丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

国語の授業

2010年11月17日 | 個人史
再び、個人史に戻ります。

高校紛争の後、変わった事と言えば、国語の授業で合議制になったこと。

生徒の発言が活発になって、授業の幅が広がった。
たとえば、単元を生徒が分担しての発表形式になったりとか。
まあ、個人よがりの偏ったものになる傾向もなきにしもあらずだったが、自ら考えるという傾向は増えていった。

O・ヘンリーの短編があったとき、指示語が意味する内容が不明で、文脈解釈に違いが出た時は、原文を調べてきて、それで内容を理解するという、お仕着せでない勉強をしたり。

定期テストでは長文問題で必ず過去の大学入試問題を扱ったが、当然解答もついてはいるのだが、誤答とされた自分の解答でも、みんなが納得できるように説明できれば、その結果○になることもある。
議論の結果、正解とされている解答が、実は文章の読みが浅くて、これでは正解とは思えないという結論に達する事も。

定期テストではテスト返しの日が面白かった。
このおかげで、けっこう文章理解力が付いたような気がする。

ちなみに、ケンケンガクガクを戦わせて、解答とされた答が誤りだという結論になった問題が、予備校でそのまま出されて、学生講師が何の意識もなく解答集の答を正解としていて、この講師は当てにならないと思ったり。ちなみにこの予備校の国語講師は漢字も正しく書けない、理解していない事が明らかになったりもしたが。