慰霊と復興のモニュメントの水の流れが止まる日

2009年01月19日 | 人生は旅である。
「慰霊と復興のモニュメント」は、神戸市役所南側、東遊園地内に阪神淡路大震災の多くの犠牲者への追悼施設として平成12年1月16日に設置されました。

モニュメントの上部からは常に水が流されています。この地下に、6千名を越す犠牲者のうち4千5百名あまりのお名前を刻んだ銘版が壁一面に張り巡らされた「瞑想空間 」があります。

いつもはガラス張りの天井に落ちてくるモニュメントからの水の音に包まれた空間ですが。1月17日には、この水が止められそこには白い菊の花が一面に浮かべられます。

花は、この日いらっしゃった方々が浮かべられるもの。ひとつひとつの花に一人一人の深い思いが込められて、この瞑想空間に降り注いでいます。


[菊の花が浮かべられたモニュメントの池]

[ろうそくの浮かべられた竹筒]


フカヒレ姿煮あんかけ炒飯:北浜北京飯店

2009年01月18日 | 人生は食である。
え~~~、世の中には"なにもそこまでするこたぁねぇだろう"という食べ物というものがいくつかございましてな。

例えば、名古屋に参りますと「小倉トースト」というものがございますな。
厚めにスライスした食パンをトーストした後に、マーガリンまたはバターを塗ってうえに、小倉餡を乗せたものでございます。
まあ、前の日にしこたま、ご酒をいただいた朝の胃袋にはとてもじゃないけど、いただくわけには参りません。
しかし!さくっとしたトーストの歯ざわりと、こってりと甘い小倉餡が口の中一杯に膨らんで、こぅ、なんとも贅沢な食べ物でございます。

カップラーメンにも「ミルクシーフードヌードル」というものがございます。聞く所によると、シーフードヌードルをホットミルクでつくるお方が結構いらっしゃったらしく、それを製品にしたというものだということでございます。
かく言う私メ、ご相伴に預かったことはございませんのですが、牛乳とラーメンとのミスマッチがまことに深い味わいをかもしだしている、ということで、ご好評だということでございます。

さて、本日ご紹介いたしますのは、上方は大阪市、中央区の北浜にございます老舗中華料理屋の北京飯店で最近メニューに加わりました、その名も「フカヒレ姿煮あんかけ炒飯」でございます。

北浜北京飯店のフカヒレについてはこちらのblogにもご紹介がありますように本格的なのに、実にお安い。
で、言うまでも無くこちらの炒飯は、北京仕込みの本格炒飯。お米の一粒一粒がパラパラと、こう、お口の中でラインダンスを踊ります。

それぞれ、とても美味しい物を一つの皿にもってしまう。

まさに"なにもそこまでするこたぁねぇだろう"という品でございます。
でもね、そこのお客さん。いっぺん喰ってみりゃぁわかりますがね。

フカヒレの"ぷりぷり"。炒飯の"ぱらぱら"。あんかけの"と~ろとろ"。こいつらが、口の中で踊り狂うわけでございますよっ。

フカヒレが、ぷ~りぷり。炒飯の飯粒が、ぱ~らぱら、つなぎのあんかけ と~ろとろ。ぷ~ぷりのぱ~らぱら。思わずお酒をぐ~びぐび。レンゲがお皿をちんちろりん。

ぱ~らぱら の と~ろとろ♪
と~ろとろ の ぷ~りぷりっ
♪ぷ~りぷり の ぐ~びぐび。
あいまにレンゲがちんちろりん。

ぱ~らぱら の と~ろとろ♪
と~ろとろ の ぷ~りぷりっ
♪ぷ~りぷり の ぐ~びぐび。
あいまにレンゲがちんちろりん。



「うるさいねぇ。この人は・・・八つあん、なにいってるんだい?」
長屋の壁は薄いから筒抜けです。
「あっ聞えちまったかい。稽古してるんだよ、めしを食う・・・しかし、ありがてぇな」

