山岡鉄舟 その二(『祖国と青年』平成26年7月号掲載)
晴れていても曇っていても富士山の堂々たる姿は変わる事は無い。
晴てよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変らざりけり
(明治五年十二月「朝廷に奉仕する事」)
山岡鉄舟の残した和歌の中でもっとも有名なのがこの歌である。それは、明治五年に書いた「朝廷に奉仕する事」という文章の最後に記されている。
鉄舟は、徳川慶喜公の使者として西郷隆 . . . 本文を読む
山岡鉄舟 その一(『祖国と青年』平成26年6月号掲載)
天が私を使ってこの事(西郷隆盛との談判)を為さしめたのである。
是れ余が力にあらざるなり。天吾をして此挙に出でしめずんば、安ぞ私人の力、能く茲に至らんや。
(「戊辰の変余が報国の端緒」明治二年八月)
慶応四年(1868)鳥羽伏見の戦いに勝利した官軍は、徳川慶喜を討伐すべく東海道・中山道へと軍を進めた。徳川慶喜は、朝廷に対し恭順の意を表 . . . 本文を読む