タマリの 希望・日常・幸せブログ あ~今日も一日おもろかったい

すっとこタマリのこれでもビジネスブログです。食卓の風景とともに,じわっと笑顔を届けます。

菊芋掘りにいきますよ。

2014-01-31 07:53:19 | おもろかったい
おはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

今度の日曜日、2月2日はいつも野菜を入れて下さっている松下さんの畑に行きます。
楽しい菊芋掘り、あいにく、雨の予報なようですが、どろんこになって遊ぶのも、楽しいでしょうね。

今週は、土曜日、日曜日と、大勢様のご予約いただいています。
日曜日は貸し切りにいたしました。

ありがたい事です。

頑張ります。

眼瞼下垂

2014-01-29 00:26:30 | おもろかったい
こんばんは
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

昨日目の調子が悪くて顔が凝った話をしましたが、結局まぶたを開くのがとても大変になっている事に気がついています。
こういう症状を眼瞼下垂と言うのだそうです。

年を取ると額に深いしわが出来る人、居ますよね、私もそうなんですが、そう言う人は、まぶたを上げる腱が切れてしまっているので、まぶたが上がらず、額の筋肉で開こうとする為、額にしわが刻まれるのだそうです。

私は疲れの為か、それが額だけでは留まらなくて、顔全体で開こうとして凝ってしまったようです。

これが酷くなると、全身に及ぶ、けっこう大変な症状なのだそうですよ。止まらない頭痛など、けっこうこれが原因の事があるそうです。

どうしたら良いか調べてみると、手術なのだそうです。まぶたの切れてしまった腱の代わりに新しい人工物を入れるのだそうです。

今回、あまりに酷かったので、ちょっと考えています。

今日から、また一週間、よろしくお願いします。

2014-01-21 11:54:03 | おもろかったい
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

目の調子が悪く、ブログを控えておりました。
いつも読んでいただいているみな様、ありがとうございます。
回復しましたので、また、始めようと思います。

目の調子と言うのも、なんだか目の奥がイタくて、目が開かないと言うものでした。

急がしい一週間が過ぎ、どうしてもだめなので何気なくほっぺをつかんでみたら、何とも凝っていること。カチカチです。

そこで、これは「エステ」しかないと思いました。

私は、この5年程、「ミューフル」と言う化粧品を使っています。そのジェル化粧水だけでほとんど済んでいたので、便利に使っていました。

その町田のお店で顔エステをやってくれているのは知っていたのですが、利用した事はありませんでした。

ちょうど、誕生日特典のはがきをいただいていたので、今日こそと利用させていただくことにしました。

このミューフルの特徴は、「松やに」を使って産毛と確執を取り去って行くこと。これを続けると、陶器のような肌になるのだそうです。

そんな訳でやってもらいました。

見事に顔の凝りは解消して、白くなりましたよ。

そこで、いらんさんのザクロと、酵素を見つけ、「カフェたまり」でメニューに載せようと思っています。

ちなみに、この記事は私が勝手に描いています。町田にお住まいの方は除いてみると面白いですよ。



大根だとばっかり思って手に取ったら、かまぼこだった時の驚き

2014-01-17 09:45:02 | おもろかったい
おはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

もうお分かりですよね。
自宅でのお話です。

うちは、夫も息子もみんな料理をするので冷蔵庫の中は中々把握しきれないのですけれども・・・・

魚肉を入れるスペースに、ラップにくるんだ白いかたまり。

絶対大根であると疑いもなく、「もう、こんな所に入れて・・・野菜室に入れてよ・・」
と、手に取った瞬間、そのプニュ~ッと言う感触に、ゾワッ。

お正月の名残が、ここに・・・・・・・

常連さんが続々

2014-01-17 09:01:42 | おもろかったい
おはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

今週はとっても暇です。びっくり。

でも、おかげで相当しっかりと仕込みが出来ました。
負け惜しみじゃないんですよ。一人でやっていると、本当に休む間もないくらい仕込みがあるんです。

毎日のお惣菜、漬け物、メインディッシュ、夜のおつまみ類の仕込み。
カレーの仕込み、新メニューの「季節のスープ」のし込み。
魚をさばいて、煮る、焼く、蒸す、ソテーする、刺身にするでわけて最適に保存。

雑穀の準備、季節の野菜の仕込み、保存。
保存してきたものをお客様に提供する為のひと作業と、
全て手作りなので、いくらでも仕事があります。

おかげさまで昨年、常連さんが飛躍的に増えたので、みなさん、「初めまして」ではなくて「お久しぶり、今年もよろしく」のご挨拶。

そろそろ初めてたまりを訪れる方がでていらっしゃるでしょうか?