あれ?落語の"たらちね"になっちまいましたね。これは そそうをいたしました。

いずれにいたしましても、こんな不景気なご時世でございますので、ぜひ一度北京飯店のフカヒレ姿煮あんかけ炒飯を食べに行かれるべきでございますでしょう。

なぜって、

醒めるも妬くも案次第と。

お後がよろしいようで  テケテン


大きくなったドラゴンフルーツ:震災記念日

2009年01月17日 | ドラゴンフルーツを育てる。
リビングの日のあたる場所にほったらかしているドラゴンフルーツ。

気がつけばにょきにょきと枝別れして、ジャングルのようになっています。

ここ、兵庫県阪神地区でも、こうやって冬を越すことができています。

さて今日は、阪神淡路大震災から14年目の日となります。今年も、静かにあの日に思いをはせ、亡くなられた多くの人達への感謝の念を重ねることにいたしましょう。

神戸ハーバーランドの灯台:旧新港第5突堤信号所

2009年01月04日 | 人生は旅である。
あらためましてあけまして、おめでとうございます。

神戸ハーバーランドのはずれにある灯台は、平成2年(ほんの20年弱前)まで、大正10(1921)年からの70年間、神戸港で働いていた灯台だということです。

その間、時代の流れをずっと見つめ続けて、今はMOZAICに来る多くの観光客たちの幸せな笑顔を静かに見守ってくれているようです。

さて、時代は、灯台の無い航海のようになって来ました。

今を生きる私たちが、新たな航路を切り開き、数十年使えるような、新しい灯台を作っていかなければならないと感じています。

そんな、時代を私も生きていけることを、興奮と共に嬉しく思っています。

さて、今年の仕事が始まりますが、慣例やノウハウにこだわらず・頼らず、その先を見つめてがんばっていこうじゃありませんか。

ひきつづき、どうぞ、よろしくお願いします。

御文章五帖目第一通 (通称・末代無智章)に関する一考察

2009年01月03日 | 人生はメンタルだよな
末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。<br>
これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。<br>
かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。<br>
あなかしこ、あなかしこ。<br>

「御文章ひらがな版・拝読のために」から (平成11年発行・本願寺出版社)

末代無智章の大意

末法の世にあって、まことの智慧もなく、在家の生活をしているものたちは、一心に阿弥陀如来をたのみたてまつって、ほかの神や仏に心を向けず、ひたすらみ仏におまかせしなさい。

そのものを、どんなに罪は重くとも、かならず阿弥陀如来はお救いくださいます。

これが第十八願、すなわち念仏往生の願のこころです。

このように信心を決定した後は、寝てもさめても、命のあるかぎりは仏恩報謝の念仏をすべきです。
(五帖第一通)



この御文章は、他の多くの御文章と同じように、二種深信の形をお示しいただいていると理解できるでしょう。

  • ともがら(私たち)は、末代無智の在家止住であること。
  • 阿弥陀如来は、衆生(私たち)を必ず救うということ。


    そこで、

    ”ともがらは、こころをひとつにして”の一言が大変重要な一文になっていると感じます。


    「御文章ひらがな版・拝読のために」
    では、"こころをひとつにして"を"一心に"と現代語訳されています。

    三省堂提供「大辞林 第二版」によりますと
    一心とは、
    (1)二人以上の人が心を一つにすること。
    (2)一つの物事に集中した心。専心。
    とされています。

    (1)の意味で解釈すると、 ともがら(複数のひと)が同じ心を持つこととなり
    (2)の意味で理解すると、現在よく用いられる、私が一つの心に集中することとなります。

    御文章にある"こころを一つにして"は、(1)の意味で理解するべきでありましょう。

    「私たち(ともがら)が、心を一つにして、生きていけよ。」という(1)の意味での、阿弥陀如来からのメッセージ(本願)をしっかりと受けて止めていくことが、真宗門徒の生き様であり、それが教えに基づく社会性の発露であると、私は理解しています。

    小松教区で編集、刊行されました「現代文御文(第五帖)」には、弥陀の本願をこのように味わわれています。
    本願:自分の立場・経験だけでしかものを見ることのできない私たちに、「共に生きる」生き方こそ、私達が求める道であったと、目覚めさせるはたらき。親鸞聖 人は「他力とは如来の本願力なり」といっておられる。

    共に生きるとは、おかげさまの生き様であり、報恩の人生とも言えます。阿弥陀如来の本願に照らされて、平和に(安穏に)生きることができるという、そういった生き方を自分だけでなく、子に、孫にと伝えて生きたいという、ご門徒様方のお気持ち、報恩のお心が、浄土教団の発展につながり、み教えが正しく、広がることで、共に生きる世界がひろがってきていると思います。

    社会制度とか、民族とか、あえて言えば宗教というものを飛び越えて、「共生と報恩」の人生観が広がっていっていただきたいものだと、心から念じております。