海軍体操の生みの親、海軍落下傘部隊隊長の堀内大佐はインドネシア・マナドで仁政を敷き、今尚の現地の人々には語り継がれ慕われています。しかし、敗戦後オランダの報復裁判で処刑されました。 . . . 本文を読む
航空機エンジニアとして、三菱重工業名古屋航空機製作所の監督に当り、支那事変から大東亜戦争中期まで活躍した九七式や呑龍、飛龍などという重爆撃機の開発に関係したが、昭和18年ニューギニア戦線に赴任、19年7月25日に戦死。 . . . 本文を読む
大東亜戦争開戦時の軍務局長だった武藤章は、「A級戦犯」として処刑された。秀才の誉れ高かった武藤は日米開戦に現実的な観点から反対し続けた。武藤の東京裁判批判の声に是非耳を傾けて欲しい。 . . . 本文を読む
大塚惟精は済々黌明治35年卒、五高、東京帝大と進み、内務省に務めた。大塚は剣道の達人でもあり、文武不岐の士だった。昭和20年広島県知事、更には中国総監に就任、任務尽力中の8月6日に広島原爆で亡くなった。 . . . 本文を読む
終戦時の陸軍参謀総長梅津美治郎は済々黌明治30年卒。政治に関与せず天皇の大御心を遵奉して終戦を実現させた功労者である。済々黌高校の図書館には梅津の「剛健」の書が掲げられている。 . . . 本文を読む