(↑ 2023年11月16日川崎市麻生区にて撮影 ※記事内容には関係ありません。)
2023年11月19日付東京新聞朝刊のコラム「時代を読む」欄に掲載された思想家の内田 樹(たつる)氏のコラム「憲法の主体」を紹介します。
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憲法の主体
神戸女学院大学名誉教授・凱風館館長 内田 樹
憲法をめぐる講演に呼ばれた。演題は「どうやって憲法の主体を育てるのか」である。「憲法の主体」とは誰のことか。私見によれば、それはまだ存在しない。これから創り上げてゆくものである。
よく憲法は国のあるべきかたちを示すものではなく、権力を掣肘(せいちゅう)する最高法規だという定義を下す人がいるけれど、私はやはり憲法は「あるべき国の理想」を語るものであるべきだと思う。その点であらゆる宣言と同じである。「共産党宣言」も「シュールレアリスム宣言」も実現されるべきものを指し示してはいたが、その時点では、共産党もシュールレアリストも萌芽(ほうが)的にしか存在しなかった。それで構わないと思う。日本国憲法もそうである。この憲法に書かれているような国が実現したらすばらしいとは思うけれど、それは公布の時点も今も存在してはいない。
日本国憲法は法理的には大日本帝国憲法を改正したものである。だから発布に際して「上諭」という額縁が付けられていた。主語は「朕(ちん)」である。天皇が「枢密顧問の諮詢(しじゅん)」と「帝国議会の議決」を経て裁可し、公布したのである。
◇ ◆ ◇
憲法前文は「日本国民」が「この憲法を確定する」という感動的な一文から始まるけれど、発布の前日まですべての日本人は「大日本帝国臣民」であり、日本のどこにもこの憲法を起案し、その当否を議する権利を持つ「日本国民」なるものは存在しなかった。
だから、私は憲法集会で講演を頼まれるたびに「憲法は空語だ」という言明から始める。「だから無意味だ」と続くのではない。「これは満たすべき空隙(くうげき)である」と続くのである。「憲法は権力を掣肘する最高法規である」と言うなら、権力を掣肘し得るほどの実力を憲法に与えることこそが国民の責務ではないか。憲法をして憲法たらしめること、それが主権者の仕事である。私はそう思う。
しかし、日本では総理大臣自身が「改憲」を堂々と政治的目標に掲げている。これは憲法99条に定められた「公務員の憲法尊重擁護義務」に違反している。そこには「天皇または摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記してある。総理大臣自身が憲法は十分な強制力をいまだ持つに至っていないという事実を明らかにしている。彼らもまた憲法は「空語」であるということを知っているのである。
◇ ◆ ◇
自民党改憲草案の「緊急事態条項」を見ればわかるが、改憲派は憲法を停止できる権力を内閣総理大臣に与えようとしている。行政府が憲法より上位になる政体を望んでいる。だから、その手始めとして、いかに憲法に強制力がないかを誇示しようとするのである。私は憲法にそれにふさわしい威信と実力を賦与(ふよ)したいと願っている。憲法とは自然物のように「あるもの」ではない。絶えざる努力によって「あらしめる」ものであると私は考えているからである。
だから、「憲法の主体とは何か」という問いに私はこう答えることにしている。「白い紙と鉛筆を渡して『あなたの理想とする憲法を書いてください』と言われたときに、今の日本国憲法のようなものを自力で書ける人間」がそれである。そのような「憲法の主体」を私たちの国は公布から77年たって、まだ持っていない。それならこれから育てるしかない。
(※文中の段落分けと文字の太字化はブログ管理人によります。「◇ ◆ ◇」による仕切りは元々あるものです。)
