『日本陸海軍航空英雄列伝』(光人社)で紹介されている、体当り攻撃奇跡の生還者が済々黌昭和14年卒の寶田三千穂上飛曹である。 . . . 本文を読む
フィリッピンでの戦いで、現場から懇願した特攻出撃、陸軍特攻の先駆けとし昭和19年9月13日に散華した小佐井中尉の出撃に至るまでの経緯と、ハルピン駐留中の家族宛の手紙を紹介する。 . . . 本文を読む
東満州の警備に当っていた宇野中尉は、南方戦線の激烈化に伴いグァム島に転進。米軍上陸の翌日、率先陣頭に立って夜間攻撃を敢行して戦死した。転進途中に鉛筆書きで記した簡潔な遺書が残っている。 . . . 本文を読む
砲兵隊長だった吉村大尉は、敗戦後火砲と運命を共にせんと自決を志すも、部下の帰国の為に責任を果たす可く留まった。帰国後の敗戦の日に自宅にて従容として自刃した。その遺書全文を紹介する。 . . . 本文を読む
昭和8・9年は済々黌剣道部第二次黄金期で、幾度も全国大会で優勝している。その時の主将の金津は硫黄島で、翌年の主将島田はニューギニアで戦死している。特に、激闘で知られる硫黄島では済々黌出身者7名が戦死し、その内の4名は剣道部出身である。 . . . 本文を読む
田邊章一は、昭和9年東京日日新聞等が募集した「映画脚本『大日本帝國史』」で見事第1等に入選を果たした。その感動的な歴史記述は徳富蘇峰等も高く評価した。熊本第一高女で教鞭を執った田邊は女学生の生き方に強烈な感動を与えた。出征・敗戦後、シナ大陸でマラリアで戦病死。その33回忌に教え子たちが追悼集を出版した。 . . . 本文を読む
三島由紀夫の師ともいえる蓮田善明は、敗戦後に日本と天皇陛下を悪し様に罵った上官を射殺して、自らも自決した。文人として生きた蓮田は、愛する祖国を汚す者を斃す武人としての死を選んだのである。 . . . 本文を読む
大東亜戦争島嶼の戦いの激戦地ペリリュー島。日本軍守備隊の陸軍・海軍の指揮官は熊本県人だった。陸軍の隊長は玉名中卒業の中川州男大佐、海軍が済々黌出身の大谷龍蔵海軍大佐だった。 . . . 本文を読む