「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

伊藤仁斎に学ぶ⑨「四端の心は、是れわが生の有するところにして、仁義礼智は、即ちその拡充して成るところ」

2021-01-29 17:07:45 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第三十六回(令和3年1月29日)
伊藤仁斎に学ぶ⑨

「四端の心は、是れわが生の有するところにして、仁義礼智は、即ちその拡充して成るところ」
                                   (「語孟字義」巻の上 仁義礼智)

 四端とは、『孟子』公孫丑上の「惻隠の心は仁の端なり。羞悪の心は義の端なり。辞譲の心は礼の端なり。是非の心は智の端なり。人の是の四端あるは、猶ほ其の四体あるがごとし。」に出て来る言葉で、高校の漢文でも学んだ記憶がある。惻隠は思いやり、羞悪は自分の悪を恥じ、又他人の不善を悪む事、辞譲はへりくだり人に譲ること、是非は善悪を判別すること、である。これらの心が仁・義・礼・智の「端」=端緒となる、と孟子は述べている。

 仁斎は、四端の心を「拡充」する事の大切さを強調している。吉田松陰も『講孟餘話』で、この孟子の言葉に「拡充の二字、是れ孟子人を教ふるの良術なり。」と述べている。「拡充」とは如何なる事を言うのであろうか。仁斎は『童子問』の中で、持って生まれた本性だけに頼り十分に尽しても、限られた成果しか上げる事が出来ない事を、飯を炊くのに要する薪の分量に例えて述べている。一束の薪では一石の米を炊く事は不可能である。火力が弱すぎるのだ。しかし、僅かな火力でも、風に向かって火を焚き、薪を添えて助ける時には、宮殿をも焼き尽くす程の火力になる。一点の野火は原野を焼き尽くし、火の勢いの激しさには対処する事さえ難しくなる。その様に、人が志を立てて変えず、努めて学び倦まない時には、聖人や賢人の境地に到達する事が出来ると述べる。その様な、小火を大火迄導く「風」こそが人倫の「教え」であり「拡充」する事なのである。その学びが人間を本物に為して行く。

 更には、水源の有る水が限りなく広がって涯は大海迄到達する様に、浩然の気が天地を満たすが如く広がって行く事なども例に挙げて、「孟子の言う拡充とは、押し広め、満たし広げる勢いが止めきれない、との意味である。」と述べている。

 惻隠や羞悪の心、辞譲や是非の心を人間に生まれた我々は本来備えている。だが、それを育み涵養して行く生き方を日々実践して行かなければ、自ずと萎んでしまう。

 仁斎の指摘する「拡充」の意味は大きい。広げ満たし溢れさせて行く事が拡充である。日常の生活で感じた惻隠の情を大切にして優しい心持を涵養して行く事が「仁」へと繋がり、自らの行動や人の行動に対して感じる羞悪の心を決して裏切らない生き方が「義人」への道である。常に辞譲を心掛けて人に譲り、善悪を判断できる明知を備える事が「礼」「智」の習得に欠かせない。日々の絶え間なき人間性の学びと実践=「拡充」こそが、その事を可能にするのである。


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