上の3項目に当てはまらない広告ほどメディアと広告会社は、儲かるのである。(今まではね)
お詫び:昨日のエントリー段階で、高広伯彦氏の苗字の漢字を間違えておりました。お詫びして訂正いたします。ご指摘をいただいたNさんに深謝申し上げます。
日本の広告業界の風雲児「高広伯彦」氏が、日経産業新聞にコラムをもたれていた。本日はその12回目で、この回で終わりであることを、ご自身のblogで発表されている。blogにも書かれているように「広告業界の今後、について、自分なりの考えをコラムに入る文章量で記述」されている。
日経産業新聞は、ビジネスピープルにとって、日本一の新聞である、と私は考えているし、家では日本経済新聞は取っていないが、日経産業新聞は購読している。しかし、多くのこのblogの読者は、そんな新聞があることすら知らないかもしれない。
で、高広氏のコラムも残念ながら印刷した日経産業新聞と縮刷版でしか読むことはできない(日本経済新聞社のいくつかあるデジタルメディアから読むこともできない)。だからといって、今から、駅のキヨスクへ行っても手に入らないだろう(朝行っても、日経産業新聞を置いてあるキヨスクは少ない)
で、件の文章がすばらしい提案をされており、広告にかかわる人たちすべてに読んでいただきたいので、全文をここに打ち込みたい気持ちもあるのだが、ま、それも日本の国内法的にまずいことがあるので、我慢する。
高広氏が提案していることは、広告にかかわる人間に対して「視点を変えよう」ということだと思う。
彼のこれから(只今かも)の広告ビジネスに対する定義は「"メディアビジネス"から"オーディエンスビジネス"へ」それは、「広告主は"枠"を買いたいのではなく"消費者との接触機会"を買いたい」という意味であるという。
"オーディエンスビジネス"の根底にある機能は"シナリオプランニング"にあると彼は言う。メディアプランニングがクロスメディアプランニングと呼び方を変えようとも、彼にとっては「既存のメディアの組合せにすぎない。」と喝破する。そして、「消費者の行動や商品/サービスのベネフィットから広告の企画を考える」と「思わぬものが『メディア』として効果的かもしれないという仮説が生み出される」とつづけている。
確かに、ケータイをトイレに落としてしまった人にとって、防水ケータイは魅力的であろうし、そのため、トイレが防水ケータイの広告メディアとして、価値が出てくるという考え方の流れは大変うなずくところがある。
メーカー側の視点として「SIMカード挿入口のある携帯電話機能付き便座」といった商品企画を立てることも出来るだろう。ちなみに、この便座は毎朝、体温、体重、体脂肪、さらにケツアツを自動で量って健康管理センターのサーバーにデータを送るという機能もつけられる。
ようするに、ユーザー目線(広告的には、ターゲット目線)をどこまで持てるかによって、広告プランニングの優劣が付いてしまうということなのだろう。
そして、高広氏はシナリオプランニング時代のメディア提案は「メディアリミックス(※オリジナルを別バージョンに作り変えるという意味)」の必要性を示す。インターネット時代的の言葉で言えば「マッシュアップ(サンプリングを集合して新たな表現を作り出す)」と言えるだろう。
高広氏は締めとしてこう記する
「結局は広告の企画者、企業の宣伝担当が"新しいメディア"として、これまでの広告媒体と、これからの広告媒体を使えるか否かにかかっている」
しかし、あえて私は言う。
メディアのカンブリア紀的大爆発の現在において、これからの広告媒体を使う努力をするだけで、時間が過ぎ去ってしまうのではないか。これまでの広告媒体とこれからの広告媒体をインテグラルに消化する人は、そうそういないのではないか。
そのあたり、高広さんはどう思っていらっしゃるのでしょうか?