日本一の大仏さまを拝み、いよいよ、奥の院へ向かいます。
御影石に残した足跡はまだ4分の1位、大仏前参道を大仏口管理事務所方向へ向かうと弘法大師護魔窟(こうぼうだいし・ごまくつ)へ登る階段です。ここから千五百羅漢道が始まります。
一方、大仏広場売店横から大仏前参道をスキップして座禅岩へ直行する階段を登り二天門を経て、西国観音を巡り山頂展望台へ。そこで地獄のぞきをして、百尺観音まで一気に降りるでしょう。ここまでくると散策の疲れがドォ~ッと噴出し、北口管理事務所からロープウエイで浜金谷へ。我が家が懐かしくなります。
地獄のぞきをして、百尺観音まで一気に降りるでしょう。
でしょう、
と書いたのは、7月8日に元気印の仲間4人が散策したのは逆コースだったからです。
そうなんです。JR浜金谷駅から鋸山ロープウエイを利用して北口管理事務所で拝観料を払い、その2、その1を巡っているからです。
『講釈師見てきたような・・・ですか。でも、参拝の作法通りに巡っていますね』
ボケ封じ観音さまの助け舟に乗っちゃおう。
『人さまの情けの有難味を味わえないようでは、元気印の立つ瀬がないですね。ついでだから、阿羅漢(あらかん)の話もします』
『誰からも尊敬されるべき修行者が羅漢さまで、尊敬や施しを受けるに相応しい功徳を積んでいる。仏陀の尊称にもなっているんでしょう』
にわか仕込みの豆知識で、元気印はボケ封じ観音さまの話の腰を折る。
『羅漢は阿羅漢の略称ですね。仏法を護持するために貢献したお釈迦さまの弟子16人を十六羅漢として尊崇しています。五百羅漢は、各寺に散在している膨大な仏典を整理・整頓して宗派共通の経典を編集するために集まった弟子500人に敬意を表したものです。宗派の標準経典を造ったのです』
『そうだったのか。だから、五百羅漢図には、お釈迦さまの弟子が修行する姿が描かれているんだ』
日本寺の奥の院には、弘法大師護摩窟、維摩窟、奥の院無漏窟(むりょうくつ)、日牌堂(にっぱいどう)、百躰観音(写真は1部分)、あせかき不動、西国観音があります。ここを巡る参道がアップ・ダウンの激しい御影石階段のある千五百羅漢道です。
2,639段の御影石の3分の2はこの参道にありそうです。実測していないので断言できません。
大仏広場から座禅石に登る近道を前に紹介しましたが、近道参道にある階段も含んでいますので、御影石2,639段全部に足跡を印すのは一仕事になります。元気印は途中で引き返しました。
兎に角、参道の階段を駆け上がります。
千五百羅漢道の中間あたりが日牌堂です。石仏を刻んだ27人の門弟を21年間指揮して、千五百五十三体の羅漢を刻んだ石工の棟梁・大野甚五郎英令を祀った洞窟が隣にあります。案内図では甚五郎の墓と表記されています。江戸蔵前の大口屋平兵衛が寄進した宝筐印塔(ほうきょういんとう)が苔むして建っているので、直ぐ判ります。
旗本が寄進した源氏不動の板碑(いたび)、蔵前の札差(ふださし)が寄進した宝筐印塔を見ていると、江戸時代に生きる人が持っていた信仰の篤さを感じます。古刹(こさつ)としての日本寺が本領を発揮しています。
話は、羅漢の石像数に移ります。
羅漢が五百体祀られている寺院は、五百羅漢寺(東京都)など、国内に結構あります。千二百羅漢の寺と別名のある愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ:京都府)の羅漢は、参拝者が自分で彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』運動により、平成5(1993)年に千二百体に達したものです。
日本寺の洞窟に安置されている羅漢の容貌は修行僧(写真)、観音像を連想させます。地蔵に似た羅漢を探すのに苦労する位です。同じ時期に、同一石工が一人の門頭の下で彫った羅漢像とは性格が違います。千五百羅漢には、大野甚五郎英令の思想・意図が隠されています。しかし、信仰心の篤さは共通していますので、千五百一体になる日を待ちましょう。
日本寺の案内書には中華民国にある八百羅漢との比較が書かれています。
懐安大中寺(かいあんだいちゅうじ)の八百羅漢を凌ぎ、世界一の羅漢霊場として知られている、と。
日本寺の千五百羅漢を巡る散策は、世界一の羅漢霊場の巡礼でもあったのです。
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『親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ。知っていますね。北栄山・羅漢寺(兵庫県)に祀られている四百五十体の羅漢には、親や知人、自分自身に似た顔を持つ羅漢さまが必ずいる、と昔から謳われています。元気印はお逢いしましたか』
