タマリの 希望・日常・幸せブログ あ~今日も一日おもろかったい

すっとこタマリのこれでもビジネスブログです。食卓の風景とともに,じわっと笑顔を届けます。

切られお富

2016-08-31 09:36:16 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
こんにちは、暑いですね。

百合ヶ丘の隠れ家「たまり」の女将で陶芸家のクメタマリです。

先日、久しぶりにお芝居を見てきました。

地域の市民劇場には入っていて、今回は何やら古風な前進座のお芝居でありました。

題名は聞いたことがある。

どんな筋書きだっただろうかと、、、、

夫の申すには、春日八郎の「お富さん」の歌詞がわかれば、あれが筋書きなんだよ。

とのこと。

「死んだはずだよ、お富さん♫」

ってヤツですかね。

知ってる人は、ある一定の年代以上の方かと思いますけども。

ある、若い女が、青春と女盛りを、父親をはじめとする男たちに利用され尽くして、その中でも精一杯自分の意思を通して生きて、死ぬ。

といったような筋書きでした。

彼女の想い人は、この芝居では妙に純情そうに書かれていたけど、私から見たら一番胡散臭いなあ。

見ながらずっと、ええ加減に、自由に生きたらどないですか?と思っていたけど、女1人がそのように生きられる時代でもなかったのかもしれない。

でも、なんか、人って自分が思い込んで作り上げた世界(こうあらねばならない、これが正しく、これは不正である。)の中で、不自由に生きるものだなあって、ものすごく感じて、このタイミングでこの芝居を見たのは、なんだか私にとっては意味のあることだったんだなあとも思いましたよ。

時代は変わり、でも、その中で案外人は、自由になりきれずに、自分を解き放てずに不自由に生きているんじゃなかろうか?

でも、それって、誰のせいでもなくて、不自由でいることによって利益を得ている(はずの)自分が起こしていることだよなあ。自分でそういう世界を作ってる。きっとね。

ぶち壊すのも、自分です。

そして、もう一歩。自分だけでもないんだな。そんな気がする。

サムシング グレイト は、呼び名はどうあれいるような気がする。

エイリアンかもしれないけど。

独り言。お付き合いいただき、どうも。






まかない

2016-08-29 14:19:08 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
今日は蒸し暑いので三色麺

残っていたものの整理にもなりました。

山形のとびきりそばと、次男が台湾で買ってきた鬱金麺、

そして、毎年、小豆島の手延べそうめんの老舗に嫁いだかつての常連さんが送ってくださる上物の素麺。

わたしは、つゆに佐渡からやってくるナガモというネバネバ海藻を入れていただきました。

このナガモ、素晴らしい栄養価で、今注目を浴びているらしいのですが、佐渡では昔から常食していました。

わたしが佐渡に行くときには、必ず、両津港でナガモそばを食べてから出ないと、佐渡にきた感じがしない。

丼に、そばが見えないくらいにナガモが乗っていて、ナガモを残すのが嫌で、つゆまで全部飲み干すのです。



以下、ナガモの優れた栄養価についての説明。

ちなみに、「たまり」では「魚だしナガモラーメン」で、お出ししています。
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佐渡のながも

しゃきしゃき、ねばねば!
粘り気の秘密は、たっぷり含まれる食物繊維

 ナガモの正式名称はホンダワラ科アカモク。独特の粘りを持っていて、食物繊維たっぷり。成熟期の2~3月にはなんと10mにも成長します。
 粘り気の正体は、アルギン酸という水性の食物繊維。アルギン酸には、お腹の調子を整えたり、血中コレステロールを低下させる働きがあります。その上、抗がん作用もあるといわれているフコイダンも豊富。近年、健康食品として注目を集め、全国的にナガモを食用とする地域が増えていますが、佐渡島では古くからナガモが食べられてきました。熱湯にくぐらせると茶色から鮮やかな緑色となり、とろろのような粘り気が出るのが特徴。細かく刻んで汁物やそば、ご飯にかけて食べるのがおすすめです。ナガモはしゃきしゃきとした歯ごたえがあり、同じ粘り気のある海藻として有名なモズクとは別物。一味違った食感が楽しめます。
 1月から3月の収穫期は生で出荷されますが、茹でて刻んだ冷凍品は周年販売されています。

無謀だったかしら?

2016-08-29 13:29:48 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり


こんにちは〜

百合ヶ丘の隠れ家「たまり」の女将で陶芸家のクメタマリです。

今、この時はドピーカンですが、、、、さっきまで土砂降りでしたね。

変なお天気の今日この頃。

台風来るんですね。

今日は、自家製オイルサーディンに挑戦してます。

キムチみたいにうまくいくかしら?

骨も、頭もついたままっていうのは、ちょっと無謀だった気もする。






エゴマのキムチとゴーヤの梅酢漬け

2016-08-28 11:11:42 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
おはようございます。

百合ヶ丘の隠れ家「たまり」の女将で陶芸家のクメタマリです。

大好きなエゴマのキムチを作りました。

前回松下さんの畑のニラを使ったニラキムチがすごく美味しかったので、今回はエゴマに挑戦。

これでご飯がたまらないんだなあ。

それから、最後になると思うゴーヤの梅酢漬け。今、たまりの定番ですが、これが終わったら終わりかな。

夏も終わりますね。

暑さも、思い出も、グッドラック。

さあ、夜営業始まります。

2016-08-27 17:42:04 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
雨でしたね〜〜

台風の影響?

