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フトシ(写真)は、ボルネオ島の低地部に生息しているボルネオ・オランウータンの仲間です。
スマトラ島に生息するスマトラ・オランウータンは、フトシに比べて細長い顔で、長い体毛の色が淡いようです。
オランウータンが生息しているのは、このふたつの島だけです。
太い腕に顎をのせて見学者を眺めて楽しむフトシの立派なチークパットと金網を握っているごつい指。
フトシは、丸いオランウータン舎内を一周してくると、このようにして見学者を眺め、次の場所へ移動して再び人間観察を始めます。
フトシは、横浜市野毛山動物園に産まれて直ぐにここへ来たと前回書きましたが、ジャワとハナコとのペアリングで昭和63
(1988)年2月9日に産まれ、平成3(1991)年4月9日に長崎鼻パーキングガーデン(鹿児島県指宿市)へ移ってから千葉へ移住しています。
フトシの父ジャワは日本モンキーセンター(愛知県犬山市)、母ハナコはフエニックス自然動物園(宮崎県宮崎市)から野毛山動物園へ移りペアリングしていたのです。
「フトシ君は、人工哺育で大切に育てられたせいか、少々わがままで、やんちゃで、大のいたずら好き。チンパンジーの調教ではベテランの係員も、ややもてあまし気味です」
フトシの経歴を当たっていると、3歳当時の彼に出会いました。
長崎鼻パーキングガーデンを紹介した記事の「おもしろ動物百科」で、秘蔵っ子、オランウータンのフトシ君として写真入りで取り上げられていたのです。
「来園3カ月で早くも簡単な芸はこなすようになり、平成4年1月1日には記念すべき動物ショーの初舞台を踏みました。その芸風は、普段のフトシ君とはちがって沈着、冷静、そしてマイペースで、目下、人気をひとりじめしているところです」(全国動物園・水族館ガイド)。
帽子をかぶって、大きな口を開けているフトシには、チークパットはありません。
このガイドで紹介されている千葉市動物公園のアイドルはハシビロコウであったことは、その6(3月9日)に書きました。
ところで、霊長類に属しているサル類の分布は、南米に住む新世界ザル、ユーラシア大陸とアフリカにすむ旧世界ザル、マダガスカルに住む原猿ですが、オーストラリア、ニューギニア、北米大陸、ヨーロッパには分布していないのです(白輪剛史著:動物の値段)。ところが、ヒトだけは、地球上の何処にでも分布している霊長類です。
また、オランウータンが霊長類に属する類人猿の仲間であることは、ご存知と思います。
原猿から類人猿へ、類人猿から人へと霊長類は進化してきましたが、類縁的な距離が人に近いのはチンパンジーやゴリラで、オランウータンは遠いんです(動物大百科第3巻霊長類:平凡社)。
とはいっても、オランウータンは、臆病で用心深い「森のヒト」と呼ばれています。
ここでは、サル類の分類は省略しますが、これまでに書いてきたマーモセット類は、新世界ザルの仲間です。
さて、旭山動物園のジャックは体重が約120kgあって、握力は400~500kgあると、同園のオランウータン舎Webにあります。
フトシの体重や握力は聞き漏らしましたが、ジャックと同じくらいか、オランウータンの標準体重70kgはある筈です。大きい手と太くゴツゴツした指は、それを思い起こさせます。
オランウータンがロープにぶら下がって左右に振って遊んでいて、そのふり幅が大きくなって壁に激突しそうになってもロープから手を放さない。そのまま壁に激突して血を流してロープにぶら下がっている。つまり、オランウータンには枝から枝へ飛び移るような敏捷さはないが、落ちない能力はものすごく、つかんだものは放さない(旭山動物園のつくり方)。
オランウータンの空中散歩を可能にした旭山の放餌場は、このような習性を活かして生まれています。
自分の体重を支えられる枝を選んで、枝から枝へ移動するフトシたちには、それだけ丈夫な手が必要ですし、足は手の補助機能を果たしています。片手と片足で枝をつかんでぶら下がり、それをゆすって空いた手で枝をつかみ樹上を移動する野生の姿をフトシは想像している、それとも、3歳で横浜から鹿児島へ移り、そこでの初舞台を懐かしんでいるのでしょうか・・・。
フトシと同居しているナナは、平成2(1990)年4月27日、ここで産まれた千葉っ子で、今年19歳。彼女の父は死に、母は他へ移動してしまい、今は、フトシとのペアリングを待っています。
フトシが長崎鼻パーキングガーデンから千葉へ移住したのは、ナナとペアリングして2世を誕生させるためとのこと(関係者の話)。しかし、フトシとナナとのペアリングの成果はまだのようです。
ちなみに、日本で初めてボルネオ・オランウータンの繁殖に成功したのは、上野動物園。昭和36(1961)年のこと。カリフオルニア・アシカの繁殖にも成功した年です。
やんちゃ坊主だった横浜っ子のフトシと恥かしがり屋の千葉っ子ナナの仔は、何時産まれるのでしょうか。