『ふっくらとした丸顔で、つぶらな瞳を細くして微笑んでいた。サッチョン(札幌のチョンガー:独身者)を卒業した頃の雰囲気に包まれた羅漢さま。石像の丈40~50cm位、法衣を纏って座っていました』
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『それは結構なことです。阿羅漢は仏になれないから天国へ行けないし、地獄へも堕ちられない。地獄へ堕ちない者は再び仏の教えにで逢うことがないから成仏することはないのです。
阿羅漢は、現世に対して執着を絶っているので、自己中心的である、仏の教えから外れていると見做されています。
仏法の理法を悟るには、師について修行をします。それをせずに仲間を作って修行する、または、それも拒否して独りで仏道を悟る修行があって、独覚(どくがく)と言っています。
独覚も羅漢と同じ宿命を与えられています。だから、日本寺で幸せに包まれた羅漢さまにお逢いできた元気印は満足したでしょう。大変結構なことです』
大黒さまの色に話は飛びます。
大黒堂に祀られている大黒さまは、藍色をしていた(小さなガラス窓を通した拝謁だったので、印象判断です)。日本寺のご本尊は薬師瑠璃光如来でした。病気の平癒(へいゆ)を司るお釈迦さまで、藍色=瑠璃色をしています。
弘法大師は、瑠璃光如来にあやかって、一夜で彫刻した大黒さまを瑠璃色にしたのだろ。
没後、生前の事績を高く評価した醍醐天皇(だいごてんのう)から空海の諡号(しごう)を贈られた弘法大師といえども、薬師如来に仕える修行者であった。元気印にとっては大発見です。
『いいところに気がつきました。透明な瑠璃を清浄(しょうじょう)、そして、薬師如来の仏国土を仏教では浄瑠璃(じょうるり)と云います。ツタンカーメン王のマスクの装飾に使われている、濃い青色をした宝石がラピスラズリ。和名で瑠璃ですね。薬師如来が司っている仏の世界は深い青色に覆われているのです』
ボケ封じ観音さまは、瑠璃色の光を浴びてボケ防止をしているのだろう。
元気印もあやかりたい。
ボケ封じ観音さまの呟きか聴こえてきた。
『御影石の階段踏破は、何時やるのですか
。5分の1は残っていますよ』
御影石に残した足跡はまだ4分の1位、大仏前参道を大仏口管理事務所方向へ向かうと弘法大師護魔窟(こうぼうだいし・ごまくつ)へ登る階段です。ここから千五百羅漢道が始まります。
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一方、大仏広場売店横から大仏前参道をスキップして座禅岩へ直行する階段を登り二天門を経て、西国観音を巡り山頂展望台へ。そこで地獄のぞきをして、百尺観音まで一気に降りるでしょう。ここまでくると散策の疲れがドォ~ッと噴出し、北口管理事務所からロープウエイで浜金谷へ。我が家が懐かしくなります。
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地獄のぞきをして、百尺観音まで一気に降りるでしょう。
でしょう、
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そうなんです。JR浜金谷駅から鋸山ロープウエイを利用して北口管理事務所で拝観料を払い、その2、その1を巡っているからです。
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『講釈師見てきたような・・・ですか。でも、参拝の作法通りに巡っていますね』
ボケ封じ観音さまの助け舟に乗っちゃおう。
『人さまの情けの有難味を味わえないようでは、元気印の立つ瀬がないですね。ついでだから、阿羅漢(あらかん)の話もします』
『誰からも尊敬されるべき修行者が羅漢さまで、尊敬や施しを受けるに相応しい功徳を積んでいる。仏陀の尊称にもなっているんでしょう』
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にわか仕込みの豆知識で、元気印はボケ封じ観音さまの話の腰を折る。
『羅漢は阿羅漢の略称ですね。仏法を護持するために貢献したお釈迦さまの弟子16人を十六羅漢として尊崇しています。五百羅漢は、各寺に散在している膨大な仏典を整理・整頓して宗派共通の経典を編集するために集まった弟子500人に敬意を表したものです。宗派の標準経典を造ったのです』
『そうだったのか。だから、五百羅漢図には、お釈迦さまの弟子が修行する姿が描かれているんだ』
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日本寺の奥の院には、弘法大師護摩窟、維摩窟、奥の院無漏窟(むりょうくつ)、日牌堂(にっぱいどう)、百躰観音(写真は1部分)、あせかき不動、西国観音があります。ここを巡る参道がアップ・ダウンの激しい御影石階段のある千五百羅漢道です。
