4.
最初は集中力がないと感じる程度だったのが、時間とともにそれはどんどんエスカレートしていった。それは、ぼぉっとするなどという生ぬるいものではない。花粉症の薬を飲むと無性に眠くなるときがあるけれど、そんな生やさしいものでもない。それは、今まで経験したことのないような、異様な、不気味な、病的な度合いだった。
そして、集中力がなくなると、思考力や理解力が落ちた。さらに、記憶力まで落ちるのが自分でもはっきりとわかった。まともに物事が考えられなくなり、物忘れがひどくなった。それも、単なる物忘れというレベルではなかった。記憶のシナプスとシナプスがつながらないだけではなく、つながるべきではない情報同士が間違ってつながってしまうような感覚なのだ。たとえるなら、そう、「日本の夏は蒸し暑い」ではなく、「日本の夏は美味しい」…そんな具合。
自分が自分でないような錯覚…脳みそが他人のものに入れ替わってしまったかのような、幻覚のような悪夢のような、でも紛れもない現実……私はただただ混乱するばかりだった。そうなると、根拠のない漠然とした不安が渦を巻いて、あっと言う間に何をするにも自信がなくなり、気持ちが萎縮した。着実に自分の中で何かが起こっているに違いないと感じるにもかかわらず、まるで正体不明であることが、さらに不安と苛立ちを呼んだ。
―一体私はどうしちゃったんだろう??? 一体何が起こってるんだろう?????― 不安と混沌が錯綜し、気がおかしくなりそうなことさえあった。気持ちが奈落の底にず~んと沈んでしまい、体が鉛のように重く感じることもあった。人間の体が脳でコントロールされていることを身をもって感じながら、真夏の日差しの下で私はこんな自分を持て余し、悶々と過ごした。
ところが、幸か不幸か不思議なことに、この状態がずっと続くとか、悪化の一途を辿るというわけではなく、悪化したり軽快したりと波があるのだった。なまじ軽快する時期があるので、「もう少し様子を見てみようか」という気が起こり、後から考えれば、それがかえって始末に悪かったように思う。正体を自覚するのが遅れ、誰かに相談しようという決断を鈍らせてしまったのだ。
最初は集中力がないと感じる程度だったのが、時間とともにそれはどんどんエスカレートしていった。それは、ぼぉっとするなどという生ぬるいものではない。花粉症の薬を飲むと無性に眠くなるときがあるけれど、そんな生やさしいものでもない。それは、今まで経験したことのないような、異様な、不気味な、病的な度合いだった。
そして、集中力がなくなると、思考力や理解力が落ちた。さらに、記憶力まで落ちるのが自分でもはっきりとわかった。まともに物事が考えられなくなり、物忘れがひどくなった。それも、単なる物忘れというレベルではなかった。記憶のシナプスとシナプスがつながらないだけではなく、つながるべきではない情報同士が間違ってつながってしまうような感覚なのだ。たとえるなら、そう、「日本の夏は蒸し暑い」ではなく、「日本の夏は美味しい」…そんな具合。
自分が自分でないような錯覚…脳みそが他人のものに入れ替わってしまったかのような、幻覚のような悪夢のような、でも紛れもない現実……私はただただ混乱するばかりだった。そうなると、根拠のない漠然とした不安が渦を巻いて、あっと言う間に何をするにも自信がなくなり、気持ちが萎縮した。着実に自分の中で何かが起こっているに違いないと感じるにもかかわらず、まるで正体不明であることが、さらに不安と苛立ちを呼んだ。
―一体私はどうしちゃったんだろう??? 一体何が起こってるんだろう?????― 不安と混沌が錯綜し、気がおかしくなりそうなことさえあった。気持ちが奈落の底にず~んと沈んでしまい、体が鉛のように重く感じることもあった。人間の体が脳でコントロールされていることを身をもって感じながら、真夏の日差しの下で私はこんな自分を持て余し、悶々と過ごした。
ところが、幸か不幸か不思議なことに、この状態がずっと続くとか、悪化の一途を辿るというわけではなく、悪化したり軽快したりと波があるのだった。なまじ軽快する時期があるので、「もう少し様子を見てみようか」という気が起こり、後から考えれば、それがかえって始末に悪かったように思う。正体を自覚するのが遅れ、誰かに相談しようという決断を鈍らせてしまったのだ。