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乙姫の気まぐれ日記

アメリカのおせち

帰宅

2012年04月14日 20時54分13秒 | 日記

 

今日、四月十五日私達は帰宅した。

高速片側六車線、うちダイヤモンド線と言うのが一車線あって

 これは二人以上同乗した人達への恩恵で混雑している時でもスムースに走れる。

 一人乗りがこのダイヤモンド線を走ると罰金が取られる。

 

私達は当然この車線をひたすら我が家へと走り続ける。

二週間ぶりの我が家はひっそりと出かけた時のまんま綺麗に

待っていてくれた。

この時期の庭だけは葉が茂り、花が咲き日毎に賑やかになっている。

ああ、我が家はやっぱり良いなあ~

お陰様で娘も身体は健康で今は首を動かせないだけのことだから心配はない。

 学校も二ヶ月休めば運転も出来るらしいからホッとする。

 

孫たちがPlease, Please, もう少し居てくれという。

どうして?   手伝いが嫌かって聞いてみた。

そうじゃない、おじいちゃんと、おばあちゃんが居ないと寂しいのだと言う。

 後ろ髪引かれる思いだが、私たちとて一軒家を構えている以上何かと用事が

 

溜まっている。

来週末は長女が行くらしい。

四人もの子育ては本当に大変だと思った時代もあったが成長してみると

良いこともいっぱいある。

この婆ちゃんが頑張らなくても後は若い者同士で何とかやるだろう。

私は浦島殿に宣言した。

ああ、今度は私の時間ですよ。

どうぞ、どうぞ、あんたも良く頑張ったからねと言ってくれたものの、

じゃ、食事は誰が作るんだろう? と内なる心が囁いている。

浦島殿の作れるのは、朝はコーヒーだけ、夜はご飯と味噌汁だけだ。

料理の出来る殿方が羨ましいと罰当たりな事を思ってみましたが

後の祭りです。 うっふふーー

四月半ばと言うのに峠は春の雪が舞っていました。

海抜3200くらいだろうと浦島殿が教えてくれました。

山を降りて田舎に近づきますと、そこにはのどかな春が広がって居ます。

 


ホームシック

2012年04月11日 04時29分29秒 | 日記

 

思いがけないことから急遽ロスに来て十一日になりました。

今回は周りからも頑張り過ぎないようにうるさく言われて来たので加減はして居るつもりが

やっぱり十一日もおさんどんをすると,飽きもするし疲れもする。

幸いな事に娘の体調はいたって元気、内臓と違って首を固定されて居るのが不自由なだけで

バリバリ食べて元気に喋りまくって居る。

私はと言えば里心がついたのか無性にトトロに会いたくて堪らない。

夜中にも何度も起きるようになったのは疲れの証拠、そろそろ潮時だと思っている。

今朝になって、ねえ、帰りたくなったわと浦島殿に言ってみた。

そうだな、あんたも無理は出来ないからと優しいことをいってくれる。

そう言われると安心して後三日くらい居てやろうかなと佛心が囁いた。

外は大雨、雨の音を心地よく聞きながら乙姫は再び安らかな眠りの世界に誘われて行った。

 