今は黙して語らずのボケ封じ観音さまだけが、それを知っている・・・。
スマトラ島に生息するスマトラ・オランウータンは、フトシに比べて細長い顔で、長い体毛の色が淡いようです。
オランウータンが生息しているのは、このふたつの島だけです。
太い腕に顎をのせて見学者を眺めて楽しむフトシの立派なチークパットと金網を握っているごつい指。
フトシは、丸いオランウータン舎内を一周してくると、このようにして見学者を眺め、次の場所へ移動して再び人間観察を始めます。
フトシは、横浜市野毛山動物園に産まれて直ぐにここへ来たと前回書きましたが、ジャワとハナコとのペアリングで昭和63
(1988)年2月9日に産まれ、平成3(1991)年4月9日に長崎鼻パーキングガーデン(鹿児島県指宿市)へ移ってから千葉へ移住しています。
フトシの父ジャワは日本モンキーセンター(愛知県犬山市)、母ハナコはフエニックス自然動物園(宮崎県宮崎市)から野毛山動物園へ移りペアリングしていたのです。
「フトシ君は、人工哺育で大切に育てられたせいか、少々わがままで、やんちゃで、大のいたずら好き。チンパンジーの調教ではベテランの係員も、ややもてあまし気味です」
フトシの経歴を当たっていると、3歳当時の彼に出会いました。
長崎鼻パーキングガーデンを紹介した記事の「おもしろ動物百科」で、秘蔵っ子、オランウータンのフトシ君として写真入りで取り上げられていたのです。
「来園3カ月で早くも簡単な芸はこなすようになり、平成4年1月1日には記念すべき動物ショーの初舞台を踏みました。その芸風は、普段のフトシ君とはちがって沈着、冷静、そしてマイペースで、目下、人気をひとりじめしているところです」(全国動物園・水族館ガイド)。
帽子をかぶって、大きな口を開けているフトシには、チークパットはありません。
このガイドで紹介されている千葉市動物公園のアイドルはハシビロコウであったことは、その6(3月9日)に書きました。
ところで、霊長類に属しているサル類の分布は、南米に住む新世界ザル、ユーラシア大陸とアフリカにすむ旧世界ザル、マダガスカルに住む原猿ですが、オーストラリア、ニューギニア、北米大陸、ヨーロッパには分布していないのです(白輪剛史著:動物の値段)。ところが、ヒトだけは、地球上の何処にでも分布している霊長類です。
また、オランウータンが霊長類に属する類人猿の仲間であることは、ご存知と思います。
原猿から類人猿へ、類人猿から人へと霊長類は進化してきましたが、類縁的な距離が人に近いのはチンパンジーやゴリラで、オランウータンは遠いんです(動物大百科第3巻霊長類:平凡社)。
とはいっても、オランウータンは、臆病で用心深い「森のヒト」と呼ばれています。
ここでは、サル類の分類は省略しますが、これまでに書いてきたマーモセット類は、新世界ザルの仲間です。
さて、旭山動物園のジャックは体重が約120kgあって、握力は400~500kgあると、同園のオランウータン舎Webにあります。
フトシの体重や握力は聞き漏らしましたが、ジャックと同じくらいか、オランウータンの標準体重70kgはある筈です。大きい手と太くゴツゴツした指は、それを思い起こさせます。
オランウータンがロープにぶら下がって左右に振って遊んでいて、そのふり幅が大きくなって壁に激突しそうになってもロープから手を放さない。そのまま壁に激突して血を流してロープにぶら下がっている。つまり、オランウータンには枝から枝へ飛び移るような敏捷さはないが、落ちない能力はものすごく、つかんだものは放さない(旭山動物園のつくり方)。
オランウータンの空中散歩を可能にした旭山の放餌場は、このような習性を活かして生まれています。
自分の体重を支えられる枝を選んで、枝から枝へ移動するフトシたちには、それだけ丈夫な手が必要ですし、足は手の補助機能を果たしています。片手と片足で枝をつかんでぶら下がり、それをゆすって空いた手で枝をつかみ樹上を移動する野生の姿をフトシは想像している、それとも、3歳で横浜から鹿児島へ移り、そこでの初舞台を懐かしんでいるのでしょうか・・・。
フトシと同居しているナナは、平成2(1990)年4月27日、ここで産まれた千葉っ子で、今年19歳。彼女の父は死に、母は他へ移動してしまい、今は、フトシとのペアリングを待っています。
フトシが長崎鼻パーキングガーデンから千葉へ移住したのは、ナナとペアリングして2世を誕生させるためとのこと(関係者の話)。しかし、フトシとナナとのペアリングの成果はまだのようです。
ちなみに、日本で初めてボルネオ・オランウータンの繁殖に成功したのは、上野動物園。昭和36(1961)年のこと。カリフオルニア・アシカの繁殖にも成功した年です。
やんちゃ坊主だった横浜っ子のフトシと恥かしがり屋の千葉っ子ナナの仔は、何時産まれるのでしょうか。
今は黙して語らずのボケ封じ観音さまだけが、それを知っている・・・。
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