お昼はどなたもいらっしゃいませんでしたよ。

まるで昨晩と違う。

夜は幾つかご予約も入り、皆様、お待ちいたしておりまする〜

写真はそうめん瓜。

輪切りにして湯がくと、繊維がほろほろと崩れてきて、お蕎麦のようになるのです。

私の育った島根の山奥では、夏よく酢の物で出てきました。

田舎の作物ですかね。美味しいのですが。

味メグリーナ 弁当

2016-08-27 11:55:22 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
先日、よみうりランドと、百合ヶ丘の女性飲食店等経営者の会、「よみ・ゆり女子部」の会合がありました。

実は、來たる10月23日に多摩美の森で行われる、「森展」に出店するための弁当作りの第2回打ち合わせ。

9つに分けられた弁当箱の1つ1つを担当を決めて、仕上げていく。という企画です。

その名も「味メグリーナ弁当」ひとつ食べれば、全店舗の味が味わえる、お得で楽しい企画です。

パッケージも素敵でしょ? これも、メンバーの綾子さんが専門家で作ってくださってます。

本当にすごいな、女子部って。

で、飲みながら、楽しみながらの会合の様子。


サザエのアヒージョ

2016-08-27 10:28:20 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
おはようございます。

百合ヶ丘の隠れ家「たまり」の女将で陶芸家のクメタマリです。

昨夜はカウンターまで席が埋まって超満員でした。

感謝!!

うちはそもそもどうも金曜日が弱い店で、暇なことが多いのですけど、時々、本当に時々忙しいことがあります。

すると、スタッフが、「どうしたんだろう、金曜日なのに。」

っていうんです。

お客さまでも常連様なんか、同様に、あれ?とかおっしゃるので、面白いくらい。

で、昨日のヒットメニュー。

今だけなので、よかったら食べにいらしてくださいね。多分、9月いっぱい。

それは、「サザエのアヒージョ」¥1,000なり。

佐渡から直送のサザエが丸ごと1個入って(もちろん、食べやすく切ってあります)地場の野菜もたっぷり入って、でかいエビも1尾入って、とってもお得で、間違いなく美味しい!

ご賞味あれ。


隠れ家和菜「たまり」は今日から営業です。

2016-08-25 09:29:21 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
おはようございます。

百合ヶ丘の隠れ家「たまり」の女将で陶芸家のクメタマリです。

長らくお休みをいただきましたが、今日から再開です。

小学校も始まっていて、みなさんも日常に帰ったとこでしょうか?

また、どうぞよろしくお願いいたします。

久しぶりに畑に行ってきました。

台風の後で、背の高い植物がなぎ倒されていたりしましたが、いつもの花などとってきました。

魚も届きました。

今日は、焼き魚が充実しているかもしれませんね。

もちろん、お刺身もバッチリです。

皆様のお越しをお待ちいたしております。


本物って、声かけてくるんだよなあ。

2016-08-24 14:45:35 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
類は類を呼ぶっていうけど、、周りには日本酒好きの方々が多く、福島の酒、土産を探していましたのよ。

一応、ピンときたもの、つまり、私に向かってすごく主張して声かけてきたのを選んで、でも、専門家の声も聞こうと思って、、、、

「なんか、オススメの、これ、飲んどいたほうが良いよ、っていうのありますか?」

って尋ねたら、

「いや、猪苗代きたら、その、お客さん選んだの飲んどいてもらったら、もうそれで良いと思いますよ。」

って、答えが返ってきて、ちょっと嬉しかった。

ちゃんと、良い酒からの「俺だよ、俺、ノンどけよ」っていう声を聞き逃さなかったってことだからね。

本物に、声かけられる自分になりたいな。

いや、その声を聞き漏らさないっていうか、自然に、ともに生きていけたらいいんだね。

そうだった、わたしに帰ろう。

2016-08-23 11:19:11 | 陶器ギャラリー・隠れ家和菜 たまり
生まれたとき、私たちは全てを持っていて、生きていくうちにたくさんのものを失って行くって、言いますよね。

覚えていないけれど、幼い頃の私は、自然そのものだったとききます。

手を広げて、空にでも飛んで行きそうだったって。

病気になる前の長男もそうだったよなあ。

私は、あんなふうだったのか。

幼い私は山奥で育って、虫や、蛇や、いろんな動物や鳥やなんかと話が通じていた気もする。

どこで自分を見失ったんだろう。

人って、そうやって、訳のわからない自分を求めて、自分に返っていくのかな。

そもそも、私が見てるこの世界って、私が作り出したバーチャルみたいな気がする。

ゲームしてる子どもに大人は現実を見なさいって言うけど、そんなに違うのかな。

同じ景色でも、人によって見てる景色は全く違う事がよくある。

私に見えるものが隣にいる人には見えなかったり、その人には、私の見えないものが見えていたり。

ものすごくたくさんの生き方があって、それぞれが皆違うものを見てるような気がしてならないのは、私だけだろうか?

今にも空に飛んで行きそうだった私は、それだけで神様に愛されていた気がするなあ。

いっぱいついてしまった甲羅を脱いで、空に浮かぶほどに軽やかになりたい。