寺に居た事がある。
一度は7歳の時で、次はちょうど20年後の27歳の時。
今から思えば、季節も同じ、初めは1月から4月まで。
2回目はもう少し長く。
凍える中で芽を内包しつつ、そうか、私は死者と暮らしていたんだなあと気づく。
幼いころは学校から帰ってくるのが怖かった。
どこを通っても必ず、どこかしら一カ所は墓の横を通らなければ、住まいである寺に帰り着かなかったからだ。
ひとりぼっちの部屋に帰るのがいやで、7歳の私はランドセルをしょったまま友人と遊びほうけている。
やがて、こどもは一人へり、二人帰り、私は結局最後に残される。
夕焼けに燃え立った後のこの世は薄暗く、今にも何か禍々しいものが現れて、地の底に引きずり込まれるのではないかと思われた。
20年後、今度は自分の意志で訪れた広島の山寺は、山のてっぺんの本堂につくまでの参道の両側に延々と墓が続く。
「あの日」原爆で被災した人々が次々と登って来たと言うそこは、死者たちの静かな吐息に満ちていた。
しかし、不思議と恐ろしさを感じなかった。「原爆」という底知れない恐ろしさの現実が、死者がかつてまぎれもなく人間であった事実を思い起こさせ、自分自身に引き寄せて感じたからだと、今では思う。
それから、墓や死者は私にとって忌むものではなくなったように思う。
やがて、私も赴く世界の住人たちに敬意を表する事にしよう。
一度は7歳の時で、次はちょうど20年後の27歳の時。
今から思えば、季節も同じ、初めは1月から4月まで。
2回目はもう少し長く。
凍える中で芽を内包しつつ、そうか、私は死者と暮らしていたんだなあと気づく。
幼いころは学校から帰ってくるのが怖かった。
どこを通っても必ず、どこかしら一カ所は墓の横を通らなければ、住まいである寺に帰り着かなかったからだ。
ひとりぼっちの部屋に帰るのがいやで、7歳の私はランドセルをしょったまま友人と遊びほうけている。
やがて、こどもは一人へり、二人帰り、私は結局最後に残される。
夕焼けに燃え立った後のこの世は薄暗く、今にも何か禍々しいものが現れて、地の底に引きずり込まれるのではないかと思われた。
20年後、今度は自分の意志で訪れた広島の山寺は、山のてっぺんの本堂につくまでの参道の両側に延々と墓が続く。
「あの日」原爆で被災した人々が次々と登って来たと言うそこは、死者たちの静かな吐息に満ちていた。
しかし、不思議と恐ろしさを感じなかった。「原爆」という底知れない恐ろしさの現実が、死者がかつてまぎれもなく人間であった事実を思い起こさせ、自分自身に引き寄せて感じたからだと、今では思う。
それから、墓や死者は私にとって忌むものではなくなったように思う。
やがて、私も赴く世界の住人たちに敬意を表する事にしよう。
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