鋸山山頂の展望を満喫してカメラのシャッターを切っていると現役の仲間が戻ってきた。
「写真を撮って、早く」
百尺観音参道入り口へ急いで行くようにと、元気印シニアを催促する。
「うわあ~、きれい。
なんという蝶だろう」。
シニア姉さんの歓声が聞こえ、彼女の右手人指し指の先に野草にとまったアキザマダラが見える。
羽根を開いて休んでいた。元気印がそこへ着くと羽根を閉じてしまった(写真:蝶の名は帰宅後に調べる)。
羽根を広げた姿を撮りたくて、羽根を広げるように触れても逃げようとしない。家庭菜園の野菜に集まるモンシロチョウは近寄ると直ぐに飛び去ってしまう。警戒心がなく元気印の気配を殺して休んでいる。
鋸山で修行をして悟りを開いているから、元気印を羅漢と見做し相手にしないのだろうか。
それにしても、肝の据わったアキザマダラなんだろう、と感心しながら羽根を広げるチャンスを待つ羅漢もどき元気印。そんな気持ちを察知した仲間3人は、シャッターチャンスを狙うカメラマンは羅漢と同じ性格をしているのだろうと、思いを巡らしながら百尺観音への参道を下りて行く。撮影好き羅漢であれば、誰もがお気に入りの写真を撮ることに没頭してしまうのに。
しかし、今日は日本寺散策実踏の真っ最中です。羽根を8割程度開いたアキザマダラを撮り終えると、仲間の後を追ったのです。他の羅漢はもう少し、2~5枚ゲットするまで粘るだろう、と、後ろ髪を引かれながら。
『紫色の桔梗が咲いていましたね。紫に混じって白い桔梗が一輪咲いている、薬師本堂跡を巡る参道あたりに。昭和14(1939)年11月14日、そこにあった薬師本堂を含め、僅かに残っていた建物と貴重な下賜品、仏像などの寺宝を火災で焼失しました。その日は※千葉県の座禅会が行われました。その時の火の不始末が原因の火事でしたから、県は復旧計画を決めましたが、日中戦争の影響を受けて挫折してしまいます。そんな逆境にも負けず、境内の桔梗は、清楚な気品を備えて昔と変わらない花を咲かせているでしょう』(※失火原因は登山者の不始末とする話もあります)。
『それ以前にも、不運に見舞われています』
『そうでしたね。日本寺の堂塔、伽藍も度重なる合戦の兵火で衰微しました。それを、源頼朝、足利尊氏は修復していますが、時の流れには逆らえませんでした。修復された後も荒廃は進行していました。明治維新が行った廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)で致命的な打撃を受けたのです』
『そんな日本寺の惨状を嘆いた人物がひとり現れた。たしか、ごとう・・?』
『後藤新平男爵でした。全国の有志に呼びかけ60万円の設計書を完成しています。大正時代ですから、現在の6億円に相当する復興計画です。この計画は男爵の逝去[昭和4(1929)年4月13日]により実現しませんでした』。
(鋸南町史通史偏・改訂版)
歴史に“もし”はありませんが、後藤新平のような気宇壮大な人物を失わなければ、また、日中戦争が勃発していなければ、鋸山の風景は一変していたでしょう。
時代の荒波にもみくちゃに揉まれながらも、日本寺の仏像達は生き残ってきました。
桔梗とアキザマダラは、風雨の激しい台風に襲われても黙々と耐え続けます。
そして、明日も明後日も、桔梗は日本寺境内に咲き、アキザマダラは鋸山を自由自在に舞います。
日本寺の完全復興を薬師瑠璃光如来、百尺観音、千五百羅漢に発願して。
『お疲れさま。散策実踏後にメール送信した写真、仲間みんなが喜んでいましたね』
ボケ封じ観音さまの励ましだ。元気印のやる気が出てくる。
「写真を撮って、早く」
百尺観音参道入り口へ急いで行くようにと、元気印シニアを催促する。
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「うわあ~、きれい。
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シニア姉さんの歓声が聞こえ、彼女の右手人指し指の先に野草にとまったアキザマダラが見える。
羽根を開いて休んでいた。元気印がそこへ着くと羽根を閉じてしまった(写真:蝶の名は帰宅後に調べる)。
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羽根を広げた姿を撮りたくて、羽根を広げるように触れても逃げようとしない。家庭菜園の野菜に集まるモンシロチョウは近寄ると直ぐに飛び去ってしまう。警戒心がなく元気印の気配を殺して休んでいる。
鋸山で修行をして悟りを開いているから、元気印を羅漢と見做し相手にしないのだろうか。
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それにしても、肝の据わったアキザマダラなんだろう、と感心しながら羽根を広げるチャンスを待つ羅漢もどき元気印。そんな気持ちを察知した仲間3人は、シャッターチャンスを狙うカメラマンは羅漢と同じ性格をしているのだろうと、思いを巡らしながら百尺観音への参道を下りて行く。撮影好き羅漢であれば、誰もがお気に入りの写真を撮ることに没頭してしまうのに。
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しかし、今日は日本寺散策実踏の真っ最中です。羽根を8割程度開いたアキザマダラを撮り終えると、仲間の後を追ったのです。他の羅漢はもう少し、2~5枚ゲットするまで粘るだろう、と、後ろ髪を引かれながら。
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『紫色の桔梗が咲いていましたね。紫に混じって白い桔梗が一輪咲いている、薬師本堂跡を巡る参道あたりに。昭和14(1939)年11月14日、そこにあった薬師本堂を含め、僅かに残っていた建物と貴重な下賜品、仏像などの寺宝を火災で焼失しました。その日は※千葉県の座禅会が行われました。その時の火の不始末が原因の火事でしたから、県は復旧計画を決めましたが、日中戦争の影響を受けて挫折してしまいます。そんな逆境にも負けず、境内の桔梗は、清楚な気品を備えて昔と変わらない花を咲かせているでしょう』(※失火原因は登山者の不始末とする話もあります)。
『それ以前にも、不運に見舞われています』
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『そうでしたね。日本寺の堂塔、伽藍も度重なる合戦の兵火で衰微しました。それを、源頼朝、足利尊氏は修復していますが、時の流れには逆らえませんでした。修復された後も荒廃は進行していました。明治維新が行った廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)で致命的な打撃を受けたのです』
『そんな日本寺の惨状を嘆いた人物がひとり現れた。たしか、ごとう・・?』
『後藤新平男爵でした。全国の有志に呼びかけ60万円の設計書を完成しています。大正時代ですから、現在の6億円に相当する復興計画です。この計画は男爵の逝去[昭和4(1929)年4月13日]により実現しませんでした』。
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歴史に“もし”はありませんが、後藤新平のような気宇壮大な人物を失わなければ、また、日中戦争が勃発していなければ、鋸山の風景は一変していたでしょう。
時代の荒波にもみくちゃに揉まれながらも、日本寺の仏像達は生き残ってきました。
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桔梗とアキザマダラは、風雨の激しい台風に襲われても黙々と耐え続けます。
そして、明日も明後日も、桔梗は日本寺境内に咲き、アキザマダラは鋸山を自由自在に舞います。
日本寺の完全復興を薬師瑠璃光如来、百尺観音、千五百羅漢に発願して。
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『お疲れさま。散策実踏後にメール送信した写真、仲間みんなが喜んでいましたね』
ボケ封じ観音さまの励ましだ。元気印のやる気が出てくる。
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