第15回(令和5年8月1日)
「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」 (王陽明全集第二巻『文録』書の1「楊仕徳・薛尚謙に与ふ」)
王陽明が魅力的なのは、その講学が学校や教場だけで行われたのではなく、時には賊を討伐する等の苛酷な任務に従事している、その渦中で行われた事による。王陽明は文官だが、その軍事的な才能を評価されて幾度も賊の討伐を命じられている。陽明は実際幾度も「山中の賊」と対峙して、見事に平定している。この言葉を単なる辟えと受け取るならば、王陽明の真の叫びは聞こえない。
正徳12年(1517)、46歳の陽明は広東省北部の広大な山岳地帯に蟠踞する盗賊の討伐を命じられた。勿論、山中に居る賊を破る事は並大抵の力では出来無い。しかし、王陽明は「それは容易い」事だと述べ、その苦労以上に人間が努力し、功夫を重ねなければならないのが、「心中の賊」を平定する事なのだ、と弟子達に教えているのである。
続けて王陽明は言う。「もし君達が、心の中に存する寇(私欲)を掃蕩して、廓清平定の功を収める(心を清めて安らかにする)事が出来たならば、それは誠に大丈夫(立派な人物)の不世出の偉業である。」と。
「心中の賊」は、幾度も幾度も生じて来る。それは外物に自分の心が囚われてしまうからである。若い時は「色欲」、壮年に成ると「権力欲」、老人になると「名誉欲」が、「賊」として自分の心を蝕むと言われている。更に現代は「金」が社会を支配し、人の心までも支配して白昼堂々と「強盗」を行う輩迄生まれて来ている。消費と安逸を限りなく求める社会の風潮が、人の心の中に「賊」を蟠踞させているのである。
だが、心中の賊に率いられたまま生涯を送る事が幸せな人生と言えるのであろうか。物欲を追い求めた結果、虚しさだけが残るのではないか。王陽明がいう様な「廓清平定」の境地に達する事が出来るなら、自分の人生を生き切ったと真に思えるのではないだろうか。一人一人が自分の人生のあるべき姿を思い描いて、それを阻む「心中の賊」退治に果敢に挑戦する事が大切だと思う。
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「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」 (王陽明全集第二巻『文録』書の1「楊仕徳・薛尚謙に与ふ」)
王陽明が魅力的なのは、その講学が学校や教場だけで行われたのではなく、時には賊を討伐する等の苛酷な任務に従事している、その渦中で行われた事による。王陽明は文官だが、その軍事的な才能を評価されて幾度も賊の討伐を命じられている。陽明は実際幾度も「山中の賊」と対峙して、見事に平定している。この言葉を単なる辟えと受け取るならば、王陽明の真の叫びは聞こえない。
正徳12年(1517)、46歳の陽明は広東省北部の広大な山岳地帯に蟠踞する盗賊の討伐を命じられた。勿論、山中に居る賊を破る事は並大抵の力では出来無い。しかし、王陽明は「それは容易い」事だと述べ、その苦労以上に人間が努力し、功夫を重ねなければならないのが、「心中の賊」を平定する事なのだ、と弟子達に教えているのである。
続けて王陽明は言う。「もし君達が、心の中に存する寇(私欲)を掃蕩して、廓清平定の功を収める(心を清めて安らかにする)事が出来たならば、それは誠に大丈夫(立派な人物)の不世出の偉業である。」と。
「心中の賊」は、幾度も幾度も生じて来る。それは外物に自分の心が囚われてしまうからである。若い時は「色欲」、壮年に成ると「権力欲」、老人になると「名誉欲」が、「賊」として自分の心を蝕むと言われている。更に現代は「金」が社会を支配し、人の心までも支配して白昼堂々と「強盗」を行う輩迄生まれて来ている。消費と安逸を限りなく求める社会の風潮が、人の心の中に「賊」を蟠踞させているのである。
だが、心中の賊に率いられたまま生涯を送る事が幸せな人生と言えるのであろうか。物欲を追い求めた結果、虚しさだけが残るのではないか。王陽明がいう様な「廓清平定」の境地に達する事が出来るなら、自分の人生を生き切ったと真に思えるのではないだろうか。一人一人が自分の人生のあるべき姿を思い描いて、それを阻む「心中の賊」退治に果敢に挑戦する事が大切だと思う。
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