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日本国憲法を巡る現在の権力者と国民の関係の本質をよくついている文章だと思いますが、私たち国民にとってはなかなか手厳しい内容ですね。私はこの文章を、思想家としての内田氏からの国民への提言というよりは諫言(かんげん)と受け止めたので、記事タイトルに「思想家の諫言」と入れました。個人的にもとても耳が痛いです。なんとなれば、内田氏が言うところの「憲法を『あらしめる』絶えざる努力」を、憲法の主体である国民自身がなおざりにしている結果、権力を「掣肘」することができずに暴走させ、日本国は憲法で定めた理想の国家の体をなしていないと思うからです。第十二条に、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とありますが、内田氏の言うように、憲法そのものの本来の力を発揮させるには、国民による「『あらしめる』絶えざる努力」が必要なのですよね。
では、「日本国憲法のようなものを自力で書ける人間」に育ち、「憲法の満たすべき空隙を埋め」、「憲法の主体」たり得るには、具体的にどのような努力が必要でしょうか? 憲法自体を勉強することは最低限のことだとしても、もっと学び全般の本来の意味と目的を考えなければいけない気がします。受験をクリアするためのような目的化した勉強ではなく、物事の本質を押えるような本来の学びを修める必要があるのではないでしょうか? それは、何か具体的な学問に精通して専門化を深めるというよりも、日々の生活の中で自問自答を繰り返し、主体的な思考回路を育てると言いますか...。そうやって国民一人一人が自分で考え、本当の意味での学びを積んで賢民になる...国民それぞれが「一隅を照らせる」人になる...そういう必要があると私は思います。そして、政治を政治家に任せるのではなく、また権力者を批判するだけでもなく、自分のできる範囲で政治に参加する意志を持たないと、権力者の弄する甘言や詭弁に容易に騙され、権力者を暴走させてしまうと思います。
言うは易し...でも、とりあえずできることは改憲(改悪)を阻止することですね。過去記事で何度も申し上げているように、現政権が憲法に盛り込もうとしている緊急事態条項は、国民の首を絞めるものだと私は考えるからです。
最後までご清聴くださり、ありがとうございましたm(__)m
関係ないつぶやきですが...夏からいきなり冬になったような今月...私は不調続きです。空咳がいつまでも続き、運動不足になったことが原因か、元々可動域の狭い股関節(骨盤のかぶりが、通常の34%&31%だそうな(^^;)に痛みが出て、接骨院通いが続いています。老化を実感する日々...(^^ゞ みなさまも御身大切に......。
理想は「博学審問」かな...のtakuetsu@管理人でした。
80%の根拠はアレを1回以上打った率です(^^;;;
> 骨盤のかぶりが、…
初耳言葉でした。
そして臼蓋形成不全なんてのも期せずして知ることになりました。
女性に多いようですが男女の骨盤の形の差によるものなんですかね。
8割という推定、当たらずとも遠からずのような。アレは仕方なく打った人も少なくはない感触があるので、それを差し引くとしても、7割はいるでしょうね。
でも、京大教授の藤井 聡さんがご自分の動画で言っていました。「質量限界(critical mass)」という概念があって、その割合は物事によっても異なるようですが、概して1~3割に達したときに一気に普及すると言われているのだそうで。つまり、少数派だった意見が1~3割になったとき、一気にその意見が広がり、多数派となる現象が起きたりするということ...。だから、2~3割ならひっくり返せるかも???
っと、そんなふうにでも期待していなければ、絶望感にうちひしがれてしまいますよね(^^;
藤井さんはこうも言っています。質量限界を信じて少しずつ仲間を増やすこと! 諦めてはいけませんね(^^)v
臼蓋形成不全を調べてくださったのですね。お初でしたか!
確かに私の周りでも女性が多いです。同期生にも複数います。
若い頃は、骨密度がある程度あることや周りの筋肉の量や質によって、なんとか不全をカバーできてはいても、加齢に伴ってカバーしきれなくなるので、中高年に変形性股関節症が増えてくるんですよね。
行き着くところは人工股関節なので、そうならないよう日々の努力が必要のようです(^^;