昔、こんな怒り方を息子にしていました。
「はっきりいいなさい。きちんと言葉にしなさい。」
なんと未熟だった事か。
こどもは、きっと言葉などでは洗わせない程、深く大きく、複雑な思いを抱えていたに違いない。
と、今ではそう思えるのです。
子どもが苦難に震えている時、大人が出来る事は、解決するでもなく、教え導くでもなく、ただ、そばに寄り添い続けるだけ。
それしか出来ないし、子どもが望むのは、その事だけなのでしょう。
大人は、ただ長く生きてきたというそれだけで、子どもよりも多くを知っていると思い込んでいますけれど、実は、子どもの頃知っていた様々な事を一つづつ忘れ続けてきたのかも知れません。
「たまり」にやって来る子どもたちと接していると、子どもの体の中にはすでに広大な宇宙があって、子どもはすでにすべてを知っているのではないかと思うのです。
大人になると言う事は、ただ、幻にしか過ぎないかもしれない、この人の世に、いかになじんで上手く渡って行くか、そのことを知る。その代わりに、なにか忘れてしまって思い出せない大切な事を落っことして行く事なのではないかと思えてきて仕方がないのです。
大晦日に、こんな事を考えています。
「はっきりいいなさい。きちんと言葉にしなさい。」
なんと未熟だった事か。
こどもは、きっと言葉などでは洗わせない程、深く大きく、複雑な思いを抱えていたに違いない。
と、今ではそう思えるのです。
子どもが苦難に震えている時、大人が出来る事は、解決するでもなく、教え導くでもなく、ただ、そばに寄り添い続けるだけ。
それしか出来ないし、子どもが望むのは、その事だけなのでしょう。
大人は、ただ長く生きてきたというそれだけで、子どもよりも多くを知っていると思い込んでいますけれど、実は、子どもの頃知っていた様々な事を一つづつ忘れ続けてきたのかも知れません。
「たまり」にやって来る子どもたちと接していると、子どもの体の中にはすでに広大な宇宙があって、子どもはすでにすべてを知っているのではないかと思うのです。
大人になると言う事は、ただ、幻にしか過ぎないかもしれない、この人の世に、いかになじんで上手く渡って行くか、そのことを知る。その代わりに、なにか忘れてしまって思い出せない大切な事を落っことして行く事なのではないかと思えてきて仕方がないのです。
大晦日に、こんな事を考えています。
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