今日は、また、赤ちゃんを連れたお母様方のご予約をいただいて賑やかなたまりになる予定です。

では、行ってまいります。

カツゼツ悪く

2014-01-15 14:13:38 | おもろかったい
おはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。


寒いと、体の動きも鈍くなりますが、口の動きも悪くなります。

先日は、「カツゼツが悪くて、うまくしゃべれません。」といったつもりだったのですが、

「カツレツが硬くて、うまく食べられません」

「電話番号を教えて・・・」を、

「恋愛願望を教えて・・・・・」

と聞かれたようです。

まことに、寒さは面白い。


ゴミ?ごみ・ゴミ・・・・・

2014-01-15 10:05:33 | おもろかったい
おはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

昨日、帰って来たら、あらまあ、プラスチックごみの中に生ゴミが投入してあり・・・・

これは次男の仕業に違いないと思い、しばらくしてから帰って来た彼に文句を言うと、素直に罪を認め、

「えっと・・・・何と、何をわけるんだっけ・・・・・・・」

詳しく説明し、しばらくしてから同じ袋を見ると、今度は紙製の卵の容器が・・・・・・・

ww、ばかもん!

ティーダバル シャッター塗り完成

2014-01-13 23:09:19 | おもろかったい
とってもおはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

昨日は、朝から実に12時間、「小田急よみうりランド前」の駅前「ティーダ バル」のシャッター描きやっていました。

といっても、途中、3時間程抜けて、平出圭さんの取材に付き合い、「カフェたまり」を開けて、また、戻って描いていました。

途中経過がこれ。

    

描いている時は寒さ感じませんでしたが、終わったとたん寒いこと!

思わずティーダのママと一緒にお湯割りを飲んで帰宅しました。

ペンキ塗り

2014-01-13 08:45:39 | おもろかったい

おはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

今日は、小田急よみうりランド前のスペインバル、「Tida Bar]」のシャッターのペンキ塗りです。

その後は年末のお芝居、「You Go 麻生ーぼくらはみんな生きている」への取材を「カフェたまり」でやりたいとの演出平出圭さんからのお申し出で、営業はしませんが4時に開けることになっています。

この後、写真など、載せようと思います。

では、行ってきます。

食べると言う事について・いったんおしまい

2014-01-11 07:55:36 | おもろかったい
おはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

とても中途半端ですが、年始休みもいよいよおわり、「カフェたまり」の諸々が始りました。
思い切って、カウンターの後の壁を張り替えました。写真がそれです。

今回、年末から年始にかけて、とても沢山の事を考えました。あまり、深くものを考えると言う機会が日頃ないので、とても良い体験であったと思います。

でも、日常の仕事をこなしながらでは、流れてしまうような気がしますので、一旦おしまいにしたいと思います。
写真もなく、私の独り言のような文章を根気づよく読んで下さったみな様、本当にありがとうございました。

いま、日本は改めて「食べると言う事について」考え込まなくては前に進めない状況に来ていると思います。

放射能のことにしても、政府が認めている「100ベクレル」と言う値は、本来ならば放射性廃棄物として管理されてきた値です。

その「100ベクレル」については、危険である、大丈夫である、様々意見が飛び交っています。

少なくとも全国にその値以下であれば流通していい訳ですから、私たちは選ぶことができません。

けれども、私たちはだれ一人として、食べる事なく生きられる人間は居ません。
何物かの命を奪って食べて生きて行くのです。

この時代に、「食べると言う事」を職業としていくことを選び続けて行く自分に責任を持ちたいと思います。

少なくとも、覚悟が居る事だと思いました。

何の結論も出ませんし、独り言で終わってしまいますが、このような事を考えながら、今年の営業を始めたいと思います。

今年初めてのご予約が今日のお昼にいただいております。
今日は夜も9時ころまでは開けている予定でおります。

では、行ってまいります。




食べると言う事について 「与えられたもの」

2014-01-08 08:36:05 | おもろかったい
おはようございます。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。

人は、食べなければ死んでしまいます。
塩と水でかなりの間は持つかも知れませんが、食物がなければやはり人は生きる事は出来ません。

私は、味に敏感です。
防腐剤が入っていれば、合成添加物が入っていれば、どうしても感じてしまいます。

けれども、もし私が飢餓に陥っていて、そんな中与えられたものが防腐剤も添加物もたっぷり入っていたものだとしても、この上なく美味しいと思うかもしれないと思ったりします。
勿論、これは想像です。
現代のこの飽食の日本で、幸いにも私が飢餓に陥る事はなかったからです。

しかし、もしこれが現実となれば、このとき、食物は、どのようなものであろうと、「与えられたもの」となります。

食べると言う事について もう一つお替わり

2014-01-07 08:58:21 | おもろかったい
こんにちは
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。


では、幸せになれる食べ物と言うのはどんな食べ物なのでしょうか?