ロスに来て一週間

2012年04月07日 06時48分43秒 | 日記

ロスに来て一週間が経ちました。

今朝は土曜日とあって誰も起き出しては来ない。

高校生の孫娘が朝食にホッとケーキを焼いてくれると昨夜に約束してくれたのだが、

彼女が起き出してくるのは十時頃になるだろう。

のんびりとした朝、私も色々と想いを巡らしながらベットに居る。

自分の家では毎日が日曜なのでそれなりの習慣の中で朝は相当早く起きてしまう。

所が此処では楽にしているつもりなのだが、家に居るより疲れるらしく朝も起きられない。

今まで一人で、否これからもずっと一人で頑張って行くであろう娘を少しでも住み心地良くしてやりたい親心が

私を掻き立てる。

キャビネットの中を全部引っ張り出して大掃除、調味料類の小瓶などもぴっかぴっかに拭いてやった。

私には私を守ってくれる千人力の味方が居て何でも手伝ってくれるから出来るのであって一人では

到底出来ない。

娘はシングルマザーの貧乏暮らし、普段でも此処に来るときは自分たちの老後への影響を心配しながらも

心身、経済面からもかなりの覚悟の上でやって来る。

下の孫娘は毎日のランチマネーを使わずに、1ドル札や銀貨を貯めて500ドルのカメラを買ったと喜んで居る

姿を見ると婆の心は押し潰されそうになる。

彼女の机の上には又々重たい程の一ドル紙幣や銀貨がプラスチックの袋に入れて貯めてあった。

次の目標は何なのだろうか。

数居る孫たちの中でこんな暮らしをしているのはここだけなのだが、不思議と明るく素直で優しい。

そんな状態ですから滞在が長引けば長引くほど財布は軽くなる。

親は幾つになっても親馬鹿から抜け出せないのは私だけだろうか。

然し家族とは良くしたもので、長女や長男が私を案じてホテルを予約してやるから息抜きしながら

手伝って来いと電話が入る。  

日本の風呂があってご馳走が付いて、すぐ近くにあるからと魅力的な事を進めてくれる。

だが、ここでも親ばかは治らない、勿体ないわと思ってしまう。

それは行かなくても良いから姉弟で組んで柴犬を買ってくれと頼んだ。

多分1,200ドルはすると言っていたがやっぱり欲しい。

何れ一人になった時の私の伴侶として今から飼って次の家来を作って置きたい下心でもある。

誰かさんが先に逝くと思いきや、案外自分が逝ったのも知らなかったりしてね。

それはそれで最高と言うものです。

なんでしょう、私が書きたいと思っていた思惑とは関係ない変な方向に来てしまって、

娘の貧乏披露でごめんなさいね。

今日は一応止めて置くことにします。

 


驚き

2012年04月04日 08時19分18秒 | 日記

前にも書きましたが乙姫は今ロスの娘宅に来ています。

彼女は高校で生徒の喧嘩の仲裁に入って頚椎を痛めてしまいました。

その結果急遽手術と言う羽目になってしまいました。

即手術をしなければ全身麻痺の障害者になってしまうと言うことです。

喉を切り開き横の方に移動させ、そこから後ろの頚椎をネジで止めその上を金でカバーしたらしい。

かなり難しくその筋のプロフェッショナルが執刀してくれた。

そこまでは驚かないのだが、其の後の治療は殆どが機械、全身は足の先から喉元までチューブだら

けで覆われている。

どう見ても人間らしき格好ではない。

酸素吸入も施されて居たのだが鼻から一寸ずれても機械が喚き出す。

大きな音でビッビッビー、すると看護婦が飛んでくる。

痛め止めだっていちいち看護婦が打ちに来るのでは無い。

痛くなれば病人が傍にあるボタンを押せば自動で決まった量が入る仕組みになっている。

それでいて病人の元気なことと言ったら、看護人の私より元気なのだ。

そして昨日の夕方電話があり、もう退院です、一晩だけの入院だった。

個室に入ってあれだけの設備では一晩だって莫大な費用がかかるから置いてはくれない。

特に娘の場合は其の元気さに病院側も驚いて居たという。

もう、ドクターのやるべきことは終わって後は自然治癒に委ねると言うことらし。

首は動かないようにしっかりと保護はされているが兎に角歩け、歩けの一語に尽きる。

又その病院の大きさと言ったら、爺と婆は病院内で何度も迷ってしまう。

そして帰りは駐車場に帰れなくなり看護婦が送ってくれた。

あなたたちはwest side pa-kingから入ってくるのを私は見てましたよと言って

丁寧にもそこまで送ってくれた。

余程老人に見えたのだろうか、恥ずかしさこの上なし、否、病院が余りにも

馬鹿でかいからだったのだ。

何ともこの婆の付いて行ける時代は遠い昔に去ってしまった感がする。

病院は驚くばかり立派ですが、患者の御馳走と言ったら健康な人でも食べられないようなものでした。


ロスに向かって

2012年04月01日 22時11分20秒 | 日記

今朝、私達は六時半に発って一路ロスに向かって走って来た。

  私の家からロスまでは650キロあると浦島殿が教えてくれる。

  最初は乙姫がハンドルを握る、日曜の早朝とあって車も少ない。

  一直線に果てしなく続く両側の丘は若芽萌え、牛や、羊が

  戯れて牧歌的風景は私達を魅了する。

 決して楽しい事のために出かけたのでは無いのに何故か心は

 静かで穏やかだった。

 二人で色々と話をし、話が途絶えると漢字遊びが始まる。

 この漢字遊びは遠出をする時の私達のパターンのようなものだ。

 スピード130~140キロ、時々バックミラーを覗きポリスを警戒しながらの運転だ。

 その為予定より一時間早く着く、五時間半で着いてしまった。

 孫たちが飛び付いてくる、上は大学生、下が高二、皆私より遥かに大きいというのに。

  娘は意外と元気で安堵する。

 でも、聞いてびっくり、頚椎だから後ろの首を切開すると思っていたら

何か特殊に悪いらしく、喉を開き喉の骨を横にやって何かの骨を足して

 後は金を入れて固定するそうだ。

  おお、今夜は婆が張り切ってご馳走を作ってやった。

 しばらくは食べられない娘の為に。