Truth Diary

あれから8年

 放送大学、ほとんどの方が帰られたひっそりしたパソコン室でテキストを見ながら演習確認中に突然襲われた。いまだかって経験した事のない激しい揺れ、後ろの書類ケースから本が飛び出し床に散乱する思わずデスクの下に避難して治まるのを待とうとしたが、更に強く揺れ出し蹲ったままで立ちあがれない。
 すぐに1年半前ニュージーランド島のクライストチャーチ地震で煉瓦造りの古い校舎が全壊し日本人留学生が下敷きとなり多くの犠牲者の記憶が蘇つた。
 と言うのは今居る建物は約百年前に東北帝大学理学部校舎として当時としては珍しいレンガ造り(実は鉄筋コンクリートで外装だけ煉瓦だったのだが)で建てられた代物だ。絶対耐え切れるはずはなくレンガに埋もれて死体で発見されるだろう、他所の処と違い教育の場なら一応面目は保たれるだろうと家族の手前姑息な思いが頭をかすめ、こなら安心して死ねると安堵。
 そうだ人の一生にとって死に場所は大事なのだ。死に直面すると過去の事が走馬灯のように一瞬に駆け巡ると言われるが本当だった、幼児時期からのいろんな出来事が鮮明に蘇りもうダメだと覚悟を決めた。

 発災直後多くの方がボランティア活動に走り周り、自分も何かしなければと思ったが腰痛もちの身には被災現場での泥払い清掃は無理と、別の支援を考えていた処、全国からの救援物資が県消防学校体育館に届き、それを発送先別に仕分けする仕事があると教えられ行ったが、段ボール箱を持った途端すぐにギックラ腰を発症して挫折、翌日からベットに横たわり自責の念で窓からの青空を眺め忸怩たる思いで過ごした。
 己の無力さを痛感し何も手につかず書き続けてきたブログを約ひと月書くことも出来なかった。
 復興までは長くかかるから焦らなくてもそのうち被災者に役立つことが出来るだろうと自分を慰め世間から逃れるようにして毎日を過ごした。
 発災時予想したように8年間後の今日までかかっても被災者住宅にお住まいの方がいる。史上最大の災害だったのだと実感する一方、私にとって何を失い何を得たのだろうか。被災者のご冥福を祈るのみ合掌。

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