松下電器PDP工場:世界最大「PDP国内第4工場」

2007年04月14日 | 人生はマーケティングもある。
ここ、阪神間海岸沿い、尼崎市末広町は関西電力尼崎第3発電所があった場所です。今は、阪神高速湾岸線に引っ付くように松下電器の世界最大のPDP工場が出来上がりつつあります。2006年1月10日付けのプレスリリースには、「2007年度7月に第一期の稼動を開始し、2008年度中のフル稼働を予定」とあります。
写真右奥にみえているPanasonicロゴの付いた一回り小ぶりな工場がPD第3工場。2005年9月に稼働が始まったばかりで、まだまだ新しい工場です。

この第4工場は、ご覧の通り何しろ湾岸線に近いですから、基礎工事から、工場の組み上げまで、その過程を見ることができました。
5~6階建ての工場ですが、階と階の間(床の部分ですが)二層になっていて、かつ横に渡したH鋼の間をトラスで補強するという、とてつもなく堅牢な工場になっているようです。ま、ミクロン以下の精度の製品を作るために、それほどの強度が必要なのでしょう。

まもなく、PDP第5工場の建設が始まります。場所は第4工場に隣接といいますので、写真の左か右側、、、と思うでしょう?ところが、そちらは海ですので、多分湾岸線の手前側の広い土地に新しい工場が建設されるのでしょう。

第5工場が出来上がれば、湾岸線は工場と工場の間を抜けていく、という形になるのでしょうね。

我が家のテレビは2011年に買い替えを予定しております。ここで作ったものを買うことになるかもしれません。これぞ、地産地消ですなぁ・・。





甲子園口センター街

2007年04月14日 | 人生は旅である。
西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線(JR神戸線)の甲子園口は、昭和初期に作られた駅だといいます。
近くには、高級住宅街が広がり、駅前は商店街が広がっています。

写真の甲子園口センター街は、今では見ることが少なくなったアーケード付きの商店街です。ここからそう遠くない阪神電車西ノ宮駅南側にも、りっぱなアーケードを持った商店街がありましたが、阪神大震災で商店の多くがつぶれ、残ったアーケードも早々と取り除かれていしまいました。
そういえば、おなじそう遠くない阪急電車西宮北口も震災ですっかり姿を変えてしまいましたね。

駅を中心に二階屋の商店街がひろがり、その先に高級住宅街が広がる。鉄道をベースにした街づくりの形は、阪急沿線にみられる小林一三的近代の都市開発史に残る街と言えます。
まさに、阪神間モダニズムを伝える景色の一つといえましょう。


阪神間モダニズムとは、明治時代後半から太平洋戦争直前の1940年(昭和15年)頃までの期間、阪神間(神戸市東灘区・灘区・芦屋市・宝塚市・西宮市・伊丹市・尼崎市・川西市)を中心とした地区に発達した高級邸宅街を土台に育まれた近代的な芸術文化・生活様式とその時代を指す。(wikipediaから抜粋引用)

大阪中之島:中央公会堂裏の桜

2007年04月09日 | 人生は花が必要。
先週末が関西地方では、今年の桜見の最高の日でしたが。昨晩、さくっと雨が降って明け方の気温が下がったらしく、ここ大阪中之島の桜もまだまだ見ごろです。

花咲き、花散り、新緑萌え、夏盛り、秋には木々色づき、そして冬。

娑婆世界はこうやってぐるんぐるんと輪廻し続けるのです。

Second Life:可能性は無限で、その先に何が待ち受けているかは誰も分からない

2007年04月02日 | 人生はマーケティングもある。
織田浩一氏が米国Virtual Worlds 2007のレポートを上げている

いつもながらに近未来を感じさせる文章である。

そこに書かれている一文を紹介する。
セカンドライフのLinden LabのCEO(最高経営責任者)Philip Rosedale氏のスピーチについての記述。

『最後に、彼の弁護士の友達がインターネットの初期、ブラウザ「Mosaic」を初めて見せられた時のエピソードで話をまとめた。友達は、それを見た瞬間に「これはすごい」と思ったものの、結局弁護士の仕事を辞めて、この業界に入るようなことはしなかったという。そしてその後、「すごいと思ったけど、そのすごさを完全に理解していなかった。想像をはるかに超えているものだったから」とRosedale氏に語ったという。Rosedale氏は、「今の Virtual Worldsも同じで、この業界は生まれたばかりでこれからコミュニケーションやマーケティング、メディアを大きく変革していく。その可能性は無限で、その先に何が待ち受けているかを理解するのは誰もできない」とまとめた。』

私も十年ほど前に、ブラウザ「Mosaic」を初めて見たときに感じたことと同じことを、その弁護士は感じたのだろう。ただ、私はその弁護士ほど洞察力は無かったのだと思う。彼は、自分の洞察力をはるかに超えたものにしり込みしたのだから。
私は、風に吹かれるまま、おっちょこちょいにも、こちら側(mozaic側)に来た。そして、まだまだ、Mosaic側でがんばっていく余地は多いと思っている。ここで、どこまでできるかわからないけど。

今、幸いなことにセカンドライフに出会うことができた。
「これはすごい」
しかし、そのすごさを十分に理解するには私の想像力はとても非力だ。なぜなら、その先に何が待ち受けているかを私は分からないからだ。
ただ、10年後にまちがいなく迎えるだろうセカンドライフ的な世界、そして私の身が滅びた後に間違いなく出現するであろう「Second Life的世界のその先」に対してなにかできることがあるのではないか、と思っている。

私の後輩たちが、私の子供たちが、間違いなくそこで暮らすであろうその地(Second Life)を用意する(買っておく)こと位が私にできることではないかと、そんな風に思い始めている。