Truth Diary

中国大陸に供養に

 10月⒖日は生みの父親が70年前中国で戦死した命日だ。14日日本を発ち、大連に来た。
 この頃世情不安でヘタに出歩くとスパイ活動と見做され拘束されかねないので、当時亡くなった湖南省には行けそうもなく、大連にした。此処は伯母や、大叔父などが昔住んでいた処、当時満鉄(南満洲鉄道株式会社、日本の国策会社)という会社に勤めていた大叔父は出世していて、親戚を呼び集め此処で暮らしていたと言う。当時からハイカラな街だったようだが、今も超高層ビルが林立するビル街は中東ドバイと見まごうばかり。
 そんな近代的な街に戦前の日本のような暮らしをしている中国人がいるアンバランス。勿論若い人達はモダンで近代的なファッションだが、老人は昔のままのスタイルだ。ホテル送迎の人いわく、年寄りの中国人は教育を受けていないのでそれが顔に表れていて、顔を見ると同じような顔つきをしていてもも中国人とすぐにわかるとのこと。また、東日本大震災のことをずいぶん聞かれた。あの震度で新幹線は大丈夫だったのか聞かれ仙台駅の駅舎が破損して不通になったが、列車の事故や人的被害は皆無だったと言うと日本の技術は素晴らしいと驚嘆していた。
 大理石をふんだんに使ったホテルは凄く立派できれい、サービスも行き届いておりヨーロッパ並みかそれ以上だ。むやみに出歩くと危険なのでホテルで、室内で遺影写真と日本で書いてきた戒名を飾り、持参したご飯と水をを供え白ワインで遺影に献杯、70年ぶりご無沙汰を詫びグラスを交わした。
 街は黄砂だかPM2.5だか知らないが朝から夕刻まで霞がかかり太陽が見えない。現地の人達はマスクをするでもなく普通に暮らしているようだが、日本の高度成長期を思わせて危険を感じる。空港とホテルを送迎してくれる人に訪中の理由を話したら、歴史を勉強しているとかで日本の軍隊のことも詳しく帰りの時に「軍隊手帳」の実物を見せtくれた。


超近代的なビルが林立するが少し離れると霧にかすんで良く見えない

ご飯と水を供えホテルのワインで献杯した。生きていたら来たかったろう曾祖父の写真も同行した

 


血痕もていた軍隊手帳、戦地で肌身離さず持ち歩いた貴重なもの、どんな人が所持して、中国人の手に渡った経緯は分からない。


後方は元満鉄大連駅?、タクシーが交錯し、戦前のらしき汚く古い路面電車と近代的ヨーロッパ風電車が同じ軌道に行き交い、バス停が真向いにあるホテルの前で

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