第5回(令和5年6月23日)
「学は須(すべから)く己に反(かえ)るべし。若し徒に人を責むれば、只だ人の不是を見得るのみにして、自己の非を見ず。」 (『伝習録』下巻 45)
陽明学は「自反の学」とも言われ、「人間学」とも称される。それは、自分に内在する良知を完全に現す為に、普段の自己省察を求めているからである。この言葉は、人の欠点を見つけてはあげつらう門人に対する教戒として、王陽明が述べた言葉の中の一節である。
偉大な人格は、生涯を通して自分の心の在り方を省みる不断の努力によって養われる。人の欠点ばかり見つけ出して、非難する者には、自己生長は有り得ない。例えば、離婚したカップルが居るとする。離婚したのは相手が悪いと声高に叫び、自分には何の過ちも無かったかの様に語る者は、次に結婚しても同じ過ちを繰り返すであろう。失敗した原因を自らの中に見出せる者のみが、次の成功を生み出す事が出来る。
現在に至るも、多くの者達から慕われ続けている西郷隆盛は「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽し人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」(西郷南洲遺訓)と述べている。「我が誠の足らざるを尋」ねる事こそが、王陽明の言う「学は須らく己に反る」と言う事である。
安易に人を責めずに、自分の至らない点を省みる人物が多数を占める様になった時に、真の平和が訪れる。
「学は須(すべから)く己に反(かえ)るべし。若し徒に人を責むれば、只だ人の不是を見得るのみにして、自己の非を見ず。」 (『伝習録』下巻 45)
陽明学は「自反の学」とも言われ、「人間学」とも称される。それは、自分に内在する良知を完全に現す為に、普段の自己省察を求めているからである。この言葉は、人の欠点を見つけてはあげつらう門人に対する教戒として、王陽明が述べた言葉の中の一節である。
偉大な人格は、生涯を通して自分の心の在り方を省みる不断の努力によって養われる。人の欠点ばかり見つけ出して、非難する者には、自己生長は有り得ない。例えば、離婚したカップルが居るとする。離婚したのは相手が悪いと声高に叫び、自分には何の過ちも無かったかの様に語る者は、次に結婚しても同じ過ちを繰り返すであろう。失敗した原因を自らの中に見出せる者のみが、次の成功を生み出す事が出来る。
現在に至るも、多くの者達から慕われ続けている西郷隆盛は「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽し人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」(西郷南洲遺訓)と述べている。「我が誠の足らざるを尋」ねる事こそが、王陽明の言う「学は須らく己に反る」と言う事である。
安易に人を責めずに、自分の至らない点を省みる人物が多数を占める様になった時に、真の平和が訪れる。
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