丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

紀行文「奥の舗装道」第4章

2010年11月25日 | 個人史
第4章 明日こそ別れを告げよ

『どこに人々帰るやら 街はざわめく夕間暮れ……(以下略)』
                     (赤い鳥「人生」)


12日朝、やはり雨。若い者が朝っぱらから旅館に閉じこもったまま。仕方がないと言えば仕方がない。
部屋で炬燵にあたってゲームに花が咲く。バンカーズ、プレイング・カード、フラワーカード、その他あれこれ。
おかげでこの旅行のために買ったばかりのトランプがぼろぼろになる。少し荒っぽいゲームをしすぎた。もったいないかぎりである。

今までの修学旅行が駆け足旅行だったという事で、同じ旅館で2泊しようという改善案の一部が認められて、この旅館だけ2泊ということになったが、雨のため裏目に出たようである。

それでも午後、小降りになったため、希望者だけ五色沼見物。残ってもしょうがないから外に出る。
五色沼は熔岩が流れ込んで水がいろんな色になったという。とは言っても僕自身そんな違いはわからなかった。また、雨のため色がかすむのかもしれない。


  ”紅葉の 涙に濡れる 五色沼”


晴れていればきれいなのだろう。そう思い込む事にする。
笠野列が続く写真が撮れない。時実際の話、写した写真に1枚、傘の陰が写っていた。

五色沼を過ぎてバス停。バスを待つ間、向かいのそば屋でソバを食べる。
高一の白樺湖旅行に行くまではざるそば以外蕎麦を食べた事がなかったのだが、帰りの汽車の途中停車した駅のホームで食べた初めてのソバがなんとなく気に入る。今ではうどんよえいソバの方をよく食べているみたいである。

さて、旅館に帰ればまたゲームである。
この日は予定ではボン・ファイヤーをすることになっていたのであるが、なにぶんにも雨ではしょうがない。その替わりに大広間で演芸会を行う事になる。
それで班ごとに何かするようになっていたが、僕の版では、最初北上夜曲を歌う事になっていたのだが誰もやる気がない。どうしようかと思う間に夜となる。こうなればF君に落語をやってもらおうかと思いきや、そのF君は演芸会に姿を見せない。後で聞けば、ぐっすり眠っていたそうな。

とにかく困っている時、U君が詩を朗読すると言ってくれた。それでバックで僕がギターで伴奏を入れて、なんとか顔を立てる。バックに流した曲はフォーセインツの「小さな日記」とザ・ムッシュの「坊やの絵」。すんでしまえば後はすっきりしたもの。
ふだんなら白けるような事ばかりだったが、結構楽しく過ごせた。

明けて13日朝、旅館を出る。
もう一週間もここにいたような気分。そして、これからまだ旅行が残っているのかと思えば、何となく憂鬱になる。また一つ街を離れていく。

もうここには帰ってこないかもしれない。バスはスカイラインを走る。霧でいっぱいの道を。行き先が見えないのは、何も道ばかりではないのかもしれない。


  ”磐梯を 過ぎてこの道 霧の中”


『住み慣れたこの街に汽笛がひびく……(以下略))』
     (ザ・ムッシュ「明日こそ別れを告げよ」)