手に余りましたが、gooアルバムにまとめたので紹介します。
春の里山 ~群馬の花の寺 「宝積寺」の枝垂れ桜~
(★画像は27枚あります。★バーの左下の三角マークをクリックすると、スライドショーが始まります。手動で送るときは、画像上左右にある三角マークをクリックしてください。★バーの右下の拡大ボタンをクリックすると画像が大きくなり、Escキーで元の画面に戻ります。★コメントは全部にはついていません。★撮影日は2020年3月26日です。)
最後までご高覧くださり、ありがとうございましたm(__)m
アルバム中にも記しましたが、菊女観音の伝説を公式サイトから引用しておきます。
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その昔、この地方を治めていた城主は小幡信貞(おばたのぶさだ)候と言います。そして、腰元に美しく聡明な待女、お菊さまがおりました。信貞候はこのお菊さまを寵愛し、片時も自分のそばから離そうとしませんでした。
そのため、奥方や他の腰元たちの嫉妬心は日に日に増し、信貞候留守中に奥方のお膳に針を落とし、それをお菊さまのせいにしてしまいました。そして、お菊さまを菊が池で蛇責めの刑に処してしまいました。お菊さま19歳、天正14年(1586)9月19日のことです。
その後、追善の供養が度々行われました。さらに明和5年(1768)万仭道坦禅師(ばんじんどうたんぜんし)や、大勢の人たちの努力により、菊が池に大権現としてお祀りされました。
それ以来成仏の功徳をもって、お菊さまは苦難にあえぐ人たちの支えとなることを誓い、その美しい姿は観音様として多くの人々に慕われています。
菊女伝説は、「番町皿屋敷」の1つの源流伝説でもあります。
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この甘楽町には、江戸時代の城下町として栄えた当時の面影が、「城下町小幡」として街並みに残されており、くだんのサイトによると、「春の武者行列では、華やかな戦国絵巻が再現され」るそうです。
右の建物は、現在は古民家カフェとして利用されています。
この日、「宝積寺」の前に訪れた「高崎観音山公園」から見えた「高崎白衣(びゃくえ/びゃくい)大観音」。通称「高崎観音」として親しまれています。