goo blog サービス終了のお知らせ 

説明責任とわ

2010年10月25日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
「説明責任を果たす」って、説明すべき情報のすべてを説明の受け手が知っているときに、その評価ができる。ということは、説明する必要がないので、「説明責任を果たす」行為は全くの時間の浪費行為となります。(だって、説明しなくても知ってるんだもの。)

要するに、「説明責任を果たす」とは、受け手に「こいつは嘘を付いてないだろうなあ」という気にさせる「高度な嘘」技術なんだと、私は思います。

人の行為やその結果を矛盾なく説明することは不可能なので、「嘘のない説明は」無い。仮にそんなものがあったとしたらそれは、「全くの嘘」だと思います。

accountability は元来財政的局面で使われる言葉だったそうで、

account-ability 「勘定出来てる」

要するに計算があってる、程度の感覚でしょうか?

企業のaccountabilityは、基本決算書が「計算合ってる」ことで、責任が果たされるわけで、そうでなければ粉飾となるでしょう。

社会的責任と説明責任を裏表のように捉えるのは違うような気がするのですが

どうでしょう?


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「無罪だ!」の当然の理由 (足オヤジ)
2010-10-29 18:35:03
企業会計論や税務会計論的に言うと、
アカウンタビリティとは、
決められた金の動きを、決められた規則で
公表することを指すと思います。
処理方式によって数字は大幅に変わります。

ホリエモンは、金融ゲームで相当なズルをしたと
特捜が掴み、逮捕はしてみたけど、
この範囲外でズルしてたので、明らかに違法な、
大したことない、言いがかりみたいな
違法行為でしか起訴できず、
当然、ホリエモンも「無罪だ!」という構図では。

政治資金に至っては、お小遣い帳程度の規則しかなく
それをもとに何年も前の帳尻を合わせろと
特捜は元秘書たちに迫っているけど、
本当の問題は政治資金報告書の外にあるので、
特捜は小沢を起訴できず、
小沢も「無罪だ!」という構図では。

元検察官の郷原氏らの著作から得た印象です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。