日本寺参拝のスタートになるのが、日本寺・奥の院にある百尺観音(写真)で、多くの参拝者が巡っています。
ロープウエイの鋸山山頂駅を降り、山頂で360度の展望を堪能してから西口管理事務所で拝観料を払い境内に入ります。
ここから参道は①十州一展望台②百尺観音③千五百羅漢道へ至る3方向に分かれ、真ん中に伸びている②の御影石階段を上り詰めると百尺観音前の広場です。
一方、鋸山裏登山道を使うと北口管理事務所を経て広場へ辿り着きます。
広場から見上げる地獄のぞきの突起、断壁から突き出た房州石の片持梁に乗ると根元からポッキリ折れそうに見えます。
百尺観音の立像は百尺(30.1m)。では、石窟の大きさは? 元気印の情報収集アンテナから探索電波を発信しました。
昔、鋸山は房州石の産地で石切場でした。百尺観音が安置されている石窟は、石を切り出してできた石窟跡です。
そして、百尺観音の建立は日本寺二十世:良碩祖関和尚(先々代住職)の発願(ほつがん)で始まり、同二十一世:宏嶺徳禅和尚(先代住職)の時に完成しました。八柳恭次(二期会審査員)が昭和35(1960)年春に起工し7年後の春に完成させました。
さらに、祖関和尚は、大東亜戦争の犠牲者供養を祈願する思いが強く、世界平和の到来を百尺観音に発願した。そんな折、海難事故、航空機墜落事故が相次いで起こり、航空・航海・陸上交通の安全を併願して百尺観音を建立しています。
しかし、残念ではありますが、房州石を切り出した石切場の跡なので、石窟の幅、奥行き、高さを実測しておらず、その記録もありません。
石窟の大きさに関する探索発信への返信には、百尺観音にまつわることが述べられていました。
房州石を切り出した石窟の背壁に立像を浮き彫りしたのが百尺観音。観音立像を彫るために石窟を掘ったのではなかった。放置しておけばただの石窟を有効に活用した。投資額に対する費用効果を考えると、祖関和尚のアイデアは抜群です。
薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)の背丈は31.05m(9丈2尺)ですから、30.3m(100尺)の百尺観音は及びません。薬師瑠璃光如来が日本一の大仏たる所以です。
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参拝スタートを仁王門にすると百尺観音がゴールです。JRによる日本寺への交通アクセスでは、ロープウエイを利用する参拝が最適です。日本寺・奥の院にある百尺観音にご対面をしてから地獄のぞきをする。
そして、日本寺にある日本一その3、2,1の順に巡る。その1からの参拝は体力に自信のある方は一度試される事をお勧めします。この参道は静寂に包まれ、古刹(こさつ)の佇まいがあります。
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ロープウエイの鋸山山頂駅を降り、山頂で360度の展望を堪能してから西口管理事務所で拝観料を払い境内に入ります。
ここから参道は①十州一展望台②百尺観音③千五百羅漢道へ至る3方向に分かれ、真ん中に伸びている②の御影石階段を上り詰めると百尺観音前の広場です。
一方、鋸山裏登山道を使うと北口管理事務所を経て広場へ辿り着きます。
広場から見上げる地獄のぞきの突起、断壁から突き出た房州石の片持梁に乗ると根元からポッキリ折れそうに見えます。
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百尺観音の立像は百尺(30.1m)。では、石窟の大きさは? 元気印の情報収集アンテナから探索電波を発信しました。
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昔、鋸山は房州石の産地で石切場でした。百尺観音が安置されている石窟は、石を切り出してできた石窟跡です。
そして、百尺観音の建立は日本寺二十世:良碩祖関和尚(先々代住職)の発願(ほつがん)で始まり、同二十一世:宏嶺徳禅和尚(先代住職)の時に完成しました。八柳恭次(二期会審査員)が昭和35(1960)年春に起工し7年後の春に完成させました。
さらに、祖関和尚は、大東亜戦争の犠牲者供養を祈願する思いが強く、世界平和の到来を百尺観音に発願した。そんな折、海難事故、航空機墜落事故が相次いで起こり、航空・航海・陸上交通の安全を併願して百尺観音を建立しています。
しかし、残念ではありますが、房州石を切り出した石切場の跡なので、石窟の幅、奥行き、高さを実測しておらず、その記録もありません。
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石窟の大きさに関する探索発信への返信には、百尺観音にまつわることが述べられていました。
房州石を切り出した石窟の背壁に立像を浮き彫りしたのが百尺観音。観音立像を彫るために石窟を掘ったのではなかった。放置しておけばただの石窟を有効に活用した。投資額に対する費用効果を考えると、祖関和尚のアイデアは抜群です。
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薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)の背丈は31.05m(9丈2尺)ですから、30.3m(100尺)の百尺観音は及びません。薬師瑠璃光如来が日本一の大仏たる所以です。
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参拝スタートを仁王門にすると百尺観音がゴールです。JRによる日本寺への交通アクセスでは、ロープウエイを利用する参拝が最適です。日本寺・奥の院にある百尺観音にご対面をしてから地獄のぞきをする。
そして、日本寺にある日本一その3、2,1の順に巡る。その1からの参拝は体力に自信のある方は一度試される事をお勧めします。この参道は静寂に包まれ、古刹(こさつ)の佇まいがあります。
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