2,639段の御影石の3分の2はこの参道にありそうです。実測していないので断言できません。
大仏広場から座禅石に登る近道を前に紹介しましたが、近道参道にある階段も含んでいますので、御影石2,639段全部に足跡を印すのは一仕事になります。元気印は途中で引き返しました。
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兎に角、参道の階段を駆け上がります。
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旗本が寄進した源氏不動の板碑(いたび)、蔵前の札差(ふださし)が寄進した宝筐印塔を見ていると、江戸時代に生きる人が持っていた信仰の篤さを感じます。古刹(こさつ)としての日本寺が本領を発揮しています。
話は、羅漢の石像数に移ります。
羅漢が五百体祀られている寺院は、五百羅漢寺(東京都)など、国内に結構あります。千二百羅漢の寺と別名のある愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ:京都府)の羅漢は、参拝者が自分で彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』運動により、平成5(1993)年に千二百体に達したものです。
日本寺の洞窟に安置されている羅漢の容貌は修行僧(写真)、観音像を連想させます。地蔵に似た羅漢を探すのに苦労する位です。同じ時期に、同一石工が一人の門頭の下で彫った羅漢像とは性格が違います。千五百羅漢には、大野甚五郎英令の思想・意図が隠されています。しかし、信仰心の篤さは共通していますので、千五百一体になる日を待ちましょう。
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日本寺の案内書には中華民国にある八百羅漢との比較が書かれています。
懐安大中寺(かいあんだいちゅうじ)の八百羅漢を凌ぎ、世界一の羅漢霊場として知られている、と。
日本寺の千五百羅漢を巡る散策は、世界一の羅漢霊場の巡礼でもあったのです。
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『ふっくらとした丸顔で、つぶらな瞳を細くして微笑んでいた。サッチョン(札幌のチョンガー:独身者)を卒業した頃の雰囲気に包まれた羅漢さま。石像の丈40~50cm位、法衣を纏って座っていました』
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『それは結構なことです。阿羅漢は仏になれないから天国へ行けないし、地獄へも堕ちられない。地獄へ堕ちない者は再び仏の教えにで逢うことがないから成仏することはないのです。
阿羅漢は、現世に対して執着を絶っているので、自己中心的である、仏の教えから外れていると見做されています。
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仏法の理法を悟るには、師について修行をします。それをせずに仲間を作って修行する、または、それも拒否して独りで仏道を悟る修行があって、独覚(どくがく)と言っています。
独覚も羅漢と同じ宿命を与えられています。だから、日本寺で幸せに包まれた羅漢さまにお逢いできた元気印は満足したでしょう。大変結構なことです』
大黒さまの色に話は飛びます。
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大黒堂に祀られている大黒さまは、藍色をしていた(小さなガラス窓を通した拝謁だったので、印象判断です)。日本寺のご本尊は薬師瑠璃光如来でした。病気の平癒(へいゆ)を司るお釈迦さまで、藍色=瑠璃色をしています。
弘法大師は、瑠璃光如来にあやかって、一夜で彫刻した大黒さまを瑠璃色にしたのだろ。
没後、生前の事績を高く評価した醍醐天皇(だいごてんのう)から空海の諡号(しごう)を贈られた弘法大師といえども、薬師如来に仕える修行者であった。元気印にとっては大発見です。
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ボケ封じ観音さまは、瑠璃色の光を浴びてボケ防止をしているのだろう。
元気印もあやかりたい。
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ボケ封じ観音さまの呟きか聴こえてきた。
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