どんな方も、好きな食べ物があるのだと思います。そのすきなものを食べた時には、幸せに感じる事でしょう。

でも、その好きな食べ物を毎日3食食べて幸せになれるでしょうか?
もし、毎日3食食べ続けても幸せになれるものはあるでしょうか?

私は、20代後半に数ヶ月ではありましたが、寺女として、広島のとある山寺においていただいていた事があります。

その寺の和尚にこのように言われた事がありました。

「食べると言う事は、楽しむ為ではない。生きる為の所業なのだよ。」

この言葉は、それまで10年間「食」を司る職業に就いていた私にとっては、はたと考えさせられるもので、忘れられないものとなりました。

ただ、それは、食を楽しむべきではない、と言う単純な真理として刷り込まれた訳ではありません。

いまだ「食」を職業としている身で、「味覚的に楽しめるおいしい食」は基本です。

けれども、そればかりでは、私たちが「食べる」と言う行為をたゆまずし続ける理由にならないような気がするのです。

そうです、あの、辛い日々、どんなに美味しいものも「砂の味」がした日々、それが開けるきっかけとなったあの食事は、私の人生を変える程の力を持っていました。

生き返らせたのです。

食べるということについて おかわり  

2014-01-06 08:03:00 | おもろかったい
おはようございます。
ebcアトリエのカフェ担当、昼は「カフェたまり」、夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将で陶芸家のクメタマリです。

もう10数年前、重い欝だった頃がありました。

子泣き爺が胸の上にどん!と載っているようで、起き上がることができません。

やっと買い物に行っても、右から左にすべてのものが流れていってしまうように見えて、手が出せずに戻ってきてしまいます。

そのうち、夫がいつも会社の帰りに買い物をしてくれるようになりました。

そのころは子供たちもまだ小学生で、精一杯の責任感から這うようにして食事を作るのですが、自分は食べられません。

何かから逃れるように、夕方になるとビールに手が伸びます。

このままではいけないとは思うのですが、医者に行っても、そのころはまだ、しっかりした診断のできる医者は多くなかったのでしょう、わけのわからない薬を渡されて、当惑します。

今でこそ、おもいうかべてああ、重い欝だったのだと思うのです。

きっかけは、子どもの病気だったのだと思います。


「5年生存」したことがきっかけで、喜ぶべきところが気が抜けて足をすくわれるように一度に疲れが出たのだと思います。

這うようにして子どもたちの食事は作りますが、自分の口にはどうしても入りません。
買い物に行っても、右から左に品物が流れて行って、手を出すことができず、何も買わずに帰って来てしまいます。

夫が会社帰りに買い物をしてきてくれるようになり、外食に連れ出してくれるようになりました。

そんな時、友人が亡くなりました。

音楽家だったその人の葬式に行った帰り、珍しく空腹を感じました。

駅ビルの中の割烹料理屋に入り、幕の内を頼みました。

    すると・・・・・

この弁当がとてもおいしかったのです。

不思議な事に「ああ、おいしい食事は、人を幸せにするんだ」と、素直に心底感じました。それと同時に、死んだ友人に「お前、なにやってんの?」といわれているような気もしたのです。

それから、徐々にではありますが、立ち直った気がします。もちろん、本当に元気になるまでは、それからも長い年月がかかりましたが、この出来事がきっかけだったと思います。


これが、私の原点です。

「食べ物は人を幸せにする力がある。」

当たり前の事のようですが、日常を振り返って、幸せになる食べ物を、私たちはどれほど口にしているでしょうか?


食べると言う事について そのまた次ぎ  

2014-01-05 08:02:40 | おもろかったい
おはようございます。
ebcアトリエのカフェ担当、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」のオーナーで陶芸家のクメタマリです。


突然ですが、私自身はベジタリアンではありません。マクロビオティックにも大変興味はあり、概略を勉強することもありますが、決して実践者ではありません。

そして、ベジタリアンにに私はおそらくなりません。

私は、生きるということは、自分以外の生き物をあさり、貪り食らうことであると思っています。

それは、動いているとか、感情を持っているとか、そういったこととは関係なく、鯨も、猫も、牛も魚も、草も、米も、生きていることには間違いありません。

私はその命を奪って生きている。

私は、罪深い生き物であるということを心に刻んで、ものを食らって生きる。


マクロビの創始者の一人と目されるナナオサカキはあるとき、口の中の米粒の一つ一つが、命をもって蠢いている事に苦しみ、飢餓に陥ったという話を読んだことがあります。
私にはそういった経験はありませんが、その苦しみはとてもよく判る気がするのです。

私たちは貪り食らい、その命を生きる。

私たちは、そのことを知っておいたほうがいい。


それほどに、食べるということが罪深いなら、何故にそんなことを職業にするのかといわれるかもしれませんね。