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鯱兜の他に、普通の兜が4兜(とう)展示されています。なかでも、兜と牛若丸がひときわ人目を惹きつけます。
長刀を持った弁慶、嬉しそうにはしゃぐ子供たちの顔には眼鼻が書き込まれていません。
目鼻のない下野ひとがたの由来は4月20日に紹介しましたので省きます。
やはり、牛若丸と弁慶、子供たちを見ていると、どこかちがった印象を受けます(写真)。
龍笛(りゅうてき:笛の巻きや塗りなどに手間のかかる装飾を施した横笛で、貴族や武士が愛用した)を手にした、目鼻のある牛若丸の表情からは、笛を吹く牛若丸の気持ちが推し測れます。しかし、ガリバーに立ち向かう小人のような弁慶の顔に目鼻がありません。
では、弁慶はどんな心構えだったのでしょうか。
明治に行われた神仏分離で改名した八坂神社は、「素戔鳴命(すさのおのみこと)」を御祭神に祀る佐原本宿の守護神、氏神さまです。
天保(てんぽう)から弘化(こうか)に改元した天保15(1845)年頃は「感応天王」と呼ばれ、その昔は「牛頭天王(ごずてんのう)」として諏訪山近郊の天台山に鎮座していました。
その牛頭天王に、あと1振りで太刀千本奪い満願成就の願をかけた弁慶は、忠敬(ただたか)橋へ向かう森の中で牛若丸に出会ったのです。兵法の虎の巻に習熟していた牛若丸に六韜(りくとう)の技でかわされ、弁慶は最初の敗北感を味わいます。
しかし、弁慶の表情は、あと1振りで満願成就を願掛けして忠敬橋へ向かっている時の目鼻になります。
佐原の大祭夏祭り「八坂神社祇園祭」の夜でした。
小野川の忠敬橋の上
大の男の弁慶は
長い薙刀振り上げて
牛若めがけて切りかかる
のですが、
牛若丸は飛びのいて
持った扇を投げつけて
来い来いと欄干の
上えあがって手を叩く
忠敬橋での決闘にも弁慶は完敗してしまいます。
余談になります。
佐原寺宿町(てらじゅく)の幣台(やだい)飾り物は、金時山姥(きんときやまんば)です。
足柄山で熊と相撲をとって遊ぶ金時と出会った源頼光(よりみつ)は、金時の力量を認めて家来に取り立てます。そして、坂田公時(さかたのきんとき・金時とも言う)は、頼光四天王の一角を占める武将になります。
ひし形の腹賭けをして、鉞(まさかり)を担いで熊の背中に乗っている元気な5月人形や三菱館に飾られている金太郎のモデルは、足柄山の金時です。
幣台の説明書と交えて寺宿幣台を紹介します。
金時山姥の製作年代は不詳となっていますが、坂田金時の足柄山での少年期を表しており、姥の傍らで、眉を逆八の字に吊り上げ、口を「への字」に結んで、熊にまたがり、斧を力いっぱい振りかざす姿で力強さを表現しています。幣台は嘉永3(1850:徳川12代将軍・家慶)年製作で、全体に漆が施された立派なものです。
話を弁慶と牛若丸に戻します。
欄干に飛び乗った牛若丸を睨みつける弁慶の表情を目鼻で表すことも出来ます。
恐らく、金時山姥の金太郎と同じ表情になるでしょう。
弁慶と牛若丸の最後の対決は、八坂神社の本堂前です。
前やうしろや右左(みぎひだり)
ここと思えばまたあちら、
燕のような早業に
鬼の弁慶あやまった
牛若丸の家来となった弁慶は、義兄・頼朝に追われて奥州へ逃れる途中にある最難所「安宅の関」越えでは、義経を殴る機転をはたらかして難を逃れ、安全な場所へ逃避した瞬間、弁慶は主君にはたらいた無礼を詫びます。それを受けた義経は、弁慶の機転を褒め称え、富樫の温情にも報いる祝宴を催します。山伏に変装した7人は、富樫が差し入れてくれた酒、料理で祝宴を開いたのです(虎の尾を踏む男達:脚本・監督:黒澤明)。
義経から感謝されて喜色満面の弁慶の表情を目鼻で表しても良い訳です。
思川の流しびなは、浴衣姿の子供達と同じです。
藁舟に乗った子供の下野流しびなは、百人百様の思いを込めて思川を下り自然に還ります。
その時の子供達の表情は、多分、百面相でしょうけれども、思いを込めてくれた人の気持ちに報いるために、義経に褒め称えられている弁慶の目鼻になっているかも・・・。
山伏(やまぶし)姿の義経を助けるために主君を殴りつける機転で、頼朝に義経の捕捉を命じられた役人・梶原の使者の追求をかわした弁慶と、主君を守る臣下の務めを必死になってはたしながらも、義経の臣下として耐えている忍びがたい弁慶の心情に武士の情けで報いた富樫の男気に感謝している義経の表情と、目鼻のある下野ひとがた牛若丸に重なってしまいます。
目鼻のない下野流しびなからは、作り手の感情やそれを観る人が抱くその時の心情で百面相になります。
目鼻の入っていない下野ひとがたには、それを観る人に、その時々の喜怒哀を感じさせる魅力を秘めています。
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長刀を持った弁慶、嬉しそうにはしゃぐ子供たちの顔には眼鼻が書き込まれていません。
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目鼻のない下野ひとがたの由来は4月20日に紹介しましたので省きます。
やはり、牛若丸と弁慶、子供たちを見ていると、どこかちがった印象を受けます(写真)。
