えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...
ありのままに、ユーモラスに......♪

第5章 放射線治療 4.

2007年06月28日 | 乳がん闘病記
4.
 病院から戻ると、郵便受けに友人のMさんから郵便が届いていた。Mさんは地元の友人で、壮絶な闘病生活を経験していた。長年小康状態を保っていた骨髄異型性症候群が3年前に白血病に移行、臍帯血(さいたいけつ)移植*と骨髄移植を経て生死の境をさまよった挙句、九死に一生を得たのだが、現在も闘病は続いている。
 入院する前彼女に病気のことを打ち明けると、「まぁ、K畑さん、乳がんの初期の患者さんなんて、がんセンターじゃ病人扱いしてもらえないわよ~、軽すぎて!」と一笑に付されたものだ。もちろん、彼女は私を励ます意味で言ってくれたのではあるけれども。

 封筒には、彼女が10年前に出会い、地獄のような闘病生活中も支えてくれたという本と、メッセージが入っていた。「来年この桜を見ることができるのだろうか、という気持ちでこの季節を迎えている」というくだりには、胸を突かれた。「全快を願い見上げる桜かな」という句が最後に添えられている。

 命を賭して闘病している人たちから見れば、私の病気など病気のうちには入らないかもしれないと改めて思った。手術も成功し、たった1週間の入院ですみ、その後の経過も順調なのだ。これくらいでへたってどうするのだ!…そう思えた。空虚な乾いた心に、思わず鞭を打った。それが逆効果になろうとは、このときはつゆ思わずに…。

 自分を奮い立たせようとしたとき、ふと、その日病院の待合室で会話を交わしたおばさんのことを思い出した。60代に見えるその女性は、同じ多摩市にあるT南部地域病院で受けていたがんの治療に納得できず、N医科大学付属病院に転院してきていた。医師に見離されかけたとき、藁にもすがる思いで訪れた秋田県の玉川温泉*に浸かったり飲んだりすることで、病気が快方に向かい命拾いしたという話が印象的だったのだ。温泉に利尿作用があるのか、浸かっている間15分毎にトイレに通ったが、それで体から毒が抜けたのだろうと彼女は言っていた。
 早速ネットで調べてみると、強酸性の温泉で、彼女のような西洋医学の治療で行き詰った患者が、最後の望みをかけて集まる湯治の温泉場だとわかった。いつか訪れてみたいと思った。

 確かに私の病気は早期発見、早期治療ができ、西洋医学的には順調な経過を辿っているのかもしれない。しかし、それだけでは解決できないものの存在を、このとき私は漠然と感じていたのかもしれない…。


* https://www.j-cord.gr.jp/ja/
* http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89_(%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%9C%8C)


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