【お断り】(2017.9.1追記)
この闘病記は12年前の闘病の記録です。
したがって、現在厚労省の定める乳がんの標準治療は、当時と一部異なっています。治療についての最新情報は、
「日本乳癌学会」や「国立がん研究センター」の乳がん情報など、信頼できる情報源を参考にすることをお奨めします。
お断り:この闘病記は2年前にさかのぼって記しております。現時点で進行しているのは、2005年4月の段階での話です。 (現在は女性ホルモンを抑える治療を続けており、今のところ再発や転移の兆候はありません。ご安心ください。)
第4章 手術
1.
2005年4月2日。昼過ぎ、夫に車で送ってもらい、入院。
事務手続きの後、麻酔科医の問診を受けるように言われ、夫と荷物を外科の前に残して麻酔科へ行く。麻酔科部長と名乗る男性医師は、名前から察するに中国人のようだが、日本語はとても流暢だった。麻酔経験の有無、既往症、薬に対するアレルギーの有無などについて質疑応答した。「虫歯など、治療の必要な歯はありませんか?」と最後に訊かれ、内心ではガッツポーズ。歯医者に行っておいたのは正解だと思った。
次に病棟へ案内される。4人部屋を申し込んでいたが、4人部屋も大部屋も空いていず、2人部屋に入ることになった。差額ベッド代は被爆二世として都から助成されないので、自腹を切らなければならない。ちょっと痛いな。でも、階下の大部屋のフロアと比べると、きれいでゆったりとしている。外来外科の看護師から入院病棟の看護師にバトンタッチされた。
看護師に続いて部屋に入ると、手前のベッドには男性が寝ていた。―え? 男性と同室?― 仰天していると、相手もポカンとした顔で私と看護師を見ている。その様子で看護師が間違いに気づき、慌てて違う部屋に移動する。よかった…。
2407号室。―おぉ、なんて私にぴったりの番号なの!「西&ラッキー7」じゃないの!― 私にとって、「西」の方角は縁起が良いのだ。理由なんぞなんでも良い。病棟の北側にあるのでそれほど明るくはないが、トイレもついている。私は入口側、つまりトイレに近いベッド。トイレに頻繁にご用がある私にはうってつけだ。
窓側のルームメイトはベッドにいなかった。布団がきれいに整えられ、カーテンは開け放たれたまま、荷物も整頓されているので、外泊でもなさっているのだろうか?
F先生が来室することになっているので、病室で待つように言われる。外の景色を見渡すと、たまに足を運ぶ紳士服の量販店の看板が見える。こういう位置関係だったのね。景色全体が春霞に煙っているようだ。もうすぐ桜が見頃を迎える。こんな華やかな季節を病院で迎えることになろうとは…妙に感慨深かった。