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龍笛(りゅうてき:笛の巻きや塗りなどに手間のかかる装飾を施した横笛で、貴族や武士が愛用した)を手にした、目鼻のある牛若丸の表情からは、笛を吹く牛若丸の気持ちが推し測れます。しかし、ガリバーに立ち向かう小人のような弁慶の顔に目鼻がありません。
では、弁慶はどんな心構えだったのでしょうか。
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明治に行われた神仏分離で改名した八坂神社は、「素戔鳴命(すさのおのみこと)」を御祭神に祀る佐原本宿の守護神、氏神さまです。
天保(てんぽう)から弘化(こうか)に改元した天保15(1845)年頃は「感応天王」と呼ばれ、その昔は「牛頭天王(ごずてんのう)」として諏訪山近郊の天台山に鎮座していました。
その牛頭天王に、あと1振りで太刀千本奪い満願成就の願をかけた弁慶は、忠敬(ただたか)橋へ向かう森の中で牛若丸に出会ったのです。兵法の虎の巻に習熟していた牛若丸に六韜(りくとう)の技でかわされ、弁慶は最初の敗北感を味わいます。
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しかし、弁慶の表情は、あと1振りで満願成就を願掛けして忠敬橋へ向かっている時の目鼻になります。
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佐原の大祭夏祭り「八坂神社祇園祭」の夜でした。
小野川の忠敬橋の上
大の男の弁慶は
長い薙刀振り上げて
牛若めがけて切りかかる
のですが、
牛若丸は飛びのいて
持った扇を投げつけて
来い来いと欄干の
上えあがって手を叩く
忠敬橋での決闘にも弁慶は完敗してしまいます。
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佐原寺宿町(てらじゅく)の幣台(やだい)飾り物は、金時山姥(きんときやまんば)です。
足柄山で熊と相撲をとって遊ぶ金時と出会った源頼光(よりみつ)は、金時の力量を認めて家来に取り立てます。そして、坂田公時(さかたのきんとき・金時とも言う)は、頼光四天王の一角を占める武将になります。
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幣台の説明書と交えて寺宿幣台を紹介します。
金時山姥の製作年代は不詳となっていますが、坂田金時の足柄山での少年期を表しており、姥の傍らで、眉を逆八の字に吊り上げ、口を「への字」に結んで、熊にまたがり、斧を力いっぱい振りかざす姿で力強さを表現しています。幣台は嘉永3(1850:徳川12代将軍・家慶)年製作で、全体に漆が施された立派なものです。
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話を弁慶と牛若丸に戻します。
欄干に飛び乗った牛若丸を睨みつける弁慶の表情を目鼻で表すことも出来ます。
恐らく、金時山姥の金太郎と同じ表情になるでしょう。
弁慶と牛若丸の最後の対決は、八坂神社の本堂前です。
前やうしろや右左(みぎひだり)
ここと思えばまたあちら、
燕のような早業に
鬼の弁慶あやまった
牛若丸の家来となった弁慶は、義兄・頼朝に追われて奥州へ逃れる途中にある最難所「安宅の関」越えでは、義経を殴る機転をはたらかして難を逃れ、安全な場所へ逃避した瞬間、弁慶は主君にはたらいた無礼を詫びます。それを受けた義経は、弁慶の機転を褒め称え、富樫の温情にも報いる祝宴を催します。山伏に変装した7人は、富樫が差し入れてくれた酒、料理で祝宴を開いたのです(虎の尾を踏む男達:脚本・監督:黒澤明)。
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思川の流しびなは、浴衣姿の子供達と同じです。
藁舟に乗った子供の下野流しびなは、百人百様の思いを込めて思川を下り自然に還ります。
その時の子供達の表情は、多分、百面相でしょうけれども、思いを込めてくれた人の気持ちに報いるために、義経に褒め称えられている弁慶の目鼻になっているかも・・・。
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山伏(やまぶし)姿の義経を助けるために主君を殴りつける機転で、頼朝に義経の捕捉を命じられた役人・梶原の使者の追求をかわした弁慶と、主君を守る臣下の務めを必死になってはたしながらも、義経の臣下として耐えている忍びがたい弁慶の心情に武士の情けで報いた富樫の男気に感謝している義経の表情と、目鼻のある下野ひとがた牛若丸に重なってしまいます。
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目鼻のない下野流しびなからは、作り手の感情やそれを観る人が抱くその時の心情で百面相になります。
目鼻の入っていない下野ひとがたには、それを観る人に、その時々の喜怒哀を感じさせる魅力を秘めています。
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